継続は力なりは上級者のイキリ、初心者のための継続マニュアル
よく継続は力なりと言う。私自身も激しく同意するし、実際周囲の方々は私に対して、流石継続は力なりを体現してるね、なんて言ってくれたように記憶している。
しかしこれまでに色々と見聞きし経験してきて、果たして継続は力なり、とは正確なのだろうか、と思うことが増えてきた。
継続は力なり、毎日コツコツ。幾度となくその重要性を思い知らされてきたし、大事なのは分かっているのだが、あまりにも曖昧すぎはしないだろうか?継続すればいいのは分かってるけど、何をどれくらい続ければいいんだろう、そのノウハウや具体的な手法に関しては一切触れず、「まずは毎日コツコツやることだよ」なんていってもそれは無責任だし、抽象的すぎて物事を始めるのにあまりにエネルギーがいる。
継続は力なり、とは、継続の流れに既に乗れている人が、自らを振り返って思うことなのではないか、それで生まれた言葉なのではないか、私はそう思うのである。
たとえば私の大きな成功体験は、勉強、ボディビル(筋トレ)だ。過去のもので言えば、水泳、絵、ピアノ、ブログなんかがある。
その成功体験を振り返ると、「ああ、やはりコツコツ続けたからこそ今の私がある。継続は力なりだなぁ」なんて思うことが出来るのだが、
そんな私も、さてなにか新しいことをやろう。技術を身につけよう。特技を作ろう!そう思った時にほとほと困り果てるのだ。
たとえば今の私がふんわりと出来たらかっこいいな、なんて思ってるものは、英語、サックス、中国語、イラストあたりである。
英語やイラストは多少経験があるとはいえ、まあ目標から比較するとズブの素人と言って良い。
そうなった時に過去の様々な成功、継続による成功体験があるにもかかわらず、どうしてよいのか、なにをすればよいのか困り果ててしまうのである。
周りを見渡しても、勉強は得意だがスポーツは苦手、音楽は得意だが勉強は苦手なんて人間はざらにいて、レオナルド・ダ・ヴィンチなようななんでも出来る万能人なんてのは全然いない。私は中学から現在にかけて、日本を代表する秀才、天才達と接し、交友関係を築いてきた。彼らは皆一芸に特化している、継続と才能の鬼のような人達ばかりだが、多芸千万、武芸百般というような人間は非常に数少ない。
つまり継続は力なり、とはその分野の初学者に対しては宛にならない言葉なのだ。
だがしかし、これからはより一層情報化も進み、新しい情報がすぐに手に届き、個々人のアウトプットに価値が生まれる時代となるだろう。 YouTubeで名曲は聞けるし、AIに聞けば専門知識も拾える、誰もが最新の知識に簡単に触れられる時代だからこそ、生の人間の価値は、実際に話せる、使える、出力できる技術になると、私は勝手に思っている。
であるため、様々な分野のインプットを、すぐにアウトプットし、継続の波に乗らせる新たな技術が必要になるはずだ。
多くの分野における初学者がなるべく負担なく、上手くサボりつつ、上達していくためのハックを、考えて記していこうと思う。
① 1日30分やろう
時間で物を区切るのは成果主義者からするとあまり宜しくないとされやすい印象がある。それもそのはず、何時間ダラダラやっていても成果が上がらなければ意味が無いからだ。物事はやった量、達成した成果で測るべきであって、時間で評価するなど論外だ……
なんて考え方はよくされるし、私も一理あると思う。だがしかし、初学者にとってはあてはまらない。単純に、初学者に成果をあげるだなんて無理な話だからだ。どうあってもまずはそれそのものに触れ続けることで、そもそもの経験値を高めていくより他はない。
なぜ30分なのかと言うと、まず第1に働いていたり、日々忙しい中で1時間、2時間とノルマを設けるのはなかなかに厳しい。まだハマってもいないのに、1日○時間は無茶だ。
反面、よくどの分野でも一日5分でいいからやろう!なんて言説が出回っているのを目にするが、あんなもんはちゃんちゃらおかしい。成果、上達というのは、最初は自分の中で感じることが出来るものの、ある程度のレベルになってくると必然的に他者との比較にならざるをえない。1日5分で上達するわけがないのだ。仮に1日5分で1年続けたとしても、大して上手くはならないだろう。本当に自分の中で僅かな成長を楽しめるならそれでもいいが、大抵の人は、他人にそれを披露したり、実際に外で使ってみたり、自分のアイデンティティとしたい、なんて思っているはずだ。その喜びを得るためには他人が見て、おお!と言って貰える程度の成長をしなくてはならない。
つまり他人よりも大きな経験値を積まなくてはならないのだ。
その塩梅が難しく、プロを目指す人間は別にして、物事は1日何時間もやるから上手くなるわけでもない。毎日ある程度の経験を積み、睡眠をとり、無意識の中にフィードバックされることにより成長していく。
その成長するための経験値を積めて、かつ負担になりにくい最低限の時間が、30分と言えるだろう。
20分では少し短すぎる。10分しか変わらないのだから、30分やってしまえばよい。
②巧遅拙速
現時点で私は医大の5年生だが、周りの一部には本当になにもやらない、怠惰な奴がいる。一切日頃から勉強も他の活動もせず、スマホだけを眺めて生きているのだ。私も抑鬱状態、軽度鬱で苦しんでいる身だからその気持ちは分かる。
彼らは全く勉強をしないが持ち前の器用さで定期試験くらいの範囲なら一夜漬けで誤魔化せるのだ。しかし高学年になっていくにつれ、国家試験を見越した大きな範囲の試験には太刀打ちできず、成績は圧倒的に底辺を這い回うている。、おそらく留年する日は近いだろう。
そういう奴らを倒すのは簡単で、ごく基礎的基本的な範囲、やったり読んだりしたらすぐに身につく、分かることを、1日30分でいいから毎日楽しく高速でやってれば良いのだ。その時に大事なのが出力、アウトプットすることである。
とにかく物事というのは、使わないと身につかない。
いくら読んでも、YouTubeで見ても、使わないと身につくことはないのだ。
たとえば炊飯器でコメを炊いたことがあるだろうか。炊飯器はボタンひとつで炊飯できて便利だ、誰でも出来る。だが炊飯器の使い方をYouTubeで見るだけでは、なかなか覚えることは出来ないだろう。覚えてもすぐに忘れてしまうことだろう。
しかし料理をしない人間が、1回でもいいから使ってしまえばすぐに覚えられる。洗濯機でも、スマホでもなんでも良い。今皆さん、我々が自然に身につけている数々の知識は、使ったことで覚えているはずだ。
だから勉強に限らず、どの分野でも、やったことの無い人や初心者よりも上手くなるには、基礎基本を何回も使って経験し、炊飯器の使い方を当たり前にするように、「やったことあればわかる」ものを確実に身につけることが大事なのだ。それだけでまず底辺を抜け出すことが出来る。難しいことは必要ない。
だが初学者が積極的にアウトプットをすることはきまって少ない。使えるものがまだ少ないからである。とにかく最初は覚えたり知ろうとしたりしてインプットだらけになってしまいがちだ。しかしこれが上達とやる気を妨げてしまう一番の原因である。
使えるものが少ないし、何も知らないし、失敗するのが恥ずかしいし気が引ける。だからおとなしく動画や本を見ておこう。
これだから続かないのだ。初学者、もしくは長く経験していても実力があまりに伴わない者ほど、巧遅拙速の逆をいってしまっている。
巧遅拙速とは、上手くて遅いよりも、拙くてもいいから速くあれという言葉である。
とにかく初学者はミスをしないように、上手く上手くやろうとする。それでチマチマと30分だろうが1時間だろうが使い切って終わってしまう。それではいくら続けようがちっとも上手くなるはずがない。
人は失敗して学ぶ。使ったところを覚える。だから勉強ならばガンガン問題を解くべきである。解説も、コラムの隅々まで読む必要はない。まずは雑でいいから、ある程度の要旨をかっさらうつもりで基礎基本をガツガツ使ってこなして間違えていけばよい。
筋トレならば基本種目を沢山こなせばよい。言語学ならば、基本の単語帳や例文を読み、問題を解く。話せる環境なら人と話す。音楽ならば簡単な曲をとにかく汚くていいから弾いてみる。
大事なのは、ある程度サクサクできる程度の基礎難易度をやることだ。あまり難しいと、拙速でも巧遅でもなく、拙くて遅い最悪の状態になってしまう。1日30分の中でも集中して気持ちよく駆け抜けられる難易度設定にし、意思ではなくシステムで拙速を行えるようにしよう。
結論
以上が私の考える初学者が上達をするコツである。
まずは30分を確保し、インプットは最低限に抑え、巧遅拙速でアウトプットし続ける。
とにかく解く。走る。鍛える。弾く。描く。書く。
私のこのnoteもアウトプットの一環である。
やりまくって経験して、それでも上手くならなかった時に技術の段階になる。最初はとにかく出力する楽しさ、世界が彩られていく感覚に身を包めば成功することができる。
私は今抑鬱と戦いながらも、勉強、ボディビル、noteでアウトプットを試みている。また絵も少しずつ描こうと一ヶ月前に買って開けてなかったペンタブも開けてみた。絵に関しても、1ヶ月で1作品を作ろうとするのではなく、数日で1個など、数多くの作品を作るようにする方が、巧遅拙速、アウトプットとしての質は高いと考える。
このnoteも下書きはせず、好きに思ったことを書き始め、好きな量をとにかく一気に書きあげている。
アウトプットはメンタルヘルスにもとてもよく、健やかな気分になれるのでそういう点でもオススメできる。
皆さんの一助になれば幸いである。
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