アナログ派の愉しみ/映画◎クリストファー・ノーラン監督『ダークナイト』

男同士の愛の
究極の境地とは


「一度だけ言う。よく聞け。おれは本気だ。そこで何があったのか、おれは知らない。だが、もし知ったらお前を殺す。冗談を言っているんじゃないぞ」

 
これは、アン・リー監督の『ブロークバック・マウンテン』(2005年)で主人公のカウボーイ、イニスが口にするセリフだ。1960年代のワイオミング州の山岳地帯ブロークバック・マウンテンで、かれは羊の放牧の季節労働者に雇われ、同僚のロデオが自慢の青年ジャックに誘われて同性愛の道に踏み込む。その後、ふたりはそれぞれ結婚して子どもまでも授かるが、たがいを忘れることができず、たまに家族の目を盗んではブロークバック・マウンテンで落ち合って愛を交わす仲になった。だが、こうした程度では満たされないジャックがメキシコへ出かけて男娼を買ったことを告げたとき、イニスは激しく憤って上記のとおり応じたのだ。

 
このセリフに続くのが、つぎのようであってもおかしくないだろう。

 
「お前が欠けたら生きていけない。お前はおれと同じバケモノだ。世間の爪はじき者。かれらの道徳や倫理なんて善人のたわごとに過ぎない。いざとなったら、そんなものポイして、たちまちエゴ剥きだしになるんだ。いまに見せてやるさ、文明人という連中がいかに醜悪なものだか」

 
こちらは、クリストファー・リー監督による21世紀版バットマン・シリーズの『ダークナイト』(2008年)で、悪の権化ジョーカーが告げるセリフだ。舞台は架空の都市、ゴッサム・シティ。大富豪ブルース・ウェインは最先端技術を備え、全身黒ずくめのバットマンに扮して街の平和を守っていたところ、顔にピエロの化粧を施した素性不明のジョーカーが立ちはだかってつぎつぎと極悪非道のかぎりを尽くしながら、ふたりだけになると臆面もなく心情を吐露するのだった。

 
実は、『ブロークバック・マウンテン』のイニスと『ダークナイト』のジョーカーはどちらもオーストラリア出身の性格俳優ヒース・レジャーが演じたうえ、直後に28歳の若さで急死したせいでいっそう存在感を印象づけた事情もあり、このふたつの役がひとつながりに見えてしまうのはわたしだけではないだろう。そんな先入観の作用を否定しないものの、しかし、前者が大自然の風景のもとで男同士の性愛のけなげさと哀しさを描いているのと同様に、後者においてもケバケバしい現代都市の光景のもとで驚天動地の事件や複雑怪奇な人間模様のすべてを棚上げにしてみれば、そこにやはり男同士の純情な恋愛劇が浮かびあがってくるのは事実だ。

 
そのクライマックスで、バットマンは高層ビルの最上階に追いつめたジョーカーを窓から放り投げると、ジョーカーは転落していきながら歓喜の高笑いをあげる。すると、バットマンは秘密兵器のチェーンで捕らえて救ってやり、ジョーカーは宙吊りになったままとめどなく陽気な饒舌を弄し、こんな対話が交わされるのだ。

 
「お前って奴はどうしてもおれを殺せないらしいな。『高潔な精神』とやらを本当に持っているらしい。そいつが邪魔しておれを殺せないのだろう。おれだってお前を殺せやしない、せっかくのオモチャだからな。どうやら永遠に戦い続ける運命のようだ」
「お前は病院送りだ」
「あははは、いっしょに入らないか。イカれた同士でベッドを占領しようぜ!」

 
まさに両者がここで懸命に手さぐりしあっているビジョンこそ、異性愛からは決して辿りつくことのできない、男同士の愛の究極の境地なのだろう。

 
さらにつけ加えるなら、ブロークバック・マウンテンでイニスとジャックが愛を育んだ時代のころ、アメリカでも日本でも当時の白黒テレビでは『バットマン』シリーズが大人気を博していたが、初々しいバットマンと助手のロビン少年をめぐるドラマには濃厚な同性愛の気配が漂っていたのを思い出す。そう、『ダークナイト』のジョーカーとは、かつてのロビン少年の歳月を隔てた姿ではないか、とわたしは想像しているのである。
 

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