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『双木ラプソディー』後編

そしてこれは十七歳の秋、そんな双木が恋をした時の話になる。

双木によると相手はパチンコ屋の駐車場でいつも熱心にダンスの練習に励んでいる大学生くらいのダンサーなのだという。

そして双木の頼み事というのは、自分が彼女に話しかけるところを写真に撮ってほしいという奇妙なものだった。
なんの因果か私と双木の学業成績は常に似たり寄ったりのもので、示し合わせたわけでもなく市内の同じ公立高校に進学し、二年生からは同じクラスになった。

「将来の妻と初めて会話を交わす歴史的瞬間になるかもしれないからな。残しておくに越したことはない」
照れくさそうにしている双木は少し不気味だった。双木は醜男ではなかったが男前でもなかった。

「話は聞かせてもらったよ」
武藤さんが会話に割って入ってきた。武藤さんも私たちと同じような成績だったために、やはり同じ高校に進学していた。ただ、三人が同じクラスに揃うのは中学一年生以来だった。

「なんだ、武藤も俺の将来の妻が気になるのか」と双木はもう恋が成就した気でいた。
「当然」
「俺は気にならない」と私は言った。
「よし、じゃあブーケトスの時は武藤が最前列に並べるように手配して、彼女にも手前に投げるように直前にこっそり耳打ちしてやろう。昔からの俺の友達だから頼むと言ってな」
「友達」
「武藤さんが行くなら武藤さんに撮ってもらえよ」と私は言った。
「お前はそうやってすぐつれないことを言うから友達が少ないんだ」
「俺と武藤さんしか友達のいない双木が口にしていい台詞じゃない」

そのあとも嘘の理由を並べて抵抗したが、双木には見抜かれ、そして言いくるめられ、放課後、私たちは三人でそのパチンコ屋に向かった。

建物は古く、あまり繁盛していないのか広々とした駐車場は閑古鳥が鳴いていた。誘導員や警備員の姿はない。とはいえわざわざここでダンスの練習をする必要があるのだろうか私は首を傾げた。

そして、双木の言う通り確かにそこには女性がいて、踊っていた。
出入り口階段の下にある自販機の横で、二十歳前後と思わしき女性が、踊っている。
私たち三人は街路樹の陰に身を潜め、そこから彼女を観察した。

「見ろ、絶世の美女だ。あんなイカした女はなかなかいない」
なぜか得意気な双木に言われ、私は彼女をまじまじと見た。
双木にも彼女にも悪いが、特段綺麗というわけではない。口にこそ出さなかったが、どこかで会ったことがあるような、つまりはそれくらいに、どこにでもいそうな特徴のない顔立ちと格好を彼女はしていた。
「会ったことありそうなくらい、普通の人」と武藤さんが無遠慮に言い、私は吹き出した。

それよりも。

「あまり上手には見えない」
彼女のダンスには熱意が感じられなかった。スマホを触る片手間に、だらだらと踊る。何よりそのどんくさい動きが目についた。お世辞にもセンスがあるとは言えない。

私の頭を双木が小突いた。
「これだから素人は困る。彼女は下手なふりをしているだけだ」
「なんのために?」
双木も素人じゃないか、という反論は飲み込んだ。
「彼女はな、小さい頃からダンスを習っていて、本当は海外で活躍するプロのダンサーになりたかったんだ。だが思うような結果が出ない日々が続いた。彼女は一人娘で家庭も裕福ではない。泣く泣く彼女は夢を諦めて一般企業に就職した。だがそこに待ち構えていたのは性格が歪みに歪んだ上司たち。そして、そいつらにいびられる毎日。彼女は日頃のストレスをここで晴らしている。時には朝まで踊って鬱憤を晴らす。そして彼女は今、金を貯めている。夢を捨てきれなかったんだよ。目標の金額にはもうすぐ到達する。半分は親に渡して、残りの半分を握りしめて彼女はアメリカへダンス留学に行く。来年だ。ニューヨーク行きの便に乗る」
「えらく詳しいな」
「当たり前だ。見たまんま言ったんだ。そうに決まっている」
「馬鹿馬鹿しい」
「だから俺も来年は彼女を追ってアメリカに留学することになる。お前や武藤と遊んでやれるのも今年が最後だ」
「本当に、馬鹿馬鹿しい」

「じゃあ頼んだぞ」
双木は襟を正し、少し緊張した面持ちで、だが自信満々といったように胸を張って、彼女のもとへ歩いて向かった。
私は自分のスマホを取り出し、とりあえずカメラを構えた。
ふと隣を見るとソフトテニスを辞めて今はパン屋でアルバイトをしている武藤さんが嫉妬で歯ぎしりをしていて、私は絶望する。

最初はにこやかだった。相手の女性もさすがに最初は警戒心を見せたが、喋り続ける双木に圧倒されたか、褒め倒されて気分が良くなったかして、絶えず笑顔を浮かべていた。
しかし、突然に彼女から笑顔が消えた。怪訝な顔で、双木に何かを尋ねている。
私はぱしゃぱしゃとスマホのボタンを押す。

「雲行きが怪しくなってきた」と私は言った。
「彼女、怒り始めた」と武藤さんが言った。

確かに彼女は怒っていた。双木の顔を指差し、「ここで待ってろ」のような意味合いのジェスチャーをして、彼女は階段を上って店内に入っていく。
双木がこっちを振り向いて肩をすくめた。
私はぱしゃぱしゃとスマホのボタンを押す。

「なぜ双木は初対面の人を簡単に怒らせることが出来るのだろうか」と私は言った。
「彼女、誰か連れて来た」と武藤さんが言った。

彼女はパチンコ屋の制服を着た筋骨隆々の若い男性を引き連れて戻って来た。彼女は店員の太い腕に親しげに腕を絡ませ、何か言い訳を口にしながらおろおろと怯えている双木を指差す。
店員の彼が双木の胸ぐらを両手で掴み、双木の体をぐらぐらと前後に揺すった。されるがままの双木は細身のビニール人形のようだった。
私はぱしゃぱしゃとスマホのボタンを押す。そしてスマホをポケットに仕舞った。
さて、と言う。

「双木はもうすぐ俺たちを売る」と私は武藤さんに逃げる準備をするように言った。
案の定、双木がこちらを指差して何か訴え始めた。おそらく「あいつらが真犯人だ」とかなんだと出任せを口にしているのだろう。
「中学一年生の頃、こういう時の鉄則があったよね」と武藤さんは諦めた様子でため息をつき、屈伸運動を始めた。
双木が引き起こすトラブルに巻き込まれても飄々としているのが武藤さんであり、私はそんな武藤さんのことが未だに好きだった。

私たちは走ってその場をあとにした。


「最悪だ」
登校するなり双木は私の机に突っ伏した。舌打ちをして顔を上げる。左頬に大きなガーゼを貼っている。
私は昨日、武藤さんに「明日の楽しみにして、今日は双木と連絡を取るのはやめておこう。死にはしない」と言いつけておいた。ナイスアイデア、と武藤さんは親指を立てた。
武藤さんも私の席にやって来た。

「最悪なのは双木だ」
「そう、俺だ。俺の運は最悪だ」
「運?」
「彼女、ダンサーじゃなかった。大学の学園祭で踊るものを、彼氏のバイト終わりを待つ間にちょっと外で練習してただけだと。人騒がせな女だ。ダンサーじゃないことも、彼氏がいることも、そんな話、俺は聞いてない」
どうりで、と思う。どうりで下手だと思った。
「いつもあそこにいるって双木も言ってたじゃないか。ずっと気づかなかったのか?」
「一昨日、あのパチンコ屋の前をたまたま通ったら彼女がいたんだ。一昨日、俺は一目惚れしたばかりだぞ。その前のことなんか知るか」
「いつもいるという話は」
「過ぎたことを蒸し返すな。俺は失恋ほやほやの身だぞ。優しく扱えよ。お前が運送配達員なら即刻クビだぞ」
私はため息をついた。
しかも、と双木は言いながら深刻そうに首を振った。ここからが本番、というように。
「カレーこぼし太郎の姉貴だった」
「カレーこぼし太郎?」
「昔、野外活動に行った時にカレーの鍋をひっくり返した馬鹿がいただろ。彼女、あいつの姉貴だった」
「え」
私は武藤さんと顔を見合わせた。武藤さんも驚いて口に手をやっている。
どうりで、と思う。どうりでどこかで見たことがあると思った。

「なんだって俺がこんな目に」
双木は嘆いた。私は同情はしない。
「双木が八木君を転校させたようなものだから、仕方ない。罰が当たったんだ」
「神様が俺に罰を与えるわけがないだろ」
「俺が神様ならとっておきの罰を与える」
「お前、もしかしてあの時の俺の善行を知らないのか」
「あの時?」
「あのあとの文化祭で、太郎がカレーを作ってきただろ」
「ああ、グランプリを獲った八木君のカレー」
私たちが通っていた中学校の文化祭では、全クラスの出し物の中でもっとも優れていたものを表彰する伝統があった。オールジャンルから選ばれ舞台劇やバンド演奏が有利とされる中、その年は八木君が自作したカレーライスがグランプリを受賞した。

「あれ、美味かっただろ。だから俺はあの日、審査員がいる職員室と生徒会室に乗り込んで太郎のカレーのプレゼンをしたんだ。五時間くらいは居座って喋ったか。そしたら、グランプリ」
そう言われてみればあの日、双木の姿を一度も見かけなかった気がする。
「太郎はそれで自分に自信を持って、料理に目覚めて、心機一転のために転校して一から頑張ることにしたんだ。イジメられたから転校したわけじゃない。太郎は今は調理の専門学校に通っているらしい。太郎の姉貴が昨日ちらっと嬉しそうに言っていた。そのあと、俺があの時に弟に暴言を吐いた奴だと気づいて、この結果だ」
双木はガーゼに手をやった。誰が太郎の夢の後押しをしてやったと思ってるんだ、とぼやいた。

そうか、と私は思う。
八木君はカレー事件や双木の暴言が原因で転校したわけではなかったのか。夢を叶えるために勇気を出して踏み出しただけだったのか。
私は何か胸に熱いものがこみ上げてくるのを感じた。

とはいえこれで今回の件に関した双木の一連の言動を肯定してしまうのは、癪にさわる。
だから、八木君は頑張れ、とだけ思う。八木君は、だ。

「俺のこの可哀想な顔を写真に撮ってくれ。いつか太郎が店を持ったら、三人で行って奢らせよう。文句を言ってきたら俺はこの写真を突きつけて、黙って奢るか暴行で訴えられるか、選ばせる」

ふと隣を見ると武藤さんの頭上に大きなハートが浮かんでいて、まあ今日くらいは、と私は笑う。

#忘れられない恋物語

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天瀬廣
僕の夢は日本一の小説家になり、文芸を通じてこの世界の平和に大きく貢献することです。 どうかご支援のほど、よろしくお願い致します。

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