見出し画像

文学を人生のBGMに①

結局、私にとっての「文学的でありたい」とは、
①心をなくしたくない
②充実したウェルビーングな生活を送りたい
ということか。

「文学は心を扱う」というタイトルで前回まで書いてきた。
多忙やなんやで心をなくしたくはない。
心をなくさないために、心を扱っている文学を大切にしたい。
でも、仕事や家庭に忙しくなると、文学を大切にしない自分がいた。
だから、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』?というモンダイについて考えてみているのだ。

心をなくさずに、ウェルビーングでいられるのなら、別に文学は必要ない。
ウェルビーングという言葉がこの頃の流行りだ。
ウェルビーング。上機嫌(×不機嫌)でいたい。笑顔でいたい。
そうあれるのなら、スポーツでも、家族サービスでも、映画でも、釣りでも、ネットでも、音楽でも、アニメでも、テレビでも、お笑いでも、AVでも、なんでもいいのだけれど、
やっぱり文学でしか満たされない部分があって。

でも文学作品は読めない、読む余裕がないよなあ、みたいな。
「文学作品を楽しみたいのに楽しめない」モンダイとなる。

で、3つの解決方法を思いつく。

解決法1:読むための技法を身に付ける。
これは、文学について書かれた本を参考に、考えていきたい。
テリー・イーグルトンの『文学とは何か』とか、ジョナサン・カラーの『文学理論』とかを読み直して。
不安:他人のそれをなぞる繰り返しは、満足感を得られない。自分だけの読みを見つけられなければ。でもそれには時間がかかる。なら、やらなくていーんじゃない、と思ってしまいそう。

解決法2:時間と集中力をつくる
スキマ時間で分断された読書時間でもいい、時間をつくる。
他の「娯楽エンタメ」に時間を奪われない。
時間があっても、集中力がない。読書家の人たちは、何時間も連続して読めるみたいだが、私にはその集中力はない。
散漫力(佐々木俊尚)で、太刀打ちする。
とりあえず、過去に読了した作品の「再読」でならできそう。途中で読みやめても気にならない。(これは若いあなたには無理な解決方法ですね。すみません。)
そこから、若かりし頃の読書力を復活させたい。(いや、そもそもそんなものあったのかな?)
「文章(他人)」を読むリハビリだ。

解決法3:読んだあとの記録を上手に
読んでいる途中に、登場人物を忘れるとか、筋を忘れるとかいうことがある。
メモをしながら読む方法を確立する。
また、読んだ後に必ずアウトプットをする。記録しておくことで、あとでふりかえることができる。それで深い読みに移行する。より満足感を得られる。
アウトプットは、自分だけのクローズドと、ネットや知人へのオープンとがあるが、クローズドはObsidianで、オープンはnoteで。
毎日noteを400字くらいで投稿しているが、noteは文章を書くリハビリだ。

ということで、私は再び文学を人生のBGMにして、傍らに置いておくことに決めた。
そういう心持ちになれたことが嬉しい。
でも、このしちめんどくさい芸術作品(文学)を受け入れるということは、前回書いた「毒」を受け入れるということである・・・。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?