アナログ派の愉しみ/本◎村上たかし 著『ピノ:PINO』
もうひとりの鉄腕アトム
ここに現る!
福井健太編『SFマンガ傑作選』(創元SF文庫)を手に取って、つい「わっ」と叫んでしまった。巻頭に『アトムの最後』が収められていたからだ。手塚治虫が世に送りだした最も有名なロボット、鉄腕アトムは絶体絶命のピンチを必ず乗り切り永遠に不死身と思い込んでいたところ、この50ページほどのエピソード(『別冊少年マガジン』1970年7月号掲載)で最期を遂げていたのだ。それもおよそ想像を絶するかたちで。
ときは2055年。アトムは2003年に誕生したという設定なので、すでに約半世紀が経過した時代だ。そのころ世界はロボットたちによって支配され、人間はかれらの慰みものとして競技場で殺しあいをするために人工授精で飼育されていた。鉄皮丈夫はこうした運命に逆らって恋人のジュリーを連れて逃走すると、かつて人間に頼もしい味方が存在したことを思い出し、ロボット博物館に忍び込んで、そこに保管されていたアトムに助けを求める。ただちにふたりを抱えて大空へ飛び立ち、孤島にかくまうなり、追っ手のロボット軍団に立ち向かって勝ち目のない闘いを挑むアトム。その背後では、丈夫が恋人のジュリーもロボットだったと知ってレーザー銃で殺し、自分もまた殺されてしまう……。
すなわち、アトムは博物館での眠りから目覚めると、自己犠牲によって若いカップルを守ろうとしたものの、相手があっけなく自滅したせいでただの犬死にで終わったというわけだ。こんな最期とは! 発表当時、安保闘争の流血あいつぐ社会状況を受けて、手塚作品がおしなべて厭世観を濃くしていたにせよ、日本だけでなく世界じゅうの少年少女への愛と勇気の伝道師だったアトムの終焉としては無惨に過ぎるのではないだろうか?
そんなわだかまりがあっただけに、村上たかしの新作マンガ『ピノ:PINO』(2022年)と出会ったときには渇きを癒される思いがしたものだ。もうひとりの鉄腕アトムがここに現れた、と――。
ちょうどアトムが地上から永遠に去ったのと同じころ。人工知能(AI)が人間の知能を超えるシンギュラリティ(技術的特異点)に達した2045年から数年が経ち、日本のメーカーも小柄な人型のAIロボットを量産して、ピノと名づけられたかれらはさまざまな分野で仕事に従事していた。ときを追って人間とのパートナーシップが深まるなか、絶対的なルールはただひとつ、ロボットは「心」を持ってはならないことだった。
主人公のピノは、認知症の「良子さん」と同居する介護用ロボットだ。かつて交通事故で死んだ息子がよみがえったと信じる「良子さん」に合わせ、かれはその「サトル」になりすまして働いていた。両者は実の親子のように仲睦まじかったが、ピノはあらかじめプログラミングされたアルゴリズムにもとづいて行動しているだけ……のはずだった。ところが、突然、別の仕事に従事していた個体が「心」を持ったらしいとの疑惑が浮上して状況が一変する。すべてのピノを回収・廃棄処分とする決定が下され、「サトル」もネットからウイルスを送りつけられて全機能が停止する運命に。残り時間のかぎられた「サトル」は「良子さん」に向かって「一度ボクを『ピノ』って呼んでくれまセンカ?」と伝え、その願いが叶えられると、認知症の相手をグリグリと抱き締めた。
サトルくんノ代わりではナク
ボクとシテ――
お母サンに愛されてみたカッタ……
ごく平明な場面でありながら、気づいたらわたしの頬は感涙にまみれていた。そう、この瞬間、主人公のピノも「心」を持った。こうして「心」から出発して最後に虚無のかなたへ姿を消した鉄腕アトムと、虚無から出発して最後に「心」を手にしたピノが円環を描いてひとつになったのだ。
こんなふうに理解したらどうか。やがて訪れるシンギュラリティは、なにもAIと人間の知能がせめぎあったあげくの帰結なのではなく、それを契機として人間が世界との向きあい方をいっそう豊かなものへ更新できるかどうかが問われているのだろう。そして、本来部品を交換すれば永遠に機能するように設計されていたピノが、死までの寿命を知ったとたんに「心」を持ったとは、われわれ自身、とかく寿命から目を逸らすあまり「心」を見失いがちなことの比喩に他ならない。不老不死は「心」の不在と同義なのだ。