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チェロのエンドピンは「ダサい」ものだった? エンドピンの歴史

 エンドピンは現在のチェリストに欠かすことのできない部品の1つ。多くは金属製、カーボンで尖っている先端を床に刺して使用するものです。(ホールによっては床の損傷を防ぐため刺すことを禁止しているところもあります。) エンドピンで楽器の下部を支えることによりチェリストは上下自在にポジション、体重移動ができるようになっています。床への刺し方が甘かったり、先端部分がすり減っていたりすると、体重をかけた瞬間ズルッ!!!!と滑ってしまい、これが本番やオーケストラの中など大勢の前で起こると非常にカッコ悪いことになってしまいますが…。

 今日はエンドピンの歴史について書いていきたいと思います。

 元々チェロにエンドピンはありませんでした。チェリストは演奏する際チェロの下の部分を足に挟み演奏していました。楽器をずっと同じ位置でキープして足で挟み続けるというのは決して楽ではないでしょう。バランスも問題です。低いポジションの時は左手がネックを押さえることでチェロの上部、足でチェロの下部分を支えるのでバランスが取れますが、ハイポジションを弾くために手と体を下の方に持っていくと下に力が集中しバランスが崩れてしまいます。そして衣服の素材によっては滑ってしまいそうですが、当時の服装では問題なかったのでしょうか…?

お辞儀の和音で始まるソナタでお馴染みブレヴァルのチェロ教本の挿絵

 エンドピンを作り出したのは19世紀のベルギーのチェリスト、フランソワ・セルヴェという説が一般的ですが、少なくともそれより100年前の1765年頃に初版が出版されたロベール・クロムの教則本にエンドピンのような記述が登場します。
「初心者には楽器の下部に穴を開け、木のネジをさしこんで床に立てることをすすめる。またこれは必要なときははずせるようにする。」
(チェロの本 歴史、名曲、名演奏家  エリザベス・カウリング 三木敬之訳より)

この当時はエンドピンは木製、そして初心者のための補助具であったようです。

 100年後、1852年にセルヴェのエンドピンが世に出ますがその後もなかなか受け入れられませんでした。
「チェロの100年史ー1740〜1840年の技法と演奏実践」
(ヴァレリー・ウォルデン 松田健 訳)にはこのような記述があります。

「セルヴェの影響力の大きさにもかかわらず、エンドピンは20世紀初めまで、独奏者が標準的に使うフィッティングにはなりませんでした。19世紀の奏者の間では、エンドピンの利用にはまぎれもなくアマチュア的な、あるいは女性的なニュアンスがついてまわり、おそらくプロの音楽家たちは男のプライドを傷つけるものと考えていたのでしょう。エンドピンがより広く受け入れられてからでさえ、19世紀後半のチェロ奏者、たとえばアルフレード・ピアッティ、W・E・ホワイトハウス、フリードリヒ・グリュツマッハー、そしてローベルト・ハウスマンはエンドピンを使って弾くことを拒みました。」

 以上の文献の記述からエンドピンができた当初は初心者のもの、体の小さい女性のものという風潮があったことがわかります。そしてピアッティやグリュツマッハーといった当時のヴィルトゥオーソ達はエンドピン無しで演奏していたということも…!彼らのエチュードやカプリスはエンドピンを使用している現代のチェリストにとってもパーフェクトに演奏するのは決して簡単ではありませんが、彼らはエンドピン無しでどのような演奏をしていたのでしょうか……。


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