あおい

自分のこと、身の回りの出来事など、書いてみたいと思います。 自分の健康についての話は、…

あおい

自分のこと、身の回りの出来事など、書いてみたいと思います。 自分の健康についての話は、あくまでも私個人の体験と、私が感じたことを書いています。 医療的な裏付けとか、エビデンス?などは、一切ございません。(笑)

最近の記事

今日は骨と筋肉の日だそうで

子どもの頃、成長痛と言われた足首と膝の痛みから始まり、 徐々に股関節周り、腰痛、背筋痛、胸骨辺りの痛みへと進み、 首が回らなくなる事がちょくちょくある。 肩甲骨辺りが痛くて、泣きたくなる時もある。 でも、骨には異常がないのだ。 母が亡くなる前には、 胸の骨が痛くて眠れない日もあった。 ペットボトルの飲み物を飲もうとして、 痛くて上を向けなくなった。 当時、母がお世話になっていた病院の理学療法士さんが 私の話を聞きながら腕のツボを押してくれた。 整形外科に行くとレントゲ

    • 水が合わないことってあるんだ

      都内から転校した先は、まだまだ自然が残る地域だった。 田んぼはあるし、空は高く青い。 あまり高い建物もまだ無く、遠くに山々の連なりが見えて眺めは素晴らしかった。 しかし、私の視力は悪くなってしまった。 早速、母の勤めている病院の眼科に行くと 擬似トラコーマ という病名がつけられてしまった。 視力の低下とともに、眼の内側の粘膜にぶつぶつができていた。 眼科では、眼の洗浄が行われた。 そして、夏のプールは見学するように指示された。 秋が来て、気温が下がると手荒れが酷くなっ

      • 敏感な心、敏感な体〜転校カルチャーショック〜集団登校

        昔の話。 物心ついた時、私は都内のとある下町に住んでいた。 町工場の多い地域で、機械油や鉄錆の匂いが漂っており、 賑やかな商店街と、閑静は寺社が隣合わせている街だった。 小学校には、近所のお肉屋さんのお姉さんに連れて行ってもらっていた。 マイペースな兄は、ひとりで登校していたはずだが、記憶にない。 当時の私の担任は年配の男性で、低学年の私には自分の父親より年配に見えた。 父は「あの先生は、戦争帰りじゃないかな」と話していた。 左利きの私に、文字を書く時には右を使うように

        • 敏感な心、敏感な体。

          10月は私の誕生月であり、兄が天に召された月。 あっという間に4年が経とうとしている。 7年前、私が子宮体癌の手術と抗がん剤治療を受けた頃は、 兄は元気だった。 私が治療のダメージから回復してきた頃、兄の癌が見つかった。 精神的に痛めつけられ、心身共にボロボロになってしまった。 いや、誰よりも兄自身が辛かったはずだ。 まだ小さい子を残して、この地上を去らなければならないとは。 兄と私は、それほどベタベタした関係ではなかった。 むしろ、あっさりしすぎていたくらいだと思う。

        今日は骨と筋肉の日だそうで