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怒りの中にも全てを恕(ゆる)す恕(じょ)の心を知る金峯山寺の青い秘仏
なぜか急に奈良吉野へ行きたくなった。
吉野へ行きなさいと頭から指令がくる。
実は奈良に住んでいた時ですら訪れたことがない。
(当時住んでいた奈良市からでも電車で片道二時間かかる)
吉野については全く無知だ。
今年のNHK大河ドラマ「光る君へ」で、藤原道長が御岳詣(金峯山詣)した回の本編終了後の縁の地の説明で、吉野にこんな場所があったんだ、と知ったくらいだもの。
(奈良に住んでいた頃は奈良や歴史のことを知ろうとしていなかったな…)
記憶に残るということは、そこに何かを感じているんだろうと初めての地を調べてみると、ちょうど秘仏御開帳(10/12~)が始まろうとしていた。
金峯山寺
金峯山とは奈良県の吉野山から山上ヶ丘(大峯山)一体を指し、飛鳥時代から聖地として知られていました。
白鳳時代、修験道を始めた役行者が金峯山(大峯山)山上ヶ岳の頂上で、一千日間の修行をされました。
人々を迷いや苦しみから救い、悟りの世界に導くために金剛蔵王権現を祈り出されます。
そのお姿を山桜の木にお刻みになってお祀りされ、これが、金峯山寺の始まりであり、修験道の起こりと伝えられています。
金峯山寺を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」は2004年ユネスコ世界文化遺産に登録。
本尊/金剛蔵王権現
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役行者の祈りに応えて、釈迦如来、千手観音菩薩、弥勒菩薩の三仏がお出ましに成られました。
役行者は、その三仏の柔和なお姿をご覧になって、このお姿のままでは荒ぶる衆生を済度しがたいと思われて、さらに祈念を続けられました。
すると、忿怒の形相の御仏がお出ましに成られたのです。
過去・現在・未来の三世に渡って私たちを救済するため、悪魔を降伏させる忿怒の相で出現されたこの御仏が金剛蔵王大権現で、権現とは神仏が仮のお姿で現れることを意味します。
全身の青黒い色が慈悲と寛容を表しており、怒りの中にも全てを許す「恕」のお姿。
慈愛に満ちた父母の怒りに似たお姿ともいえるでしょう。
調べる中、ご真言も出てきたので三回声に出して読み、青い仏様に少なからず衝撃を受けて(仏像への概念を覆されて)その日は眠りについた。
すると、夜中にふと目が覚め暗闇を見つめていると何やら星の瞬きのような朝陽のような、なんともみたことのない煌めきが起こっているのだ。
一定期間の点滅、それが三回続き、夢なのか現実なのか?
完全には起きていない頭でこれは金剛蔵王権現さまかもしれない、とふと思う。
ご真言を唱えたから?
金峯山寺に来なさいと呼んでくださっているのかな?
いつ行こうか決めかねていたのだが、翌朝起床した時のあまりにも清々しい晴天に今日行こうと思考より先に身体が勝手に動き出す。
導かれているかのように。
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「恕す」という言葉にひかれて
「恕」という言葉が心を打った。
「許す」でも「赦す」でもない初めて知った漢字「恕す」
ちょうどこの頃モヤモヤを抱えていて、消しても消しても火が心の中でくすぶっていた。
ご本尊にお逢いしたら、この想いも昇華できるのだろうか。
そんな想いで目の当たりにした迫力ある金剛蔵王権現三体を見上げてみる。
障子で囲われた個室スペースに一人ずつ座して対峙する「発露の間」がある。
発露とは心の中にあるものをすべて吐き出すという意味だが、懺悔の言葉もモヤモヤも上手く言葉にならず、手を合わせ、ただただご本尊と向き合っていた。
忿怒の相だからか、自然と涙が…ということはなかった。
だが、全てを見透かされているようで自分を正す時間となった。
特に釈迦如来(金剛蔵王権現)=過去の前の間で一番長く座していたように思う。
過去を「ゆるす」が私の人生のテーマだと思った
なぜかというと、片親になった5歳の時から私は常に怒っていたと思うから。
一緒に暮らしだした祖父母は毎晩ご近所迷惑になるほどのケンカをして、リアルにちゃぶ台がひっくり返っていた。
初めて見た時はさすがに泣いた。
けれど、母からすればそれは日常茶飯事だったので「泣いたんだって?」と笑い飛ばされてしまった。
それ以降は喜怒哀楽を出さない無表情な笑わない子供になっていった。
きっと私は5歳のこの時から、自身ではどうにもならない境遇に対して、祖父母に対して、親に対して、静かに怒り続けていたのだと思う。
幼すぎてそれが「怒り」だとわからずに、自分の中にしまいこんで「我慢」に変身してしまっていた。
我慢が当たり前になって我慢しているという自覚すらなく。
でも時に「なんで私ばかり我慢しないといけないの?」と爆発するように想いが出てくる。
私の我慢の正体は「怒り」だったんだ。
だから「怒りの中にも全てを恕す」という言葉は私の心を打った。
「怒り」という自覚がなかったから「ゆるす」という発想がなかったのだ。
この想いの手放し方が分からなかったけれど、
そうか、「ゆるす」のか。
恕には心という漢字が入っている。
頭ではなく心でゆるすことなのだな。
直近のモヤモヤも「ゆるせない」という感情に気づけなかったから、くすぶっていたのだろう。
「『恕』のお姿は単なる怒りではなく、親が子を思って叱るかのように慈悲に満ちた心。怒りの中にすべてを許してくださる」という言葉。
そこには愛がある。
誰も常に完璧に物事を成しえる人はいないのだから、まずは受け容れること。
そして、怒っている私をありのまま受け容れて、認めること。
それは自分を愛することにもつながっているように思う。
自分を愛するとは、良いところも悪いところもまるっと受け入れて自分の存在を許可すること。
そうして自分のことを恕せるように思う。
自分をゆるせるから人を恕すことができる。
まずは自分をゆるすことからなのだな。
「怒り」そのものが悪いわけではない。
時に行動の糧となり、パワーを与えてくれることもある。
私は「怒り」が境遇に負けまいと行動を起こす燃料だったのだろう。
幼い私を、これまでの私を、今まで支えてくれた感情なのだ。
私の土台でもあろう。
でももうそろそろ「怒り」以外の他の燃料に変えても良いのかもしれない。
怒っていた自分をもゆるす。
自分を愛し恕すように、これまでの過去も親も愛し恕していきたい。
その境地にいたるにはまだ時間がかかるだろうが、自分を救えるのは自分であって、仏様はきっとそのきっかけとなる存在なのだ。
青い秘仏との対話は今までの荷物を降ろせたような、そんな気づきの時間となった。
吉野という地は、それこそ「恕」のようにすべてを恕してくれるかのような場所だった。
吉野駅を降りた時「お帰りなさい」と山から言われたような、そんな場所。
歩いていると、日本人であるということを思い出したり、「日本の真の姿、心」という普段は考えない言葉が頭に浮かぶ。
帰宅後、リーフレットをじっくり読むと、訪れた金峯山寺の山号は国軸山。
日本国の中心軸に位置する寺という意味だった。
山の景色をみながらの足取りは軽く、どこまでも歩いて行けそうな気持ちになってくる。
一歩一歩、禊をしているようなそんな道のりだった。
そして、山々からの空気は元気の源となる。
吉野神宮の後醍醐天皇や吉野に身を隠した源義経のように、逆境から前を向く歴史上の名だたる人物達も吉野のそんな包容力を感じていたのだろうか。
吉野は傷ついた心を癒してくれるだけでなく、
前に向く力をも与えてくれる場所なのかもしれない。
吉野を後にする頃には私の心も前を向き始めていた。
金峯山寺/奈良県吉野郡吉野町吉野山2498
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