アナログ派の愉しみ/本◎瀬戸内寂聴 著『中世炎上』

このひとは
永遠に生きるかのような


瀬戸内寂聴が99歳で大往生を遂げてから1年半あまりが経つ。このひとは永遠に生きるかのような勢いだったから、いまだにどこかであの禿頭に袈裟の姿で哄笑している気がしてならない。

 
寂聴について、わたしは鮮烈な記憶がある。もう30年以上前だが、やはり先年鬼籍に入った森山真弓元代議士が海部内閣で女性として初の官房長官に就いたとき、その森山をゲストに迎えて、寂聴が主役の公開シンポジウムに足を運んだ。東京・新宿に聳え立つ外資系のホテルが会場で、「これからは女性の時代」と題してひととおりのディスカッションが行われたのち、びっしりと埋め尽くされた客席との質疑応答となった。

 
わらわらと手が挙がって、司会者に指された老女はマイクを持つなりこう問いかけた。私の夫は甲斐性なしで、外に女をつくってぶらぶらしているのですが、身内の話では3代前にやっぱり女グセの悪い先祖がいて、その祟りではないか、と……。すると、壇上の寂聴がいきなり仁王立ちになって、右手の指先を質問者に差し向け、頭のてっぺんから甲高い声を張り上げた。

 
「あなたーッ、ご先祖さまは決して悪さをしませーん。子孫の幸せを願っていまーす!」

 
わかりました、と相手が一礼してすわり、つぎにマイクを握った老女は、息子がギャンブルに狂ってごっそり借金をつくってしまったところ、なんでも6代前の先祖に……。するとまた、寂聴は躍り上がって「あなたーッ、ご先祖さまはー」と叫びだし、わたしは開いた口がふさがなかった。だって、前のひとの質疑応答を聞けば答えはわかりきっているし、そもそも「これからは女性の時代」のイベントに駆けつけたほどの女たちが、先祖の祟りとは愚かに過ぎるじゃないか。

 
しかし、愚かなのはわたしのほうだったと、いまならよくわかる。マスコミが「女性の時代」と浮かれたところで、日常の不幸を生きている女たちにとっては絵空事であり、先祖の祟りとでも受け止めなければやっていけない。自分の不幸は自分だけのものであって、他人の不幸とはなんの関係もないのだ、と――。そんな女たちのひとりひとりに対して、寂聴は裂帛の気合を発し続け、気が遠くなるほどの長い歳月を生きてきたのだろう。

 
さらに時間をさかのぼる記憶がある。わたしが中学生だったとき、公務員の父親が持って帰ってきた『週刊朝日』を開いて、当時は「瀬戸内晴美」だった著者の小説『中世炎上』(1973年)と出会った。連載の一回分につき、登場人物の設定も前後のあらすじも皆目わからなかったが、そこにたゆたう濃密なエロティシズムに魅せられ、机の引き出しに隠して読み返すうちにすっかり暗唱してしまった。そうすると、ぴんとこなかった情景が少しずつ焦点を結んで目に浮かび、それにつれて下半身が熱く反応するようになって、やがてわたしは罪悪感のあまりみずからに封印したのだった。

 
だから、寂聴の訃報に接したのをきっかけに、たまたまブックオフで見つけた『中世炎上』の文庫本のページを繰って、記憶の底に刻まれた場面と再会したのは半世紀ぶりのことだった。鎌倉時代の京の物語。後深草院の寵愛を受けて出産したばかりの女房・二条のもとへ、好色な貴族・実兼が忍んでくる。そのやりとりに、幼い性欲があっさり惑わされたのをいまでは懐かしみながら。

 
 二条は実兼の顔をこわごわ見つめ直した。やはり、実兼が自分の躰を需(もと)めているのだと思うと、産後の自分の躰が不安でならない。まだ、自分の胎内も赤子の生まれた門も、ぶよぶよと充血しているような感じで、ふれるのも怖しい気がするのに、男にはそういう女の不安はやはり通じないものだろうか。
 二条が困りきってうつむいていると実兼はその頭をかかえてひきよせた。
 「何という無邪気な人だろう。あなたのその可愛さが男の煩悩をかきたてて狂わしてしまうのですよ。さあ、今度は私の乳をあなたが吸ってくれる番です」
 その時になってようやく二条にも実兼の需めていることが理解できた。
 そんなことは院にもまださせられたことがなかった。実兼は二条のぎこちなさからそのことをたちまち悟ったらしく、深い感動をあらわして二条を激しく抱きしめた。
 「ああ、あなたにもまだ、私にはじめて手折(たお)らせてくれる花がとり残されてあったのですね。こんな花が残されていたとは……」
 実兼は、二条が愕いて、思わず、咽喉いっぱいに吸いこんでしまったほど、大きな声をあげた。

 
うろたえてしまった。寂聴の筆力はなんと、この年齢になったわたしの下半身もひそやかに火照らせるではないか……。


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