角田光代さんの『坂の途中の家』を読んだ感想
どうしてこんなに息苦しいんだろう?
私はこの本を読みながらずっと重苦しい空気を感じていた。
フィクションだと分かっていても、赤ちゃんを殺めてしまった水穂の事件のことを
全く別世界の話だとどうしても思えないことに。
子育てや夫婦関係や実母や義理の家族との悩みを持ちながら子育てをしていた里沙子と私も同じ気持ちになったことがあったと気づいたことも。
私にはもう成人したけれども二人の娘がいる。
『赤ちゃんなんてすぐに大きくなるわ』
『長い時間、寝てくれないのは今だけよ』
『母乳なんて赤ちゃんに吸わせていたらそのうち出るわよ』
『育児なんてみんなやってきたんだから、あなたもそのうち慣れるわよ』
同じ言葉を言われても受け入れられる時とそうでない時があり
同じ言葉を聞いても理解できる時と理解できない時がある。
頭では理解できても心がついていかない時もある。
単純だが、自分の精神状態が良好な時か、そうでない時か
その言葉を言った人を自分が好きか嫌いか、
信頼しているか、信頼していないかによって
同じ言葉でも肯定的にも否定的にも捉えられるということはよくある。
夫からの何気ない言葉にも優しいと感じることがあれば
冷たいと感じることもあるように・・・
育児、子育て家事は男性でもできるが
妊娠、出産は女性にしかできない。
そしてその女性しかできない妊娠や出産も千差万別なのだ。
悪阻がほとんどない人もいれば、入院するほど大変な人もいる
楽なお産の人もいれば難産の人もいる・・・
『みんなやっている』
『みんながやってきた』と決して一括りにはできないのだ。
そしてそんな安易な慰めや励ましの言葉に深く傷ついたり
自分を責めたりする人もいるのだということを
私も含めてどれくらいの人が本当に分かっているのだろう?
小さな命を授かって、お腹の中で育み、
無事に出産して育てていくことは女性にとっては
とてつもないプレッシャーなのだから。
そして、それら全てが女性にとっては、初めての経験なのだ
たとえ子供が二人目、三人目であっても
毎回その子とは初めての子育てになるのだ。
『第一子が女の子で良かったね、女の子は育てやすいから』
そう言われた私の長女はとても酷いアレルギーを持って生まれてきたので
お世辞にも育てやすい女の子ではなかったし
『二人目なら経験済みだから、色々と一人目よりも楽でしょう』
そう言われた二女は長女の時よりも夜泣きが酷くて
私は長女と二女の二人の子育てにヘトヘトだった。
いま60代の夫は働き盛りで仕事が忙しくて出張も多かった。
育児書通りにならない育児の理想と現実とのギャップが大きければ大きいほど(現代ならインターネットの情報もあるだろう)私はどんどん追い詰められていた時期もあった。
そんな時にただ『あなたはよく頑張ってるね、あなたは大丈夫なの?』
と私のことを心配して声をかけてくれた人がどれだけいただろうか?
みんなは赤ちゃんや子供を天使のように見つめて扱う
それは素敵なことだと思う。
けれども人の命を育てることは綺麗事だけでは済まない。
母乳やミルクを与えることから排泄の処理(おむつ)
入浴させたり、寝かしつけたり
病気の時の対応
お母さんは慢性的な睡眠不足になり、精神的にも肉体的にも
不安がいっぱいでギリギリだ。
もちろん、かわいい我が子に心を奪われる瞬間もたくさんある。
けれども『子育ては楽しい』とか
『子供は天使』なんて言葉を耳にすると私はなぜか違和感を感じてしまうのだ。
そんな耳障りの良い言葉にイライラする時すらある。
私のように(ひねくれていて)
『育児が楽しいことばっかりなんてあるわけないやん』と思える人はまだ救われるが
第三者の責任のない言葉を真に受けてしまう真面目で純粋な人は
『育児が楽しくないなんて私は異常なのかも、子供を天使だと思えない私には母親として失格なのかも』と自分を追い詰めてしまうこともあるのだ。
二日酔いでもないのに、いつも胸がむかむかしたり、嘔吐してしまう妊娠初期
お腹が大きくなるにつれて内臓が圧迫されて息切れしたり
足がむくんだり、体型の変化に戸惑ったり
風邪をひいても薬を気軽に飲めない苦しさ
出産後のホルモンバランスの崩れからくる抜け毛や
母乳を出すために痛くても乳房をマッサージしたり
(私は乳腺炎で高熱が何度も出たこともある)
母親になるという大役をひとりで演じなければと思い込んで(思い込まされて)苦しんでいる女性もいるのだと理解してほしい。
『被告人を懲役9年に処する』
水穂の判決を聞いた途端に里沙子は涙が止まらなくなる。
初めは補充裁判員に選ばれたことを前向きに捉えられなくて不平や不満で
辞めたいとずっと思っていた里沙子だったが、
自分と重ね合わせて悩み苦しみながらも最後の判決が出るまで水穂の事件に対峙して考え続けたおかげで
里沙子は自分と夫の関係、実母との関係、義母との関係を深く考え始める。
そして彼女は今まで封じ込めていた本当の自分の気持ちに気づくことができた。
『決して私はダメな人間じゃない』
『私だけが間違ってるのでもない、私だけが悪いのでもないのだ』と
ラストシーンで裁判後に里沙子は街で居るはずもない水穂の姿を見る。
そして里沙子は水穂に向かって一礼して『さようなら』と小さくつぶやく。
きっと里沙子は裁判に関わる前よりもこれからは自分の気持ちを大切にして今よりも自分に自信を持てて、強くなって生きていくのだろう。
そんな「里沙子」がひとりでも多く生まれることを私は望んでいる。
そしてたったひとりで悩みを抱えて苦しんでいた水穂のような女性がいなくなることを・・・
この本を読んですぐなのでまとまりのない文章かもしれませんが
あえて今感じた気持ちを記事にして投稿させていただきます。
長文を最後までお読みくださりありがとうございます。