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これも、クリスマスの奇跡
いきなり冬!
の風景。
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雲がドラマティックな陰影をつくり、
やっとクリスマスが近いことを実感します。
そろそろ、ツリーも出したい。
今回はクリスマスにまつわる「エトセトラ」を書きたいと思います。
わたしは、
家の前にあった、という理由で、
キリスト教の幼稚園に通っていました。
なので、クリスマスは小さいときから特別なもので、
わくわくするイベントが盛りだくさんで大好きでした。
キリストの生誕を祝い、
讃美歌をうたい、
クライマックスはサンタが幼稚園にやってきたり。
おぼろげな記憶では、
園児は一堂にぐるりとまるく配置され、
椅子に座ってサンタの登場を待ちます。
わたしは楽しみというよりも、
少し怖かった。
いまか、いまかという恐怖感。
シャランシャラン
鈴の音が高らかに鳴り響くと、
緊張感はマックスとなります。
赤いサンタの格好をした男の人が、
黒い雨靴そのままにドカドカと上がってきて、
その傍若無人さにたじろぎ、
泣きはしなかったけれど、
嘘のサンタにかなり引いていた記憶があります。
と、言いつつ、
一人一人配られるプレゼントはちゃっかり受け取っていたけれど。
あのサンタは園長先生だった。
いつもポロシャツを着て、
健康的なはつらつとした方だったけれど、
晩年はアルツハイマーとなり、
歩く姿がまったく違う人のようになったと、
遠くから悲しいとか寂しいとか、
そんな気持ちでしばらくのあいだ先生の姿を、
眺めていたことも思い出しました。
ものごころつく前から、クリスマスは身近にあったから、
サンタクロースの存在も、
紙芝居や絵本から知っていました。
いくつまで信じていたかは覚えていませんが、
かなり幼いときから、
「うちにはサンタが来ない」
という確信がありました。
なぜなら、煙突が小さいから。
とても人が入る大きさの煙突ではないから。
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「人は通れん」と。
案外クレバーな子供だ☺
それでも、
やはりクリスマスは素敵な奇跡がおこっても不思議ではない
ロマンティックな要素をいくつもたずさえています。
十代、二十代の頃に読んだチャールズディケンズの
「クリスマスキャロル」なんか、
まさに奇跡そのものだし、
特に昔は、
クリスマスの奇跡をモチーフにした映画も歌も物語も多かった。
そして必ず、
あったかい気持ちになりました。
今でもハロウィンよりクリスマスが大好き。
思い描いたロマンティックな奇跡はいまだに起こらないけれど、
あーちゃんが2019年の12月にうちに来たことも奇跡。
クリスマスを題材に、
最高に幸せな絵を描こう!と思って描いた絵です。
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「一番幸せな風景」を思いながら描いたら、
結局、暖かい部屋で、それぞれが準備をしている絵になりました。
実際みんなでご飯を食べたり、
ケーキを切り分けていただくのも幸せだけれど、
最高に楽しいおいしいを体験するために、
誰かのために準備する時間が一番幸せなんだろうなと、
描きあがっていく絵を見ながら思いました。
途中、不思議な感覚が起こりました。
わたしはちょくちょく、
「セラピーのときに」という文言を残していますが、
だいたい2か月に一度、
心身ともにデトックスをはかっています。
(頭が堅物のため、からだに負担かけているのです、、、)
同じサロンで、最初はロミロミをして、
からだをリラックスさせて、
その後セラピーのセッションというコースです。
毎回、自分でもうだいたい解決できるから、
セラピーのセッションいらんなーと思うのですが、
あら不思議。
一週間前、もしくは前日に、
ちゃんと問題が起きて、
解決に向けてのセッションを行うことになります。
12月4日に立ち上がったテーマが、
憐れむ、悲しむのをやめる。
好きなまま距離をとっていい。
距離をとるために、嫌いにならなければならない、
は、間違い。
でした。
絵を、鉛筆で描きこんでいるとき、
ふと泡が立ちあがってくるかのようにポツポツと、
なんの脈絡もなく、
「昔、わたしは、おいしいもの食べたら」
「ああ、これお母さんに食べさせてあげたい、と思ったな」
「この温泉いいなぁ、お母さん連れてきてあげたいな」
「と、いつも思ったな」
少しでも自分が良かった、と思えば、
お母さんにも!お母さんにも!お母さんにも!
わたしが幸せに思えば、
大事に思っている人にも同じ気持ちを味わってもらいたい。
そんなふうに思っていた記憶が、
奥深くもぐって、すっかり忘れ去られていた記憶が、
クリスマスの絵を描いているときに、
重たい蓋を自らあけて、
湧き上がってきたのです。
密かにわたしは、
血がつながっていようがいまいが、
見限ったら心が動かなくなる傾向にあります。
そんな自分を、実はサイコパス気質なのではないかと、
うっすら冷たく、怖く思うところもあったのですが、
違う。
実際は自分よりも、
大好きな人に幸せになってほしい、
と願う想いが、
ちゃんと根っこのほうにありました。
クリスマスの絵を描いているときに訪れた、
「クリスマスの奇跡」
これもきっと奇跡、ギフトです。
まだ少し早いですが、皆さまも素敵なクリスマスをお過ごしください。
最後までご覧いただきありがとうございました☺