みんな、赤ちゃんだった
久しぶりの両親との昼食の会場は、僕のたっての希望で実家の近所にあるショッピングモールに新しく出来た
焼肉のタモリ(仮名)
芸能人が経営する店としてはかなり有名で、チェーン展開で潰れずに長年続いていることから、以前から少し気になっていたのだ。
しかし、正直に言って、あんまり
美味しくな(マズ)かった。
きっとランチだから肉の質を落としているせいもあるかもしれないけど、店内に流れる安っぽい有線の今どきのヒット曲を聞きながら、
「みんなもっと自分を大切にしたら、きっとこんな残念な感じにはならないんだろうけどね。」
などと少しため息をついてみた。
その後、「図書館に行く」と言う父と別れて、母と一緒にショッピングモールをふらふらする。
実はこの一週間くらい、ある種の予期不安に激しく悩まされていた僕は、賑わう人々をよそ目にひどく落ち込んでまさに気もそぞろだった。
しかし、不意に訪れたアウトドアショップで、僕が6年前にその会社に提案して商品化された商品がずらっと棚に並んでいる姿を見つけて、少し息を吹きかえした。
本当に大げさかもしれないけど、その光景はまるで
僕がこの世界に確かに生きている証
のようにこのときの僕には見えたのだ。
で、ちゃっかりその店で割とお値段の張るアウターを母に買ってもらった後、モール内のタリーズで母と少しお茶をすることにした。
小さな丸テーブル腰に話す母の姿を見つめながら、ふと、自分が彼女の子供だという立場を良いことに、これまでずっと自分ばかり一方的に好き勝手に自分の悩みを打ち明けていた事実に気がついた。
というくらいには気持ちも軽くなっていたのだと思う。
だから、これまで気になっていたけど、ずっと聞けずにいた祖母の介護のことや何やらを母に尋ねてみた。
すると、その物語は僕が想像していたよりもはるかに壮絶な内容で、
「あのときは何度も海に飛び込もうと思ったのよ。」
と衝撃の告白までされた。しかし、僕はその告白以上に、そのときの母がとても穏やかで優しい表情を浮かべていたことにひそかに感動していた。
そして、彼女から視線をそらし、カフェの窓越しに、ベンチに座ったり、歩きながら談笑するたくさんの人々を眺めていたら、ある当たり前の真実に僕はようやくたどり着いた、ような気がした。
そう、
これまで「ああ、なんで僕ばっかり・・・。」と嘆いてばかりいたけど、なんてことはない。みんなだって人前ではこんな風に澄ました顔をしているけれど、実際は、僕と同じかそれ以上に過酷な現実を引き受けているのかもしれない
という真実に。
だって、そもそも僕らはこの世界に生まれ落ちたとき、等しく、この世界で果たしてやっていけるのか怖くて仕方がなくて、ただひたすら「おぎゃーおぎゃー」と泣き叫んでいた赤ちゃんだったわけだから。
だから、今だって、本当は「おぎゃーおぎゃー」と泣き叫びたいところをみんな必死にひた隠ししているだけなのかもしれない。
そして、それがもしも自分が愛する人たちを心配させたくないという動機だったとしたら…。
This world is not beautiful. At the same time, this world is beautiful,too. We just keep alive between them.
そんなつたない英語をつぶやきながら、こんないつも揺らいでいる頼りない僕でもひょっとしたらいつの日か
人にやさしく
なれるのかもしれない
そんな「希望のようなもの」が小さく、でも確かに僕の心に灯った、そんな冬の昼下がりだった。