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これまでいろいろな作品を味わってきた2(文学は心を扱う⑮)

AIも、作品を「学習」しているのだろうが、AIと人間の作品の取り込み方で違うのは、もしかして、余分な何かだ。

例えば作品Aを読んでいる時に、音楽Bをよく聴いていたりする。
人間の学習とは、そういうものだ。
ドーナツを食べていたり、失恋していたり、緊張していたり。
その時の状況というものが、インプットに余分なノイズ(『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』p224)を忍び込ませることになる。

そういう余分な何かが、不確実な未来を生む。
予定調和ではない、多様な未来を選ぶ。
でもそれが、滅亡を呼ぶかも知れない。
自分たちで、滅びの道を選ぶかも知れない。
しかし、同じことばかりを繰り返すことができるという幻想は、夢物語。
100%環境が変わらない実験箱の中で、同じ化学反応ばかりを繰り返すのとはわけが違う。

人間は不完全な存在だ。
だからこそ、完全を目指す。
不完全な存在だからこそ、これからの未来に適応していける余白を残している。
そんな人間を、愛おしいと思いながら読解する。
文学的とは、そういうことかもしれない。

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