チェリストの歴史 ドレスデン楽派について
ドレスデン楽派はチェロの演奏技法を体系的にまとめ、教育的価値のある教則本、練習 曲を多数出版したユストゥス・ヨハン・フリードリヒ・ドッツァウアー Justus Johann Friedrich Dotzauer (1783-1860) とフリードリヒ・アウグスト・クンマー Friedrich August Kummer(1707-1879)を中心としたチェロ奏法の流派の一つである。
ドレスデン楽派の源流はベルンハルト・ロンベルク Bernhard Romberg (1767-1841) とさ れている。
ロンベルクはドイツのチェリストでヨーロッパ各地を巡業し、パリ音楽院にも 2 年間在職した。1803 年から 1806 年の間と、1816 年から 1819 年の間ベルリン宮廷楽団に 属していた。演奏活動の引退後に書いた《チェロのための理論的かつ実践的な完全版のチ ェロ教本 Violoncell Schule》は 1829 年にイングランド、フランスで 1840 年にドイツで出版 され、パリ音楽院での採用が認められた。
ロンベルクの他にフランス人のチェリスト、ジャン・ルイ・デュポール Jean-Louis Duport (1749-1819) もドレスデン楽派の原点だといえる。
彼はデュポール兄弟の弟で、パリで活躍 したのち、1790 年に革命から逃れるためベルリンに移り住んだ。ベルリン宮廷楽団に属し、 前述のロンベルクと同僚であった。1806 年に《ヴィオロンセルの運指法と運弓法に関する 試論》を出版した。この教本は「試論」とそれを応用する 21 の練習曲からなるが、現在で は練習曲の部分が独立して出版、使用されている。
ドッツァウアーはドイツのテューリンゲン出身のチェリストで、1799年にデュポールの 弟子のクリーグに学ぶためマイニンゲンに引越した。
1806 年にはベルリンのロンベルク に学ぶため、ロンベルクと 6 ヶ月間生活をともにした。この期間にデュポールにも会った 可能性が指摘されている。つまり彼は当時のドイツとフランスの最先端のチェリストから それぞれ学んだと言える。ドッツァウアーは 1811 年にドレスデンに拠点を置き、1821 年 にドレスデンの宮廷楽団の首席奏者に任命された。彼は多くのチェロのための作品、管弦 楽作品、宗教作品を作曲し、1832 年に《チェロ教本 Violonzell-Schule》を出版した。彼の弟 子のヨハン・クリンゲンベルク Johan Klingenberg(1852-1905)がドッツァウアーの練習曲 を収集、編纂した「113 の練習曲」は今もチェロの学習者に使われている。
クンマーは 1797 年にマイニンゲンに生まれ、1805 年に家族とドレスデンに移った。
最 初に誰のもとでチェロを始めたのかは分かっていないが、1811 年にドッツァウアーがドレスデンにやってきてからは彼に師事した。1817 年からドッツァウアーと同じくドレスデン の宮廷楽団のチェロ奏者となった。1850年にはドッツァウアーの引退のため第1チェロ奏 者に、1856 年にはドレスデン音楽院の教授に任命された。彼も師と同様、多数の教育的作 品を作曲し、《チェロ教本 Violoncell-Schule》Op.60 が 1839 年に出版された。
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