水が合わないことってあるんだ
都内から転校した先は、まだまだ自然が残る地域だった。
田んぼはあるし、空は高く青い。
あまり高い建物もまだ無く、遠くに山々の連なりが見えて眺めは素晴らしかった。
しかし、私の視力は悪くなってしまった。
早速、母の勤めている病院の眼科に行くと
擬似トラコーマ
という病名がつけられてしまった。
視力の低下とともに、眼の内側の粘膜にぶつぶつができていた。
眼科では、眼の洗浄が行われた。
そして、夏のプールは見学するように指示された。
秋が来て、気温が下がると手荒れが酷くなってきた。
唇の皮も剥け始め、ガサガサになっていった。
二の腕にポツポツができて、痒くなった。
眼の洗浄はしばらく続き、翌年にはプールも解禁となった。
小学4年になるタイミングで、隣の学区に引っ越した。
今度は父の退職ではなく、
会社の役員の海外転勤のために、留守中の役員の自宅に住まわせてもらう事になったからだ。
そこは大きな団地の一室で、私は初めて自分の部屋を持つことになった。
転校した学校の検診で、医者は私の腕をぐいっと掴んで一言、
アトピーだね。
と言った。
初めて聞く言葉だったが、母にはすぐピンときたようだ。
冬になると私の肌荒れは酷くなり、
夏のプールが始まると、アトピーは良くなった。
母は、プールの塩素がアトピーに効いてるんじゃないか?と言っていた。
いやいや。そんな馬鹿な。
さらに、中学2年で隣の市に引っ越した。
すると、手荒れも唇の皮剥けも、アトピーも改善した。
その市は地下水が豊富で、それまでの水道水と明らかに違う水だった。
もしかして、水のせい?
それだけではないと思うが、
結婚して再び元の街で暮らし始めたら手荒れが復活して指先が割れてしまったので
水の影響もあるのだろうと考えている。
そして別の体調不良が現れた。
転校に次ぐ転校。
緊張の連続で私の精神的ストレスはどんどん積み上がっていった。
疲れる。
子どもなのに疲れるなんて、大人はなかなか理解してはくれなかった。
朝がとにかくつらかった。
午後になると、元気が戻ってくるようだった。
中学生になっても、エネルギー不足の感覚は続いて、
欠席が増えてしまった。
朝、異様にお腹が張って痛みがあったり、
眠気が酷かったり。
病院にいっても特に血液検査の結果が悪いわけではなく、
脚の痛みも、お腹の痛みも、原因不明。
病名はつかないのに、具合が悪い。
両親は心配して‥‥はいなかった。
実は、私が中学生の時に母は乳がんになり、
父は鬱になってしまったのだ。
私は、親の心配を背負い込んで過ごすことになっていた。
※※※※※※※
自分の子どもの頃を文章にすると
どうにも暗めな話ばかりになってしまいます。
それでも
書いておきたい気持ちがあります。
独りよがりな文章なのはわかっていても、
何もしないでいると
私の精神的なバランスが崩れてしまいそうなのです。
たぶん、両親、兄との地上での別れや、
コロナ禍の中で続いたストレスせいかもしれません。
別れから長い時間が経っても、
当時の感覚が戻って来る事があります。
もしも、似たような体験をお持ちの方がいらしたら、
そして、ひとりじゃないと思っていただけたら、
感謝です。
あおい
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?