敏感な心、敏感な体。

10月は私の誕生月であり、兄が天に召された月。
あっという間に4年が経とうとしている。

7年前、私が子宮体癌の手術と抗がん剤治療を受けた頃は、
兄は元気だった。
私が治療のダメージから回復してきた頃、兄の癌が見つかった。
精神的に痛めつけられ、心身共にボロボロになってしまった。

いや、誰よりも兄自身が辛かったはずだ。
まだ小さい子を残して、この地上を去らなければならないとは。

兄と私は、それほどベタベタした関係ではなかった。
むしろ、あっさりしすぎていたくらいだと思う。
今思い返しても、兄は独特の感性の持ち主で、
自分で自分の事を、発達障害だ、と語っていた。
もちろん、昔はそんな言葉はない。
幼稚園や小学校ではちょっとマイペースで頑固な子だと言われていたようだ。
私は、そんな兄についてのエピソードを、生前の母から聞いていた。

そんな兄だったから、母は兄を育てるのにかなり苦労したらしい。
喘息持ちで、集団行動に馴染めず、興味があるものには集中するけれども、
それ以外の事柄にはなかなか気持ちが向かない。
3歳下の私は兄とは違い、育てやすい赤ちゃんだった、と母は言っていた。

『あなたは大丈夫よね』

そうだ。私は大丈夫な子どもでいなければいけないのだ。

私は、敏感な子どもだった。
兄も、そうだったと思う。

私は子どもの頃からしょっちゅう体調を崩した。
医者からは自律神経失調症だと診断されたそうだ。
何十年も昔の医者は、ワガママ病だと母に言ったそうだ。
私はその話を大人になってから聞いた。

医者にわがままだと言われた事を、
子どもの私には言わずにいてくれたのは、ありがたいと思う。
でも、私は実際わがままな子どもで、
医者の話はともかく、両親には「わがまま言うな」と年中言われていたから
私はわがままな子なのだと、いつも悲しかった。

転校をするたびに、私は自己主張する力を失っていったのかも知れない。

小学校高学年で、足の関節に痛みが出始めた。
初潮があって、体調はガラッと変わってしまった。
最初から量が多く、汚してしまいそうで、授業中も気が気ではなかった。

関節痛のピークは、中学生の頃だった。
くるぶしから膝へと、痛みは移動していき、夜も眠れないほどだったが、
仕事で疲れた両親には、気のせいだ、いい加減にしろと怒られた。

同じ中学生の頃、歯の治療で右下の大臼歯の神経を取った。
しかし、その歯は痛み続けた。

振り返ってみると、私の敏感な体は、あちこちで誤作動を起こしかけていたのかもしれない。


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