アナログ派の愉しみ/本◎小島烏水 著『奥常念岳の絶巓に立つ記』

悠久の天地のはざまで
心安んじて大自然と交感した記録


一篇の詩と言うべきだろう。

 
 我は、今この高山の頂に立っている、昨日も今日も霧が下りないから、雷鳥は影も見せない、風死して動くものもない、身も魂もこの空気の中に融(とろ)けてしまいそうだ、しかしいつまで経っても、融けもしなければ揺ぎもしないものは、穂高と槍である、無限の時間と空間とに、不朽の身を向けている一本槍の槍ヶ岳は、ここから見ると、七、八個の鈍頂と一個の鋭錐とを有して天を刺している、或時は月を貫ぬき、或時は雲を截(き)る、槍に続いて赤岳や、祖父(じい)ヶ岳が見えるが、その以北は距離も遠いから、藍色に冷めている、常念は穂高と直線に睨(にら)み合い、槍に向って北東へ近く斜線を放ち、御嶽や乗鞍岳に向って南西へと遠く、大斜線を放射している。

 
筆者の小島烏水(うすい)は1873年に香川県高松で生まれた。文明開化の明治時代において、横浜正金銀行のエリートサラリーマンの道を歩む一方、近代登山草創期のパイオニアとして日本アルプスを中心に果敢な足跡を刻み、のみならずその体験を出版して、世の人々に日本の山岳の魅力を教えたのである。ここに掲げた『奥常念岳の絶巓に立つ記』は1906年(明治39年)に執筆されたもので、その美文調の文章を追いながら、わたし自身、かつて登山熱に促されて同じ光景を眼前にしたときの感動がありありと蘇ってくるのだ。

 
長野県安曇野市の中房温泉が登山口だ。約5時間をかけて燕岳(2763m)に達し、燕山荘泊。翌朝、北アルプスのいわゆる「表銀座」の縦走に入り、約2時間半で大天井岳(2922m)、さらに約4時間歩いて常念岳(2857m)登頂。先の文章はそこから眺めた光景を綴っている。烏水が登った当時と違って現在は登山道も整備され、夏山シーズンには屈指の人気を誇るコースだけに、ウェブを検索すれば多くの登山者が投稿した写真も見られるだろう。だが、わたしにはどんな映像よりも、烏水が活写した場面のほうがずっと脳裏の光景に近い。

 
そこには言葉ならではの喚起力とは別に、もうひとつ重大な理由がある。この文章には、悠久の天地のはざまで山岳の頂点をしっかと踏みしめ、心安んじて大自然と交感している人間の姿が窺えるからだ。それは、昔日のわたしにとってもごく当たり前の姿だったはずだ。

 
しかし現在、日本列島は千年に一回という活動期にあって、長野県もしばしば大地震に見舞われ、また、文中に登場する御嶽では噴火によって多数の犠牲者が出たことも記憶に新しい。この国土の平穏は失われ、ふたたび旧に復するにはまだかなりの年月を要するのだろう。おそらくわたしは生存中、もはや心安んじて北アルプスの山頂を踏みしめることは叶わないのだろうが、それもまた、この時代に大自然が授けてくれる叡智なのかもしれない。

 
 自然というものは、自分の感じた通りに現われもし、動くものであると、自然の自由(リバティ・オブ・ネーチュア)とは、即ち自分の感じ得る自由である、我はこの山脈に分け入って、昨は月の清光を浴び、きょうは雲漫々たる無限を踏む、我といえる一個体、一霊魂、一可燃体の存在を許して我を通過して観ぜしむる宇宙は存外小さいものではあるまいか。

 
烏水はこう登山記を結んでいる。


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