アナログ派の愉しみ/音楽◎ブリテン作曲『ピーター・グライムズ』
そこには
島国特有の心理機構が?
東京・東池袋の自動車暴走事故(2019年4月)から5年あまりが経過した。この間、妻と幼い娘の命が奪われた夫の姿をテレビで見るたびにわたしも熱いものが込み上げ、元高級官僚の加害者(当時87歳)には激しい憤りを覚えた。そして、事故は車のブレーキが効かなかったことが原因だと無罪を主張していたかれに対して、世間は「上級国民」のレッテルを張りつけて耳を貸そうともしなかった状況に背中を押されるかのごとく、裁判では禁錮5年の実刑判決が下されて被告も控訴を断念した成り行きに、わたし自身、多少とも溜飲の下がる思いを味わったものだ。
しかし、あらためて振り返ってみると、どこか落ち着きの悪さが感じられてならない。果たして、いまさら再犯の恐れもない100歳近い老人を刑務所に閉じ込めた結末にどれだけの意味があるのだろう? それをもって一件落着と受け止める心情には、何かしら偏狭な国土に身を寄せあった暮らすわれわれの「島国根性」が作用しているのではないか、という気がしてきたのだ。
そんなふうに思い当たったのは、イギリスの作曲家ブリテンのオペラ『ピーター・グライムズ』に同じような光景を見て取ることができるからだ。ブリテンは1913年イングランド東部の港町ローストフトに生まれ、幅広いジャンルで創作活動を繰り広げたが、第二次世界大戦終結の年の1945年に初演された『ピーター・グライムズ』が大成功を収めたのをきっかけに、生涯に16のオペラをつくりあげた。ヨーロッパ音楽において最高の華とされるオペラは、イタリア、フランス、ドイツ・オーストリア、東欧・ロシア……と大陸の国々で発展してきたなかで、島国イギリスに初めて本格的なオペラ作曲家が出現したのだ。
その『ピーター・グライムズ』はざっとこんなあらすじだ。ある小さな港町での物語。傲慢で人間嫌いの漁師ピーター・グライムズは、荒天の海に出漁して手伝いの少年を事故で死なせてしまう。裁判では無罪を認められ、ただし、二度と少年を雇わないよう命じられたにもかかわらず、ピーターに理解を示す元教師エレンや元船長ボルストロードの支援もあって、あらためて孤児院から連れてこられた少年が同居して働きはじめる。しかし、ピーターの荒っぽい扱いは以前のままで、エレンの忠告にも耳を貸さず、ついには危険な崖で少年が足を滑らせて転落死した。ふたたび起きた事故を受けて、ボルストロードは厳かに言い聞かせる。
「さあ、手を貸してやるから舟を出して、陸地が見えなくなるまで沖へ漕ぎだせ。そして、舟を沈めるんだ。わかったね、舟を沈めるんだ。さようなら、ピーター」
実のところ、このオペラの真の主役は港町の住人たちだ。かれらは裁判で不遜な態度のピーターに腹を立て、酒場で男も女も酔っ払ってはかれの生きざまを嘲笑い、新しく雇った少年が見えなくなると激高してピーターの小屋へ押しかけもする。だが、そんな連中もピーター本人の姿が消えてしまうといっぺんに関心を失い、やがて沿岸警備隊がやってきて沖合で舟が沈没したらしいと告げても意に介さず、かつてと同じく平凡で活気のある日常を取り戻す……。そういうことなのだろう。ピーターには少年の死を招いたのは暴風雨や崖の急坂だったとの思いもあったが、もはやこの期におよんでは通じない、かれは町の連中のためだけでなく自己のためにも世間と訣別して、わが身を海中に沈めることを宿命として受け入れたのだ。
おそらくブリテンが描こうとしたのは、四方を海に囲まれた島国ならではの心理機構であり、法律では対処しきれない問題解決のドラマであって、そこには大陸の国々とはまったく異なる「島国根性」が横たわっていることを自覚していたに違いない。だからこそ、かれは広大なユーラシア大陸をはさんで反対側に位置するもうひとつの島国にも強い共感を寄せて、たとえば能楽『隅田川』を下敷きに、わが子を探し求める狂女を主人公としたオペラ『カーリュー・リヴァー』(1964年)をつくったりもしたのだろう。
ピーター・グライムズの悲劇に、わたしが東池袋暴走事故の加害者の姿を重ねてしまうのもゆえなしとしないはずだ。そして、それを自分が今後の年月を生きていくうえでの警告として受け止めるべきことは言うまでもない。
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