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これまでいろいろな作品を味わってきた(文学は心を扱う⑭)

これまでいろいろな作品を味わってきた。
芸術をみ、その味についてうんぬんする。

でも、忙しいと、人は他人の「食」に、苛立つようになる。
あなたはそれを購買する能力があったのですね。
あなたはそれを味わう時間があったのですね。
あなたはそれについて発言できる余裕があったのですね。
・・・嫉妬の嵐。
個人的な感想文を楽しめる余裕があるか。
「半身社会」(『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』)に必要なのは、心の余裕である。

料理人(作者)にはお客(読者・批評家)の反応感想はありがたい。
食レポした人物は、自分以外の人はその味をどう感じただろうか、と、隣をちらり、とやりたくなるもの。
作者も、批評家も、何かを表している、という点では表現者である。
表現者になる、ということは、案外重要なことかもしれない。
(noteを書くということも、表現者になる、ということだろう。)

他者の人生を想像する、思いやりをもつ余裕。
他者の味わいを喜ぶ、追体験する、それをさらに吟味する余裕。
そういう半身社会がいいな、と思う。

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