アナログ派の愉しみ/音楽◎芥川也寸志 作曲『オーケストラのためのラプソディー』

音楽は
心臓音につながっている


作曲家・芥川也寸志の没後30年記念として、2019年の春、新交響楽団が池袋の東京芸術劇場で行ったコンサートのことを覚えている。日本の現代音楽の普及に熱心な湯浅卓雄の指揮のもと、芥川の『オーケストラのラプソディー』を冒頭に置き、バルトークの『舞踏組曲』、シベリウスの『交響曲第2番』に進むという、アマチュア団体としては野心的なプログラムだった。

 
言うまでもなく芥川也寸志は、だれひとり知らない者はないだろう作家・芥川龍之介の三男だ。父親が文名をほしいままにしながら、1927年に「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」から服毒自殺を遂げたとき、也寸志はまだ2歳の幼児だった。が、その書斎に残された手回し蓄音機とささやかなSPレコードのコレクションによって、音楽家の道へといざなわれる。とくに『火の鳥』や『ペトルーシュカ』のストラヴィンスキー作品がお気に入りだった、と本人が述懐している。

 
一体、どういうものなのだろう? 自身の記憶にないとはいえ、近代文学史上に輝かしい足跡を残し、しかもセンセーショナルな最期によっておそらくは未来永劫、人口に膾炙し続けに違いない、そうした父親のもとに生まれた息子の心情とは……。やがて長じるにつれ、おのれの血をどう受け止め、どうやって独自の人生を切り開いていこうとするのだろうか。

 
凡人のわたしには想像の彼方にある、そんなラチもない思いをめぐらせながら聴いているうち、『オーケストラのラプソディー』は次第に熱を帯びて混沌としたエネルギーがふくれあがり、それにつれてこちらの血圧も高まっていったものだ。これは1971年、芥川が46歳のときの作品で、15分ほどをかけて律動的なメロディを執拗に反復させていくオスティナートの手法が用いられている。当日の公演プログラムに、作曲者の生前の発言が引用されていたので孫引きさせてもらおう。

 
「食事の前に心臓音をとっておいてテープで回してわりと大きく増幅して、食事のあと聴いてごらんなさい、一分以内に完全に同じ心臓になりますよ。〔略〕それをスライダクターで回転を早め、少しずつスピードを上げていって、ある速さに達したらテープを止めておいて、心臓音を聴いてごらんなさい。〔略〕止まりはしないけれども、猛烈なショックを受けることは確かだ。音楽というのは、そういうところにつながってないとウソだと思うんだな」

 
音楽はみんなのもの、と繰り返し訴えて、一部の特権階級の手から解き放つことを宿願として、ソ連の社会主義への共感を示し、うたごえ運動や反核の活動に取り組み、テレビ番組ではいつもにこやかに万人に語りかけ、そして、みずからが設立したアマチュア・オーケストラの新交響楽団の指揮台にしばしばのぼって、颯爽とタクトをふるってみせた英姿がわたしの目にも焼きついている。その63年の生涯を一途に走り抜けた芥川也寸志の心底には、上に引用したとおり、音楽は心臓音につながっている、みんなが生きていることの証だとの確信があったようだ。

 
それはまた、自殺した高名な父親への息子なりの態度でもあったはず、と受け止めるのは穿ちすぎか。いや、そうでもなかろう。父親自身が晩年のアフォリズム集『侏儒の言葉』(1927年)のなかで、「罪」と題してこんな文章を書き残しているのだから。

 
「『その罪を憎んでその人を憎まず』とは必(かならず)しも行ふに難いことではない。大抵の子は大抵の親にちやんとこの格言を実行してゐる」――。


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