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母が手話をするようになったことがあったので

こちらのnote、おかげさまで反響が大きく…

⇧母の面白いエピソードを3つ紹介しているのですが、実は本丸がこちらの記事にあるのです⇩

タイトルも、メインの内容も、母の友人であるBちゃんの話なのですが、まず母の話から始まっています⇩

母は小学校教員をしていました。夫(私の父)と姑(私の祖母)から経済力をアテにされ、家事・育児もそこそここなすことを求められる日々。

母は育休も取らずに働いて、校内研修の司会をしながら寝てしまったことが伝説になっているみたいです。

なぜこんなことになったのか。
母が計算しない人間だからです。

普通の女性だったら「彼のお母さん(姑となる人)ヤバいらしいよ」と聞けば、いくら男性から言い寄られても結婚はしないでしょう。

ちなみに、弟に言わせると、私も計算していないらしいです。こちらのnoteの終盤で⇩

この世で計算してない女は
オカア(母)とオマエ(私)ぐらいや


という弟のセリフが登場します。そういえば私は「生きる」と「恥をかく」が同義語のような人生を歩んでいます…

それはさておき。

小学校教員をしていた母は、ある時、難聴学級を担当して手話をするようになりました。

20代だった私も養護教諭(保健室の先生)として働くようになっていた頃のことです。

そこで、私も手話はできるようになっておきたいと思い、母にくっついて、市の福祉センターに通いました。

母と一緒に、福祉センターで夜間に行われている手話講座を1年間受けたのです。

自分が通っていた教育大でも手話サークルがありましたし、教育実習で行った小学校では手話クラブがありました。

手話は教育業界と親和性が高いと思ったのです。

教員採用試験でも、手話を学んでることをエントリーシートに書くと、面接官がけっこう興味を持ってくださいました。

前任校でも一時期、聴覚障害の同僚がいたので、手話が少し役に立ちました。何より、コミュニケーションを楽しめるのが嬉しかったです。

そしてアラフォーの今、仕事でバンバン手話を使う状況です。トロい私は、若い頃に学んでおいて本当に良かったとしみじみ思っています。



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