アナログ派の愉しみ/本◎『安井仲治作品集』
そこには伝説の
さまよえるユダヤ人の表情が
文壇にデビューして間もないころの芥川龍之介に『さまよへる猶太人』(1917年)と題した短篇小説がある。このなかで、イエス・キリストを蔑ろにした罪でひとりのユダヤ人が永遠に世界じゅうを放浪しているとの伝説を紹介したうえで、芥川はある疑問を呈している。ならば、過去に日本へもやってきたのではないか、と。そして、自分が平戸天草で見つけた古文書には宣教師ザビエルとそのユダヤ人が出会ったとする記述があって……というふうに物語が進んでいく。
そんなことを思い起こしたのは、今春(2024年)、JR東京駅丸の内口の東京ステーションギャラリーで開かれた「生誕120年 安井仲治――僕の大切な写真」展にたまたま立ち寄ったからだ。わたしはこれまでこの人物についてまったく知らなかった。1903年(明治36年)大阪の裕福な商家に生まれ、子どものころからカメラを趣味として、やがて関西のアマチュア写真界を代表する存在となったという。カネ儲けとは無縁なその作風はどこまでも自己の美意識に忠実で、だれもあえて目を向けようとしない風物を切り取ったモノクローム写真の数々はいま眺めても鮮烈きわまりない。そうした展示の一郭にひっそりと佇んでいたのだ、さまよえるユダヤ人が。
こういう次第だ。第二次世界大戦が勃発した直後の1940年(昭和15年)に、ナチス・ドイツの迫害を受けたユダヤ人たちに対して在リトアニアの領事館員・杉原千畝が大量の通過ビザを発給して救ったことはよく知られている。その避難民の一部が日本へやってきて神戸に滞在していた折り、安井は写真クラブの仲間の手塚粲(マンガ家・手塚治虫の父親)らとともにかれらが暮らす街へ繰り返し足を運んでカメラに収めた。ギャラリーには当時の雑誌『写真文化』(1941年10月号)の現物も陳列してあり、そこでは「彷徨よへる猶太人」とのタイトルを掲げてこのときの作品が特集されていたのである。
いまわたしの手元にはこの展覧会の公式図録を兼ねた『安井仲治作品集』(河出書房新社 2023年)がある。これを開いてみると、「流氓ユダヤ」シリーズとして計11点の写真が掲載され、そのなかでも最も異様な雰囲気を放っているのは「窓」の題を持つ一葉だ。白壁に空いた洋風窓の観音開きの片側だけが開かれて、室内の闇にソフト帽をかぶった男の顔の上半分がけが浮かびあがっている。眉間に深い皺を刻み込んだまなざしは、まさしくさまよえるユダヤ人のものではないか。
芥川龍之介は前記の小説において、芥川龍之介はさらにもうひとつ疑問を示している。イエス・キリストが磔刑に処せられたとき、この神の子に非礼を働いた連中は他にも大勢いたはずなのに、どうしてたったひとりだけが呪いを負わされることになったのか、と。そして、当のさまよえるユダヤ人自身につぎのように述懐させている。
「されば恐らく、えるされむは広しと云へ、御主(おんあるじ)を辱めた罪を知つてゐるものは、それがしひとりでござらう。罪を知ればこそ、呪もかゝつたのでござる。罪を罪とも思はぬものに、天の罰が下らうやうはござらぬ。云はゞ、御主を磔柱(はりき)にかけた罪は、それがしひとりが負うたやうなものでござる。但し罰をうければこそ、贖(あがな)ひもあると云ふ次第ゆゑ、やがて御主の救抜(きうばつ)を蒙るのも、それがしひとりにきはまりました。罪を罪と知るものには、総じて罰と贖ひとが、ひとつに天から下るものでござる」
もしこの芥川の理解が正鵠を射ているとするならば、全人類の罪を背負ってたったひとり十字架にかけられたイエス・キリストと、そのすべての罰を背負ってたったひとり世界を放浪しながら救済を待つさまよえるユダヤ人とは、まさしく合わせ鏡のようにおたがいに対峙しあう関係にあるではないか。安井のレンズがとらえた、あの窓枠の向こうの暗く虚ろな男の表情は、そんな受難の栄光をひそかにわれわれに伝えようとするものだったのかもしれない。
安井仲治は「流氓ユダヤ」シリーズを発表した翌年、腎不全により38歳の若さで世を去った。