アナログ派の愉しみ/映画◎ジョージ・スティーヴンス監督『シェーン』
それは少年の澄んだ目をとおして
眺められた白日夢だ
どうしてこんなに感動させられるのだろう。ジョージ・スティーヴンス監督の『シェーン』(1953年)を初めて観たのはいつだったかハッキリ覚えていないし、これまでいったい何回観たかもハッキリ覚えていないのだが、いまここで観たらまた涙ながらに感動してしまうことはハッキリしている。おそらくジョン・フォード監督の『駅馬車』(1939年)とともに、西部劇の双璧と言っていいのではあるまいか。
西部劇を厳密に定義するなら、アメリカにおいて1865年に南北戦争が終結して本格的な西部開拓期に入り、1890年に国勢調査がフロンティア消滅を宣言するまでの25年間の出来事を描いたものだ。日本では幕末の慶応元年から第1回帝国議会が開かれた明治23年に至るわずかな期間を対象として、おびただしいハリウッド映画が作られてきたのは奇観だけれど、つまりはアメリカ人にとって永遠のノスタルジーのよりどころなのだろう。
いや、アメリカ人ばかりではない。かく言うわたしもやむにやまれず、はるばるワイオミング州のグランド・ティトン国立公園へ出かけ、飛行機から降り立ったとたん、『シェーン』のあの山岳の風景を目の当たりにして全身が震えたものだ。そして、さっそく土産物店で求めたカウボーイハットをかぶって同行者に写真を撮ってもらったところ、主役のシェーン(アラン・ラッド)はおろか、殺し屋ウィルソン(ジャック・パランス)にもほど遠く、せいぜいそのウィルソンに撃ち殺される農民トーレー並みのみすぼらしさだった……。
異邦人さえもここまで動かす魅力のゆえんを考えたとき、ヒントになる映画がある。クリント・イーストウッド監督・主演の『ペイルライダー』(1985年)だ。砂金採取を行う入植者のもとに牧師のなりをしたガンマン(イーストウッド)がやってきて、町を牛耳る悪徳一味とのあいだに闘いを繰り広げるという、ストーリーの構図はそっくりなのだが、ひとつだけ決定的な違いがある。それは『シェーン』で主人公を迎え入れた開拓者一家の少年ジョーイに当たる役を、こちらでは母子家庭の少女メガンが受け持っていることだ。
14歳のメガンはたちまちガンマンに恋して、「愛しているわ。セックスしてよ」と迫り、相手が拒むと、「ママが好きなのね。死んで地獄に落ちろ」と癇癪を破裂させる。そして、ラストのガンファイトのあとには、ジョーイの名台詞「シェーン、カムバック!」の代わりに、メガンは「みんな愛している、私もよ!」となおも執拗に追いすがろうとするのだった。わたしなどは呆然とするばかりだが、なるほど、フロンティアの地にあって小さな共同体が流れ者を受け入れたとき、必然的に性関係がクローズアップされるという点では、こちらのほうがリアルなのに違いない。『シェーン』でも、一家のジョーとマリアンの夫婦にかすかな漣は立つけれど、それもジョーイの存在によって淡いエピソードに脱色される。
そう、この西部劇はすべて、ジョーイの澄んだ目をとおして眺められたものだ。少年にとっての夾雑物は一切まじらない、その意味では純粋な白日夢といえよう。だからこそ、わたしもまだ無垢だった少年の日を呼び起こされ、安心して涙をこぼして感動することができるのだ。
ついでに付言すると、ジョーイの「シェーン、カムバック!」が、日本語吹き替え版では「シェーン、行かないで」や「シェーン、戻ってきて」と訳されてきたのに、かねて違和感があった。たとえ白日夢としても、ガンマンの冷酷無残な殺戮を目撃したあとで、こんな甘ったるい物言いはないだろう。そうしたところ、最近、内田吐夢監督の『血槍富士』(1955年)を観て、思わず膝を叩いた。主君の仇討ちを果たした槍持ちの男(片岡千恵蔵)の後ろ姿を見送りながら、浮浪児の少年が発するラストシーンのひと言に納得できたからだ。それを借用すればこうなるのだが、どうだろう?
「シェーンのばかやろう!」