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自分以外の文脈を知るということ

『君たちはどう生きるか』の主人公、中学生のコペル君は、ニュートンの林檎の話を聞いて、当たり前のことをどこまでも突き詰めて考えてみようとする。ふと自分が赤ちゃんの頃に飲んでいた粉ミルクの缶が目に入り、粉ミルクに関係のあることをどこまでも考えてみることにした。すると、オーストラリアの牛から、日本にいる僕の口に粉ミルクが入るまでには、途方もなく多くの人が関係していることに思い至った。
牛の世話をする人、乳をしぼる人、それを工場に運ぶ人.....汽車に積み込む人、汽車を動かす人...売りさばきの商人、広告をする人、小売りの薬屋....
これをコペル君は「人間分子の関係、網目の法則」と名づけるが、叔父さんにそれには既に「生産関係」という名がついていると教えられる。

君たちはどう生きるか 吉野源三郎著  P91〜98要約

私は、コペル君の言う「人間分子、網目の法則」は、他の本で「ストーリー」「文脈」「ノイズ」と呼ばれていたものと同義なのではないかと考えた。

『1日3時間だけ働いておだやかに暮らすための思考法』の中で著者は、お金というツールによって「ストーリー」「文脈」が毀損されると指摘している。

しかし最も大きいのは、お金による「文脈の毀損」である。お金という数字による取引が発生することによって、それまでのつながりや物語といった文脈が漂白されてしまうのだ。文脈が切断されると有機物は無機的なものへと成り下がってしまう。それが有機的な生命体である人間の身体には適さない。
商品をはじめとする”モノ”には、常にストーリーがある。たとえば、コーヒー1杯にしても、豆がどのうよな農園で栽培されたか、その豆はどのような経緯で誕生して、さらに手に入れるのにどのような苦労をしたのか、といった豊かな文脈がある。
本来、価値あるそういった文脈が、貨幣取引の商品となった瞬間に失われてしまう。
中略
貨幣による経済が物語や人間の関係性を分断し、私たちの幸せを阻害している。

1日3時間だけ働いておだやかに暮らすための思考法 山口揚平著

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』で著者は読書と労働の歴史をひもとき、なぜ働いていると本が読めなくなるのか?という問いに言及していく。
そして、私たちは疲れている時「文脈という名のノイズ」を身体に受け入れられない。と結論づける。

自分から遠く離れた文脈に触れることーそれが読書なのである。
そして、本が読めない状況とは、新しい文脈をつくる余裕がない、ということだ。自分から離れたところにある文脈を、ノイズだと思ってしまう。そのノイズを頭に入れる余裕がない。自分に関係のあるものばかりを求めてしまう。それは余裕のなさゆえである。だから私たちは、働いていると、本が読めない。
仕事以外の文脈を取り入れる余裕がなくなるからだ。

なぜ働いていると本が読めなくなるのか 三宅香帆著

インターネットで検索出来る答えには、「文脈という名のノイズ」がない。

お金を介してモノをやり取りし、インターネットで自分の知りたい答えだけを得る暮らしでは、自分と関係がない文脈は、いつまでも、どこまで行っても関係がないまま、知ることがなくなってしまう。

自分以外の文脈を知ることは、人間らしくあるために必要なことなのではないだろうか。

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