旅ノォト(天草 崎津集落)
2018年7月、
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」のひとつとして、
天草市の崎津集落は、世界遺産に登録されました。
ニュースで崎津集落の映像が流れたとき、
直感的に、
「この場所に行きたい!」
と強く思ったのが一番最初でした。
2019年、長崎旅行の際は下調べ不足で行けず、
その後、コロナで遠方への旅行は避け、
今回、推しのHANCEさんのライブが9月2日行われることになり、
いよぉし、ここを起点に天草へのプランを立てるか!と、
ひさしぶりに旅のしおりを作成したのでした。
「天草の崎津集落、いよいよ行くのよ」
と、自慢げに髪をなびかせながら言うと、
「へ?へぇ」とだいたいの人はぼんやりとした反応をします。
思った以上に、あまり興味がないようです。
またそれにわたしはびっくりします。
なぜ、わたしはここまで天草の崎津集落に惹かれるのか。
わたしは宗教を持ちません。
今後も特定の宗教には入らないし、実家も無宗教でした。
ただ、家の前にあった、
という理由で入った幼稚園がキリスト教信仰でした。
小さいときから、
イエス様とマリア様と賛美歌は常にそばにありました。
素養はできていたのです。
また、若い頃遠藤周作先生の小説が大好きで、
ほぼ読破しました。
隠れキリシタンを題材にした、読んでいて少し苦しくなるような作品もありました。
あの頃から、なぜそこまでして信仰を守らなければならなかったのか?
という疑問がうっすら積もっていたのかもしれません。
9月1日、兵庫県から熊本へ。
昼に熊本へ到着、すぐに天草行きのバスに乗り2時間半、上天草の本渡に
15時過ぎ到着。
翌日、5時半に起床、
7時のバスで崎津集落へ向かいました。乗客はわたし一人。
途中、新丸山で乗り換えて1時間半。
崎津に到着しました。
バス停を降りて、
この光景を見たとき、
漁村に立つ、崎津教会を見たとき、
感極まって涙が勝手にこぼれて泣きました。
感動に近い心の震え、
やっと来た、とか、帰って来た、とか、
そんなうれしさでした。
なぜそこまでこがれていたのか、正直、いまだに謎です。
見学を9時半に予約していて、
その時間に教会内に入ると誰もいませんでした。
中はなんと畳敷きで、遠く高い場所、真正面にはイエス様の像、
右側にはマリア様、左側は赤ちゃんを抱っこしたおじさん(すみません)。
またしても尊い思いが胸いっぱいに広がって、
涙がぽろぽろこぼれて、図々しくもパイプ椅子を出してきて居座り、
泣きながら遠くの像を眺めていました。
30分くらい、、、
イエス様、、、
大橋トリオに似てます、、、
失礼ながら、泣きながら本気でそう思っていました。
崎津教会は昭和9年に現在のこの場所に建設されました。
キリシタン弾圧の象徴である踏み絵が行われていた庄屋宅跡地で、ハルブ神父の強い意向で、この場所に建てられたそうです。
ただし、交渉は難航したため、資金不足になり、
教会の表側はコンクリート、後ろのほうは木造になっています。
神父の、
昇華させたかった強い意志が尊いです。
朝、8時15分に到着し、
帰りは10時49分のバスに乗って、本渡(上天草)まで戻ります。
崎津に滞在2時間と少し。
短いやん!と思いましたが小さな町で十分でした。
そして、朝いちばんに行ってよかったとつくづく思います。
この時間帯になると、観光客がわらわら増えてきました。
朝いちばんだったからこそ、教会内で言葉にならないじわっとした想いを味わいながら30分もその場を独り占めできたのでした。
貴重な、非現実的な、30分でした。
良かった、ほんとうに。
<記録>
10時49分 崎津教会前
11時 新丸山で下車(30分待ち)
11時39分 新丸山~
12時35分 本渡バスセンター着
13時58分 本渡バスセンター~
16時35分 熊本駅前着
17時04分 熊本発
17時43分 博多着
乗りテツ気味なので、バスの移動や電車移動はノープロブレム。
すれすれライブは時間通りに間に合って良かった、と
安堵のビールを駆け付け3杯。
旅ノォト、
わたしの旅の記録、
最後までお読みいただきありがとうございました。