アナログ派の愉しみ/音楽◎フォスター作詞・作曲『夢見る人』

ふたりの天才が
死の直前に到達した境地


Beautiful dreamer, wake unto me,
Starlight and dewdrops are waiting for thee;
Sounds of the rude world heard in the day,
Lull′d by the moonlight have all pass′d away!
 
美しい夢見る人よ、私に気づいて下さい。
星の光と露の雫があなたを待っている。
日中、聞こえていた騒々しい世間の音は
月の光に静められてみな消え去った。
(栗田洋訳)

 
手元に『金髪のジェニー ~フォスターの夜会』と題された一枚のCDがある。わたしたちにも馴染み深いフォスターの歌曲集で、1972~76年に録音されているからもう半世紀近くたっているのに、いまだに現役盤として通用しているのはそれだけ評価が高いからだろう。ただし、ここに収められた23曲のなかには、だれでも知っている『故郷の人々』『ケンタッキーのわが家』『オールド・ブラック・ジョー』『おお、スザンナ!』『草競馬』などの定番は含まれていない。

 
「アメリカ音楽の父」とされるスティーヴン・フォスターは、1826年にペンシルベニア州の富裕な中産階級の家に9人きょうだいの末っ子として生まれた。家族で楽器を演奏しあうような環境のもとで育ったフォスターは、18歳のときに初めての歌曲『窓を開け、恋人よ』を発表する。その後、兄が経営する海運会社の帳簿係をつとめながら、今日でいうシンガー・ソング・ライターの活動に取り組み、1848年に『おお、スザンナ!』が大成功してアメリカ大陸初のプロの作曲家の道を歩みはじめた。

 
こうしていまも人口に膾炙する上記のヒット曲などを送りだしていくが、これらは当時、世間で人気を博していたミンストレル・ショー(白人の芸人が黒人に扮して行う大衆芸能)のための「エチオピアン・ソング」だった。フォスターが生涯に発表した約180曲のうち30曲ほどがこのジャンルであり、残りの大半はそうやって賑やかに消費される流行歌ではなく、もっと自由な感興の赴くまま、中産階級のサロンでうたわれるための「パーラー(居間や客間)・ソング」だった。くだんのCDはそうした日常に寄り添った歌だけを集めたものなのだ。

 
フォスターは1850年に医師の娘と結婚して、翌年に女子が生まれる。その妻をモデルとした『金髪のジェニー』を発表したころが幸福の絶頂だったろう。やがて両親ばかりか、経済的な支柱となっていた兄までが世を去ると、運命は暗転して、にわかに困窮生活に見舞われることに。家族でニューヨークへ進出したものの借金の返済に追われる日々で、いつしか妻子は離れていき、ひとり酒浸りの生活のさなか、寝泊まりしていた木賃宿の浴室で転倒してガラスの容器に頭をぶつけ、出血多量により頓死する。ときに37歳だった。

 
そんな死の数日前に作詞・作曲されたのが、『夢見る人(Beautiful dreamer)』だ。このCDでは、バリトン歌手のレスリー・グインが折り目正しくうたっているので、クラシック音楽史上のレッキとした名品として再現されている。「美しい夢見る人よ、私に気づいて下さい」と呼びかけた相手はだれだろう? みずからのもとから去っていった妻と娘か、もはや手の届かない過去の栄光に包まれた自分自身か、あるいは、間もなくその懐に抱かれようとしている天上の神か――。

 
わたしはこの歌を耳にするたび、はるかに『菩提樹』のこだまが聴き取れる気がする。フランツ・シューベルトもまた、奇しくも18歳のときに『魔王』を発表して絶賛されて以降、「歌曲の王」と称されながら、わずか31歳で梅毒が原因となり病没する。前年にヴィルヘルム・ミュラーの詩に作曲した連作歌曲集『冬の旅』の5番目の曲が『菩提樹』だ。そこでは、失恋の痛手を負った若者があてなくさまよいながら、菩提樹の枝葉のざわめきの下で甘い思い出を夢見ている。

 
偉大なドイツ・オーストリアの古典派音楽の伝統に生きたシューベルトと、南北戦争前夜のアメリカという音楽芸術の面では人跡未踏の荒野を生きたフォスターとは、およそ作曲家としてほど遠い位置にあったろう。だが、『菩提樹』と『夢見る人』が、それぞれホ長調と変ホ長調の旋律によって人懐こさを奏でながら、だれにも犯しがたい孤高の美を秘めた歌であることでは共通している。それは、早すぎる死を前にして、ふたりの天才が到達した境地に通いあうものがあったからのように思えてならない。

 
シューベルトが息を引き取ったのは1828年11月19日、フォスターが産声を上げたのは1826年7月4日。もとより、おたがいを知るよしもなかった両人は2年4か月だけ、この地球上で同じ空気を呼吸したことになる。


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