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さくらももこの魅力

小学生の頃、ちびまる子ちゃんが大好きだった。
トイレにちびまる子ちゃんの漫画を持ち込み、同じ話も何度も読んだ。ゲラゲラ笑った。

漫画より先にアニメに親しんでいて、1992年に一旦アニメ放送が終了した時には、大泣きした。
大泣きする私の隣で苦笑いする父と母の顔を、なぜか今でもよく憶えている。
1995年に放送が再開した時は、歓喜した。
たぶんその頃から、漫画も集め始めた。お小遣いを握りしめ、古本屋に連れてってくれと父にせがみ買うのは、大体ちびまる子ちゃんだった。

少し大人になってから、さくらももこさんのエッセイも読むようになった。
うっかり電車で読んでしまった日には、笑いを堪えられず肩を震わせ、ハンカチで顔を抑えて俯き、笑いが通り過ぎるのをひたすら待った。
二度と電車の中で、さくらももこは読まないと誓った。

あれから何年経っただろう。

古本屋でちびまる子ちゃんを買っていた頃の私と同じ年頃の娘が、さくらももこさんのエッセイを読みながら、隣でグフグフ笑っている。

以前、アニメでさくらももこ原作祭りを放送していた時、子供も夫もゲラゲラ笑い、ちびまる子ちゃんってこんなに面白かったっけ?と言った。
アニメ放送は基本的に、別の方が書いた脚本で放送されているので、子供と夫は原作に触れたのが、この時初めてだったらしい。

そうなのだ。他の方の脚本のちびまる子ちゃんもほのぼのとしていて良いけれど、本来のちびまる子ちゃんはブラックユーモアたっぷりで、決して良い子ではないところが魅力だった。

道を教えてくれた中学生に対し心の中で平気で『このブス』と毒づくシーンを見て、そうそう!これだよぉー!と思ってしまった。
※この中学生の顔が絶妙にブスなのがまた...

エッセイ『ももこのトンデモ大冒険』の中で、中国で漢方薬を作る医師を訪ね、その自宅の中庭を見た時のことを、さくらももこさんは下記のように記している。

中庭を見ながら、私は自分の人生の究極に近いものを感じていた。シンプルでおだやかで明るく楽しく、健全な生活の中で自分のやりがいのある仕事をコツコツやってゆく人生というのが本当に私の求めていることだったんだよなァと改めて気づかされた感じだ。

ももこのトンデモ大冒険 さくらももこ著書 

また同行した編集者の方は次のように記す。

さくらももこさんの爆笑エッセイの一コマとなった人物としての感想を一言。私と本間は、この旅に同行して、さくらさんに笑わせていただいた、とってもよかった、楽しかったという感想を持っていた。ところが、エッセイの全貌を目にすると、なんと二人してお笑いの一コマと化しているではないか。しかもそれがウソでも誇張でもなく、まったくの現実の姿そのままであった。なにげない日常から、こんな風に「笑い」を切り取ってくるとは?それは驚きであるとともに、あらためて「笑いの切り絵師」とでもいうべき、さくらさんの超天才にいたく感銘したしだいであります。

ももこのトンデモ大冒険 さくらももこ著

これらの一文を読んだ時、あぁなるほど...と思った。
若い頃、読んでいた時には気が付かなかった。

ただ、ただ、笑いと文章の天才なのだと思っていた。

でも年齢を重ねた今、再び作品に触れ、笑えるだけでなく心のどこかに響いてくるのは、さくらももこさんが、笑いと文章の天才というだけでなく、なんでもない日常に笑いと幸せを見出す天才だからなんだなと改めて気がついた。

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