深く重い思考は危険か?
弟は深く重く、悩み考えることは危険だという。
彼は努めて悩まないようにしているとも言っていた。
・ふとした拍子にやってみた自殺企図が事故的に成功しちゃうかも知れないから?
・時間と気力を使ったのに何も得られず徒労に終わりそうだから?
・考え込む態度が自分以外にも悪影響を及ぼすかも知れないから?
・心地よすぎるから?確実に依存の対象だと思う。
でも彼の言葉の後ろにはもっと怖い「何か」を感じる。
有限な時間の中で苦悩に、思考に体力と熱量を注ぐ。人格の形成において意味はある、無駄とは思わない、でもなんでかわからないけど危険な香りがする。
それは、「苦悩」、「思考」を利用して「自分にとって本当はやるべきこと」から逃げることができるから。
なんてったって私は本当に心の底から苦しんでいる。もう10年以上、何度も何度も何度も何度も「もううんざりだ」「死ぬしかない」を繰り返し、全身全霊で「苦悩する自分」と向き合ってきた。誰に何と言われようと、正真正銘まぎれもなく苦しかったし、それを表にも出してきた。
だからこそ、誰もそれを責められない。なにかミスをしても、問題を起こしても、苦しそうだから、自分で問題はわかっているんだろうと思われるように。
指摘されたくない、怒られたくないから、私は私を苦しめていますよ!だから誰も怒らないでね!って。
自分で自分を苦しめることで他人の介入を許さない。
もちろん周りに迷惑をかけるのはよくない。
でも何よりも、自分が苦しむことで自分を守っているのは、あまりにも「頑な」すぎる。
苦しみのサイクルを自分の中で完結させてしまって、救いの立ち入る隙間がない。
深く重く思い悩むことを自分のアイデンティティと感じている方へ。
私はよく周囲の人々に自分の性質を打ち明けた時
「あなたの性質はときに人を思いやる優しさに繋がる」と言われます。
「精神的な寄る辺を求める人々の救いになる」と励まされます。
でも、これをアイデンティティとして生きていくには注意が必要です。
一歩間違えると思い悩むことは「苦しみ」を免罪符とした言い訳になります。
楽になりたいという本当の欲求を叶えるための「アクション」から我々を遠ざけてしまうことがあります。
いつになるかわかりませんが、自分を守るための「深く重い思考」をコントロールし、「苦しむことが本当に辛くてしんどくて、でも怖くて手放せない自分」を変えたいと思っています。