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人間は自分のあり方を選ぶことが出来る

今年、父方の祖父が102歳でこの世を去りました。

2年前、父が68歳で亡くなった時、母や叔母は
「じぃちゃんの寿命、ヒデに20年もらえればねぇ」と嘆いていました。(ヒデは父の愛称)

祖父も、祖父の兄弟も、全員長生きしていたから、父自身も「俺も長生きするだろうなぁ」と、母に先立たれる心配をしていたほどで、私も祖父の血を継ぐ父は、長生きすると思い込んでいました。

しかし、父は肺がんの宣告から3ヶ月で、あっけなく、この世を去りました。

そう、人は死ぬ年齢も、死に方も選べません。
68歳では早いが、102歳まで生きたいとは思わない。なんて言っても、中間のちょうど良い年齢で死ねる訳ではないのです。

生まれる年、生まれる場所、親、国籍、性別、名前、死ぬ年、死ぬ原因。
これらは、自分では決められません。
でも、これ以外は、全て自分で決められるとも言えるのではないでしょうか。

父を亡くす前の私は、自分を取り巻く全てのことが、自分ではどうしようもないことのように感じていました。

実家が裕福な友人を羨んだり、北欧の子育て環境や、ヨーロッパの労働環境を羨ましく思い、それに倣えない日本を恨めしく思ったり...

確かに、日本の子育て環境や労働環境を私が変えることは難しいです。
でも、じゃあ理想の環境に近づく為に、出来る範囲での努力を、少しでもしていたのかと言えば、全くしてきませんでした。
というか、何が自分にとって理想なのかを考えることすらしていませんでした。

ただなんとなく毎日しんどいから、今の自分とは違う何かを漠然と望んでいただけ。

日本のせい、会社のせい、夫のせい、子供のせい...自分ではコントロールすることができないもののせいにして、不満から逃げて、愚痴を言うだけでした。

でも、人間て本当に死ぬんだ。そして、それがいつなのかは決して分からない。その事実を真に受け入れた時、

死に方を決められないのなら、せめて生き方は自分で決めたい。

死ぬまでの時間が、あとどれ位あるのか分からないのなら、せめて今この瞬間の時間の使い方は自分で決めたい。

これからの人生で、私が私について決めることが出来ないのは、死に関してだけであり、他のことは全部自分で決められる。

自分に言い訳さえしなければ、何でもやれるし、どこへでも行ける。

そう思うようになりました。

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