アナログ派の愉しみ/映画◎ウィリアム・フリードキン監督『エクソシスト』
アメリカ合衆国の
神話はどこに?
オカルト映画が苦手だ。とりわけ、ハリウッド製のものには尻込みしてしまう。生来、わたしが臆病という事情もあるけれど、それだけではない。アメリカ社会に賑々しく出現する悪魔のたぐいが、いかにも場違いな雰囲気で、恐怖を覚えるより前にいたたまれない居心地の悪さに襲われるのだ。その原体験は、高校生の時分に出くわしたウィリアム・フリードキン監督の『エクソシスト』(1973年)に他ならない。おそらく、ハリウッドの歴史上で最もセンセーショナルな反響を巻き起こした作品のひとつだろう。
ストーリーの骨子はこんなふうだ。映画撮影のためワシントンD.C.に家を借りた女優クリス(エレン・バーステイン)は、ひとり娘のリーガン(リンダ・ブレア)の奇怪な変化に気づいて、脳外科や精神科の診療を求めるもののラチが開かない。そのうち異変は加速度的に亢進して、猛々しい形相で卑猥な言葉をわめきちらしたり、全身血まみれになって仰向けの格好で階段を駆け下りてきたり。さらには仕事仲間の映画監督がどうやらリーガンのせいで死んだらしいとの事態に至って、クリスは娘に悪魔が取り憑いていると受け止め、エクソシスト(悪魔祓い師)のメリン神父(マックス・フォン・シドー)の手に託することを決める……。
まだCG技術もなかった当時のこと、スクリーンに現れるおどろおどろしい描写も今日の目で見るなら素朴な水準だろう。だが、そうだとしても、いまなおただならぬインパクトを与えるのは、かねて指摘されてきたとおり、画面にほんの一瞬だけ悪魔の映像を差しはさむといった無意識に働きかけるサブリミナル効果もさりながら、そもそも肝心の悪魔の正体が最後まであやふやなことによるのではないか。悪魔がリーガンを寝たままベッドの上に浮かばせる有名なシーンがあるが、実のところ、わたしには悪魔そのものがとりとめなく宙に浮いているように見えるのだ。
映画の冒頭では、エクソシストのメリン神父がイラク北部での遺跡発掘現場に立ち会い、地中から現れた悪魔の像と向きあって将来の対決を暗示させているけれど、だからと言って、その悪魔がはるばるアメリカ合衆国の首都までやってきていたいけな少女に取り憑くいわれはどこにもない。そもそも古代メソポタミア文明の悪魔はキリスト教の悪魔とまったく別物のはずで、カソリックの神父がどう頑張ったところでなんら干渉できることはないだろう。そんな子どもでも首をかしげそうな設定の頓珍漢ぶりは、決して制作者の迂闊さではなく意図的な作為がもたらしたのだと思う。
本来、神と悪魔とは表裏の存在だ。つまり、わざわざイラクから悪魔を輸入したのは、アメリカ大陸にもともとあった神話を隠蔽するためだったろう。この地にはキリスト教ばかりでなく、ネイティヴ・アメリカン(インディアン)や故郷を奪われた黒人たちのなかでごく身近な存在として神と悪魔が息づいてきたのに、アメリカ社会はみずからの内に目を向けず、ひたすら外に向けようとする。ハリウッドのオカルト映画でも新しい神話が必要とされたというわけだ。その向かう先は古代メソポタミア文明にとどまらず、同じ1970年代にはもっと壮大な神話も生みだされている。
稀代のジャーナリスト、立花隆の著作『宇宙からの帰還』(1983年)は、おもにアポロ計画によって宇宙へ出かけた12名の飛行士にインタビューして、かれらの内的体験に迫ったノンフィクションだ。そのひとり、ジム・アーウィンは1971年にアポロ15号のクルーとして月面に3日間滞在して、そこで神と出会ったと証言する。「これはどうしたって、すぐそこに神は実際にいるはずだ。姿が見えなければおかしいと思って、何度もふり返って見たくらいだ。しかし、その姿を見ることはできなかった。だがそれにもかかわらず、神が私のすぐ脇にいるというのは事実なのだ。私がどこにいっても神は私のすぐ脇にいる。神は常に同時にどこにでもいる遍在者だということが、実感としてわかってくる。あまりにその存在感を身近に感じるので、つい人間のような姿形をした存在として身近にいるにちがいないと思ってしまうのだが、神は超自然的にあまねく遍在しているのだということが実感としてわかる」。かくて、かれは地球に戻ってくると伝道者となって精力的な活動をはじめた――。
むろん、ここで語られた神秘体験を疑うつもりはない。神は宇宙にもいるだろうし、だからこそ、のちにハリウッドのオカルト映画では悪魔もまた宇宙から続々とやってくるようになった。それはそれでいい。しかし、わたしがどうしても落ち着かないのは、アメリカ社会があくまで外へ外へと神話を求めて、いまだに内なる神話にあまり目を向けていないように見受けられることだ。こんな奇天烈な国は、世界広しと言えどもアメリカ合衆国だけではないだろうか(ことによれば、人々が同じ社会に住みながら、いつまでも銃を手放せない理由もそこにあるのではないか?)。
そのことをわたしに思い知らせてくれたのが『エクソシスト』なのである。
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