『双木ラプソディー』前編
屁理屈をこね、減らず口をたたき、御託をならべ、意味不明の理論武装で煙に巻く。
そんな人間である双木とどういった経緯で友人関係になったのか、覚えていない。
彼の言動に私はいつも振り回され、多くの被害に遭った。それでも彼との友人関係を解消せずに今日まできたのは、なんだかんだで双木と過ごす日々が楽しく、手放し難かったからなのだろう。
たとえば。
中学一年生の初夏に行われた一泊二日の山間での野外活動で、ある事件が起きた。
クラス毎に調理場が割り振られ、担任教師の監視の下、夕飯のカレーライスを生徒たちだけの手で作るという行事に勤しんでいた時のことだ。
皆が順調に仲睦まじく調理を進め、完成を間近に控えた時、クラスメイトの八木君が足を滑らせ、運悪く手をついた先にカレーの大鍋があり、鍋がひっくり返った。鍋は二つあったが横並びだったためにドミノ倒しになり、その場が騒然となった。
幸いにも怪我や火傷を負った生徒はいなかったが、鍋はほとんど空になり、今から作り直す時間も予備の具材もなかった。教師たちは清掃作業に追われ、八木君は呆然と立ち尽くしたまま動かず、なぜか泣き出した女子生徒もいた。
教師たちがその場を離れると、いわゆる不良と呼ばれる類いの男子生徒二人組が八木君を罵倒し、重圧に耐えきれなくなった八木君は泣き出した。
調理場は恐ろしいほどに険悪で重苦しい空気に包まれていた。原因が八木君の不注意にあったことは確かで、下手に八木君を擁護すれば自分の今後の学校生活に支障をきたしてしまう。その場の誰もがそれを察知して、見て見ぬフリをした。不穏が不穏を呼び、誰も口を開こうとしない。
「可能性については考えてみたのか」
偉そうに体操ズボンのポケットに手を突っ込みながら皆の前につかつかと出てきたのが双木だった。
「一食くらい抜いても死にやしないだろ。それよりもこれを食ったら死んでいた可能性もある。それを考えてみたのか。もしかしたらこいつは誰かが誤って鍋に野生の毒リンゴを入れるところを目撃して、急いで鍋から取り出そうとしたがすでに手遅れで、だからと言って騒ぎ立てたらそいつが責め立てられてしまうから、悩みに悩んだ末に、そのクラスメイトを庇うため、そして俺たちの命を救うため、自ら汚れ役を買って出た可能性だってあるだろ。何もない所で転ぶ演技をしてまで、泣く演技をしてまで、俺たちの命を救った」
そういう意味では、と双木は八木君を指差した。
「こいつは勇者だ」
そういう意味では、と双木は不良の二人組を指差した。
「お前らは村人Aと村人Bだ」
その場が静まりかえった。厳密に言えば、しらけた。
この春に転校してきた双木が誰彼そして状況に構わずまくし立てるように意味不明なことを喋ってその場をしらけさせるのが、私たちのクラスの日常風景だった。双木がもめ事に首を突っ込んできたらさっさと諦めて和解し解散せよ。それが私たちのクラスの鉄則だった。はっきり言えば双木の相手をするのは面倒で、時間の無駄なのだ。
一人喋り続けている双木を横目に皆が散らばり掃除や片付けに取りかかる。
「毒リンゴは野生しない」と私は呟いた。
ふと隣を見ると私が入学式の時から思いを寄せているソフトテニス部の武藤さんが目をハートにして双木を見ていて、私は絶望した。
双木に八木君を窮地から救う意思があったわけではない。
八木君はその事件をきっかけに学校に来なくなったが、双木が彼のことを気にかけたことはなかった。
それどころか。
一年時の秋の文化祭で八木君の名誉挽回のためにと私たちのクラスの出し物がカレー屋に決まり、担任やクラスメイトが必死に八木君への説得を続けた結果、文化祭当日、母親と姉に連れられてだったが八木君は学校に来てくれた。
八木君は「みんなの役に少しでも立ちたかったから」と自作のカレーまで携えて登校してくれた。
例の事件で八木君を責め立てた不良の二人組が八木君に謝り、拍手が沸き起こり、教室内は穏やかで優しい空気に包まれた。なぜか泣き出した女子生徒もいた。
八木君が双木のもとへ行った。
「あの時はありがとう」と八木君は礼を言った。彼の家族も一緒になって双木に頭を下げた。
双木は八木君が持っているカレー鍋を覗き込んだ。双木は寝坊をしたせいで朝飯を食べておらず、腹を空かして不機嫌だった。
「今日も溢したら承知しねえぞ、この馬鹿たれ」
教室の空気が凍りついた。
その日を最後に八木君は転校した。
双木はそういう人間である。