孤独のグルメごっこ
土曜日の昼、外はあいにくの雨で、気温も冬並みにグッーと下がった街の中をランチをもとめて一人さまよう。
電車の高架下沿いを歩いていたら、以前から気になっていたカフェ風定食屋さんが目に留まる。
こじんまりとした店構えだったから、家族3人だと席を占領して申し訳ないな、と思い、気にはなっていたけど、今まで通り過ぎていた店だった。
しかし、今日はいわゆるおひとり様だったから、そして、何よりも店の看板に書かれた「チキン南蛮定食」の文字に強く引かれて、僕は店の引き戸をガラガラと開けた。
入るなり、正面のカウンター越しに店主の女性から
「どこでも座っていいですよ~」
と声をかけられたけど、先客としてテーブル席に品の良さそうなおばさまがひとり座っていたから、一応、ソーシャルディスタンスを心がけて、窓際のカウンター席に座ることにする。
そして、早速、テーブルに置かれたランチメニューに目を通す。
もちろんチキン南蛮を食べるのは決定事項だけど、どうやら色々とオプションがあるらしい。
中でも、+50円で、タルタルソースにいぶりがっこを入れるオプションは、これ間違いないヤツやん、と思ったから、これと、雨に濡れた身体が温まりそうなしょうがはちみつティーのセットをオーダーした。
店主に注文を告げてから、改めて店内を見渡すと、白壁の小さな四角い部屋の中には、素朴なデザインの木のテーブルとイスが置かれていて、足元にはいい感じで経年変化の進んだ木のフローリングがさりげない存在感を放っていた。
すごく落ちつく空間だな、と思いながら、席の右斜め前の壁を見ると、ディナーメニューの黒板がかかっていた。
「な、何?!激辛麻婆豆腐定食だと!」
と心の中でつぶやいた瞬間、我ながら
「なんか孤独のグルメみたいだなあ・・・」
と思って、急に楽しくなってきた。
やがてお待ちかねのチキン南蛮定食がお膳に乗せられて運ばれてきた。
「ふむふむ、器の様子や副菜が二つあるところが、いかにも店主のこだわりが感じられて、これは間違いなく素材にこだわった健康に良さそうなヤツだぞ・・」
「でも、肝心なのは味だからな・・・」
とすっかり気分は井之頭五郎(松重豊)な僕は、心の中でごちゃごちゃ言った後、チキン南蛮をひと口ほおばった。
「う、うんまい!」
思わず目が丸くなって、ムホッ!という、はしたない鼻息まで出てしまったような気がしたほど美味しかった。
中でもオプションで加えたタルタルソースのいぶりがっこのスモーキー感とコリコリとした食感がたまらない。
自分の選択の正しさに、我ながら分かりやすいくらいニコニコしながら、今度は副菜に手を伸ばす。
どちらも味付けは薄味で、あくまでメインの引き立て役に徹している姿が何とも好ましい。でも、緑がきれいなほうれんそう?のおひたしには、ほのかなかんきつ系のフレーバーが加えられていて、ふくんだ瞬間、口の中に、ふんわりと春の陽気が広がった。
ふと目を上げて、窓越しの外の景色を眺める。
灰色がかった雨空の下、時折、雨傘を差した人たちが早足で目の前の歩道を通り過ぎる。そして、その上の高架をオレンジラインの電車がグィーンとかすかに音を立てながら駆け抜ける。
そんな何の変哲もない日常の風景も、このときばかりは、なぜだかその静かなたたずまいがとても心地よく感じられた。
そんなことをぼんやり考えながら箸を進めていると、背後から、店主と先客のおばさまが会話する声が聞こえてきた。
「もう駅前に桜が咲き始めましたね」
「まだ3月も中頃なのに、早いですよね~」
「そうそう、昔は入学式のときに満開だったのに、今では卒業式にも間に合わないくらい咲くのが早くなりましたよね」
これまた、なんとも他愛ない会話なのに、まるでとても素敵なBGMのように心地よく僕の鼓膜を揺らす。
そして、その話の流れで彼女たちが
「いちごの季節って、分からなくなりましたよね。今や夏以外はずっと売っているイメージかもしれない」
と話し始めたのを聞いて、実は僕もまたそれはずっと思っていたことだったので、思わず二人の会話に加わりそうになったけど、
「いや、いかん、いかん。何しろ今日の僕は孤独のグルメの松重豊なのだから」
と思い直して、何とか踏みとどまったのだった。
そんな人知れず孤独のグルメごっこに興じたある3月の週末の昼下がり。
もうすぐ春ですね!
了
と言うわけで、BGMはこれかな。