命、人生、幸せについて
家族の死や病気など、特別な辛い経験をしなくても、人生は有限であることに気がついて欲しい。
自分もいつか死ぬという恐怖に取り憑かれたときに頼ることができる受け皿になりたい。
時間を大切にしたい。大切にして欲しい。
日常を大切にして、やりたいことをやって欲しい。
自分を大切にして欲しい。
世間の当たり前に流されないで欲しい。
世間の当たり前についていけない人の受け皿になりたい。
今私が考えているやりたいことです。
私の父は、「あれ?なんかちょっと調子悪いかも?」と行った病院で、肺ガンのステージ4と診断され、既に脳転移もありました。
父はその病院に向かう途中のコンビニで、電子タバコを3箱まとめて買ったそうです。
検査のあと、そのまま入院することになり、タバコは未開封のまま3箱、母が家に持って帰りました。
それから3ヶ月間、手術や転院をして、やっと退院することになり、実家に父が戻ってきました。
もう病院で出来ることは何もない。最期くらい自宅で過ごさせてあげたい。
そういう退院だったので、その日が近いことは覚悟していました。
退院してきた父が眠る介護ベッドの後ろのカウンターに、未開封のままのタバコが3箱置いてありました。
もう、父はタバコを吸うことは二度と出来ないんだと、チューブにつながれて眠る父を見つめながら、思いました。
そして、私が実家の台所の換気扇の下で、タバコを吸う父の姿を見ることも二度とないのだと。
退院から5日ほどで、父は息をひきとりました。
父の棺桶に1箱、タバコを入れてあげました。
この時に私は初めて、人間は死ぬのだということを真に理解しました。
「明日死ぬかもしれない」なんて、言葉ではよく聞くけど、本当にそう思っている人はあまりいないと思います。
でも死なない人間はこの世に存在しません。
人間である限り、必ず死にます。
人生とは生まれてから、死ぬまでの時間のことです。
その時間が有限であることは、間違いのない事実です。
でもそれが何年間なのか、何時間なのかは、誰にも分かりません。
死んでから、初めてその人の人生の時間が分かるのです。
明日死んでも...というのは極端すぎて、実感が湧かないと思いますが...
5年後に死ぬとしても、今の仕事を続けますか?
5年後に死ぬとしても、今一緒にいる人と一緒にいたいですか?
5年後に死ぬとしても、今日見たテレビ番組を来週も見ますか?
5年後に死ぬとしても、今やっているスマホゲームを明日もしますか?
5年後に死ぬとしても、今日ネットニュースで見たゴシップを明日誰かに話しますか?
答えなんて分からないし、私は全然、何かを成し遂げられた訳じゃありません。
それに、こんなことばかり考えて「今」を楽しめなくなってしまっては本末転倒です。
でも幸せに生きる為には、まず、人生が有限であることに気がつくことが必要だと考えています。
ここから、人生の意味について、幸せとは何か?について、考えることが始まると思うのです。