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表現する者(創作的な文学的⑤)

自分でも表現をする、ということについて。
身を切る。血を吹き出しながら。
それを見てもらう。
のたうちまわる自分を、
必死のパフォーマンスを。
昨今の、インターネットでプライベート思考を切り売りしている人々も。
自分の頭の中を覗いてもらう、ということは、それなりの覚悟が必要だ。
批判にさらされる魂。
解剖されるココロ。
毎度アスカ・ラングレーは大衆の面前で、天使達に貫かれる。

みじめさを受け入れて書く。
太宰治の道化。
大江健三郎の道化。

現実世界において作家がいかにも無力であるとしても、すくなくとも道化的本質をバネとしての抵抗をもくろもうではないか?作家の表面的な社会的位置による社会参加よりも(それがいくらかでも実効性をもてば、あえてその欺瞞をひきうける必要はあるが)、道化としての作家の八方破れの抵抗にこそ、あきらかに文学の正統的な本質に立つところがある。

大江健三郎『表現する者 状況・文学』「4恐怖にさからう道化」より


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