大人がはしゃいで、何が悪い
趣味のポップカルチャー考察で、今、やろうとしているのが、「渋谷系アーティスト」と彼らにモロに影響を受けた「遅れてきた渋谷系アーティスト」の比較というヤツなのだけど、そこでふと気づいたのは、元祖の人たちのその
大人気ないはしゃぎぶり
だった。
例えば、先日、アルバムの再現ライブをやった「LIFE」期の小沢健二などは一番分かりやすい例かもしれない。
王子様だとチヤホヤされて、本人も女性のことを子猫ちゃんと呼んだり、もちろん楽曲のはしゃぎぶりも含めて、当時、
「オザケン大丈夫か?」
と心配になったファンは僕だけじゃなかったはずである。
でも、よくよく考えると、彼ほど有名ではないにしても、ピチカートファイブもカジヒデキも、本当は陰キャなはずなのに、当時はみんな本当に
大人気ないくらいはしゃいでいた
のである。
そして、
その反動で
「あーなんか調子乗ってやっちゃったわ〜」
とちゃんと塞ぎ込んでいるのも彼ららしくて大好きだった。
ちなみに先ほどのオザケンも「ある光」というめっちゃシリアスな芸能界決別ソングを発表した後、国外逃亡しているし(笑)
あと、これはちょっと例えとしては違うかもしれないけど、カジヒデキが憧れのスウェーデンでパイナップルの着ぐるみ姿でPVを撮影中に暴漢に襲われて身ぐるみを剥がされた、というエピソードも大好きだ。
で、そんな風に、いい大人のくせに、ついつい浮かれてやらかしてしまう人たちのことが僕が大好きなのは、要するに、僕もまたそっち側の人間だからなのだろう。
今は特にこんな僕に付き合ってくれる相方(息子)がいるから、ちょっとタガが外れてしまいがちなときもあるほどだ(苦笑)
でも、おそらくその相方も、これから思春期を迎えて、今みたいに付き合うこともなくなるんだろうなあ、ってことにも薄々気づいている。
でも、たとえ1人になっても、僕は気持ちが昂揚したときにはできるだけその思いの丈を全身で表現していくだろうし、その後に必ず訪れるメランコリックな時間も含めて、存分に味わっていきたいと考えている。
それはある意味、生(エロス)と死(タナトス)の反復横跳びみたいなもので、それによって立ち昇ってくるものも確かにあるはずだからだ。
けど、こんな自分に眉をひそめるちゃんと折り目がついた大人の人たちは大勢いるだろうし、そのせいである意味、不遇を強いられることもあるかもしれない。
うーん、でも、きっとやめられないだろうな。
なぜなら、子供とか大人とか関係なく、僕は世界でただひとりのこんな僕としての生を骨までしゃぶるくらい味わい尽くしたい性質(タチ)だからである。
<了>
例えば、こんなにはしゃいでいるけど↓
本当はこーゆー人↓でもあるんだよなあ。