アナログ派の愉しみ/音楽◎ベートーヴェン作曲『第九』
この異形の交響曲は
「音楽以外」のドラマを必要としている
いまだにあのときの驚きは生々しい。31年前の11月に母がくも膜下出血で倒れ、2週間後に息を引き取った。わたしは葬儀のあとも取り留めないようすだったのだろう、仕事関係の知りあいの女性から連絡が届いて、『第九(交響曲第9番〈合唱つき〉)』のコンサートに誘ってもらった。当日の演奏会場も、オーケストラも、指揮者の名前も記憶にないのだが、その外国人指揮者が合唱指揮の出身とプログラムに書いてあったことだけは覚えている。
演奏がはじまると、第1楽章の出だしから腰砕けの合奏で、それは第2楽章、第3楽章と進んでいっても立ち直る気配がなかった。わが国年末の『第九』シーズンには、この曲をろくに振った経験のない外国人指揮者まで起用される以上、凡演に出くわすのもやむを得ないと諦めかけたところ、いきなり背筋が伸びた。第4楽章のバス独唱に続いて混声合唱が入ってきたとたん、ステージがみずみずしい潤いに包まれたのだ。高らかな歓喜の歌のあと、深い祈りをへて、フィナーレへ雪崩れ込んでいったときには、わたしの頬を滂沱の涙が濡らしていた。さすが合唱指揮者の手管に感服すると同時に、自分でも思いがけないほどの感情の高ぶりはやはり母の死というドラマがもたらしたものだと考えていた。
むろん、音楽と向き合うのにこうした「音楽以外」のドラマを持ち込むのは邪道だ。それはそうだろうけれど、この『第九』にかぎっては特別の事情がありはしないか?
ベートーヴェンが前作の第8番のあと12年間の空白をはさんで、1824年、53歳のときに完成させたこの交響曲は、はなはだ異形のつくりになっていると言っていいだろう。神秘的な第1楽章、通常とは逆の配列の煽り立てる第2楽章と瞑想にひたる第3楽章、そして怒涛の第4楽章――。それぞれは楽聖の筆になる至高の音楽なのだが、おたがいにソッポを向いているかのようでもあって、かつての『英雄』『運命』『田園』といった緻密に構成された交響曲たちとはずいぶん印象が異なる。であればこそ、これをひとつにまとめあげるために「音楽以外」のドラマが果たす役割も生じるのではないか。
実際、この曲の歴史的名盤とされる録音や映像には、ヒットラー誕生日前夜祭(1942年、フルトヴェングラー指揮)、大戦後に復活したバイロイト音楽祭の開幕(1951年、フルトヴェングラー指揮)、日生劇場こけら落とし公演(1963年、ベーム指揮)、大晦日のジルヴェスター・コンサート(1977年、カラヤン指揮)、ベルリンの壁崩壊記念コンサート(1989年、バーンスタイン指揮)など、音楽自体とはおよそ無関係なドラマのもとで行われたライヴの記録が見受けられるのもそうした事情を反映していよう。
ベートーヴェンが書き留めた『音楽ノート』(小松雄一郎訳)には、くだんの第4楽章の作曲をめぐってつぎのような述懐が残されている。
・いや、これではない。これとはちがう好ましいものが、わたしの求めているものだ。
・これでもない、よくなっていない、ちがったただもっと明るいものを。
・これもやさしすぎる。……のような快活なもの(?)を探さなければならない。わたしは君たちに……〔人〕声部のところを自分で歌ってきかせよう、わたしのあとに……
・これこそそうだ、見つかった。歓喜。
・われらに不滅のシラーの歌をうたわしめよ。
・バスの声、この調べではない、もっと楽しいものを、喜びよ! 喜びよ!
こうした自問自答の繰り返しのあげく、ついに第1楽章から第3楽章までの音楽をことごとく否定するというアクロバティックな手段で、あのバス独唱の「おお、友よ!」と呼びかける第一声が導入される。
すなわち、他ならぬベートーヴェン自身が全体をひとつにまとめあげるのに「音楽以外」のドラマを必要としたのだ。この交響曲が人類にとって特別なのはおそらく、音楽だけで成り立っているのではなく、「音楽以外」のドラマまでも作品の一部としているからではないだろうか。わたしは今後の人生行路においても、『第九』にときに鼓舞され、ときに慰謝されて歩いていくのに違いない。
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