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『猫は知っていた』仁木悦子

作者のお名前は存じておりましたが、手に取るのは今回がはじめてです。

なんと、初版が1957年。昭和32年とのことで。
さぞや古めかしく小難しい文体で書かれているものと思いきや、まったくそんなことはなく、読みやすいのなんの。
一行めから、あまりにすいすいと読み進められるので、この作品が書かれたのが今から65年も前だということが頭からすっかり飛んでしまって。

冒頭あたりで主人公の悦子と兄の雄太郎が、今まで借りていた部屋を追い出されてしまい、病院の小さなお嬢さんに悦子がピアノを教えることを条件に間代まだい半分という待遇で新しい下宿先を確保した……というくだりで、
「あら、もしかしてご両親を亡くして兄妹二人、身を寄せ合って暮らしているのかしら」
などと想像をたくましくしていました。

ところが、悦子たちのご両親は健在で。巻末の解説を読んで、この当時は一般家庭に間借りして下宿することが多かったとあり、そういえば昭和三十年代のお話だった、と思い出す始末。
そのくらい、読んでいて違和感のない推理小説でした。

強いていうなら、登場人物たちの台詞の端々はしばしから、少し古風な香りが漂うかな、というくらいで。
目上のひとに向かって「きみ」と呼びかけたり(現在なら「あなた」が主流ですよね)、女性たちのちょっとあらたまったときの台詞の語尾が「~ですの」というところに時代を感じました。

そして肝心の物語ですが、悦子と雄太郎が下宿先の箱崎医院にやってくるところから始まります。
院長一家と、居候中の親戚の少女、飼い猫のチミ。
看護師たちと病院に入院中の患者たち。

やがて事件が発生し、犯人探しが始まります。
それも、ただの犯人探しではなく、どうにも一筋縄ではいかない状況で。

これはなにかの伏線かしらと思うような妙にひっかかる場面や、怪しげなそぶりを見せるひとびと。
もう、主人公たち以外、全員怪しく思えてきます。

途中で、もしやこのひとが犯人では、と目星をつけた人物がいたのですが、いやはや、そうきますか……。まんまとミスリードされてしまいました。

ネタバレになるので内容にはあまり触れられないのが辛いところです。

好奇心旺盛な主人公の悦子は、軽いフットワークでいろいろ首を突っ込んでは情報収集にあたるのですが、わたしがもっとも彼女に対して親近感を抱いたのは、「七月五日 日曜日」の章の冒頭です。

「猛烈に暑い日だった。私は、一メートル四五センチ、六〇キログラムの肉体をもてあましながら、炎天下を歩いていた。」

レディの体重を堂々と明かしているところに、もう好感しかないです。こういう子、好き(笑)

いっぽう、兄の雄太郎はひょろりとした長身の持ち主で、この兄との落差について、内心不平不満を漏らす際の悦子の言い回しがまた最高にイカしています。

優れた観察眼を持つ彼女とともに事件の真相を探るのが楽しい作品です。
事件そのものは、なんともいえない結末が待ち受けていましたけれど……。

主人公であり探偵役の仁木兄妹。妹の悦子は作者と同姓同名で、推理小説の主人公や探偵役が作者と同じ名前のシリーズはいくつか思い浮かびますが、もしかしたらこの仁木兄妹がその走りだったのかなと、ふと思ったりしました。


防空壕とか、現代の日常生活ではまずお目にかかることのない昭和の名残が作中のあちらこちらに散りばめられていて、今ではあまり馴染みのない、そういったものたちに出会う新鮮な楽しみも味わえる一冊です。
ほかにもシリーズ作品があるようなので読んでみたいです。

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