アナログ派の愉しみ/ドラマ◎『極悪女王』

父を殺すために
プロレスラーになった


Netflixの配信ドラマ『極楽女王』(鈴木おさむ企画/白石和彌監督 2024年)が大反響を呼んでいるという。これは、1980年代のなかばに空前の女子プロレス・ブームを巻き起こしたヒール(悪役)のダンプ松本(ゆりやんレトリィバァ)と、ベビーフェイス(善玉役)の長与千種(唐田えりか)、ライオネス飛鳥(剛力彩芽)らの壮絶な生きざまをドキュメンタリー・タッチで描いた群像劇だ。

 
主人公のダンプ松本とわたしは同世代にあたる。あのころ、こちらは月並みなサラリーマン生活を送りながらとくに女子プロレスに関心があったわけではないけれど、怖いもの見たさで、週末にはしばしば彼女の試合のテレビ中継にチャンネルを合わせたことがよみがえる。

 
あれは一体、なんだったのだろう? 力士並みの図体をパツパツのコスチュームに包み、顔面には毒々しい隈取りの化粧を施して、金切り声の雄叫びをあげながら、正規軍「クラッシュギャルズ」の千種と飛鳥にチェーンを振りかざして立ち向かうと、反則のかぎりを尽くしてたちまちマットを鮮血で染めていく。わたしの見るところ、男子のプロレスにおけるヒールはいかに乱暴狼藉を働いても、しょせん興行という社会的な尻尾を引きずっていたのに対して、ダンプ松本にはそうした約束事を蹴散らして、何を仕出かすかわからない猪突猛進の凶々しさがあった。そして、それこそがリングを取り巻くおびただしい少女のファンたちを絶叫させ、熱狂させた理由だったに違いない。

 
振り返ってみると、昭和末期の当時は、日本経済がバブル景気に沸いて「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などと浮かれ騒いでいたものの、その実、社会の主役はあくまで男性で、女性はもっぱら消費者としてチヤホヤされるだけの脇役に過ぎなかった。マスコミはしきりと女子大生ブームを演出し、男女雇用機会均等法(1986年)も施行されたとはいえ、現実には男子学生よりもずっと成績の優秀な女子学生が就職試験になるとあっさり男子に追い越され、また、晴れて入社できたとしても腰掛けの扱いで結婚・出産を機に退職するのが当たり前と見なされていた。ことほどさように、いまだにカビの生えた「良妻賢母」のドグマが深く根を張り、息のつまる人生のレールを目の前にして、束の間であれ、このどうしようもない閉塞感から逃れたいという少女たちの反発心が女子プロレス・ブームを支えていたように思う。

 
『極悪女王』の全5話・計約6時間のドラマで、わたしがいちばん注目したのは、それまでお人好しで同期生の千種や飛鳥がスター街道を驀進していくのを指をくわえて眺めるだけの存在だった「松本香」が「ダンプ松本」へと変身する場面だ。

 
その夜、彼女は寮を出て、場末のアパートへ向かう。二階の部屋には母と妹、それにぐうたらな父がいた。ついぞ仕事はせず女遊びばかりに興じ、しょっちゅう母に暴力をふるってきた生活無能者の父が、今度は娘の名前を騙って女子プロレスをネタに詐欺まがいの行為におよんだことを知って駆けつけたのだ。たちまち大立ち廻りとなると、あいだに割って入った母や妹と揉みあううち、彼女は二階から路上のトラックの荷台へと転落して、そこで手に触れたのが土木作業用の頑丈なチェーンだった……。

 
ダンプ松本は自伝『ザ・ヒール』(2021年)のなかで、プロレスラーになった動機をつぎのように語っている。

 
 普通の一家では考えられないことの連続で、幼少期の自分にとって父は憎悪の対象でしかなかった。大好きな母を苦しめるこの男をどうにかしてやりたい。そのためには、自分が強くなって見返してやるしかない。その後にプロレスラーを志す自分には、大きな理由があった。
 父を殺したかったのだ。

 
すなわち、父を殺すためにプロレスラーになった少女が、その痛烈な思いを空想のなかに留めておけず、本当に父を殺そうとして果たせなかったことでさらなる脱皮を遂げる。ドラマでは、それから数日間、「松本香」は行方をくらましたのち、前触れもなくグロテスクな化粧をして「クラッシュギャルズ」の試合に乱入し、くだんのチェーンを千種の首にまわして締めつけながら、阿鼻叫喚の観客席に向かってこう宣言する。ガタガタ抜かすと、全員ぶっ殺すぞ! 「ダンプ松本」が誕生した瞬間だ。

 
もとより、少女たちはこのどうしようもない閉塞感を打ち破って、社会に風穴を開けるためには、まず家族をぶっ殺し、自分をぶっ殺し、全員をぶっ殺さなければならないことを知っていたろう。ダンプ松本はまさに、そのシンボルだったのだ――。それにしても、とわたしは考え込んでしまう。当時から約40年の歳月が経過して、あらためて彼女の物語がNetflixに再現され、その名前も聞いたことのなかったはずの不特定多数の視聴者が歓呼をあげるとはどうしたわけだろう? あるいは、令和の日本にあってプロレス界はおろか、国家の命運をになう政界でさえもベビーフェイスばかりで、気骨のあるヒールが見当たらない、そんな喪失感の表れなのかもしれないと。

 
なお、ダンプ松本は63歳のいまも現役プロレスラーとして活躍中だそうだ。
 

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