学級だより 「結果」と「説得力」
普段、真剣な話をする時、
途中で横入りしてくる何かがあると途端に話していたことを忘れてしまう人間なので、
文章化して学級だよりとして配布し読み合わせています。そんな学級だよりをすこしいじって書いています。
「依怙贔屓」
読めますか?
意味は、「特に一方に心をかたむけ公平でないこと。また、好きなほうにだけ心を寄せ、肩入れすること。」です。たとえば、課題の提出が遅れるとき、先生たち(上司)に「またか」とか「なんでだ」とか言われる人がいる。また、隣の人と大差ないのに自分だけ服装注意されたり、確認されたり…
なんてこと、これまでの学生生活で経験した人もいるのではないだろうか。
一方で、「やったんですけど家に置いてきてしまいました・・・」「じゃあ、明日でいいよ」で済んでしまう人がいる。ちょっと靴下が下がっていてもなにも言われない人もいる。人によってはこれを“えこひいき”なんて言って、「あいつは何でなにも言われないんだ」「私だけじゃない」と訴える。
前者と後者にはどんな違いがあるんだろうか。
前者の人は「説得力」がない。後者の人は「説得力」がある。これだけの違いだろう。日頃の行いや話しているときの言葉や表情、見かける時の行動や態度が、その人の「結果」として表れ、“相手に対していい印象”を与えるという「説得力」につながったのである。
例えば、日頃の授業でずっと寝ているような人に授業のノートを見せてくれと言われた時のあなたの反応と日々授業を真面目に受けていて、たまたま1日休んでしまった日がある人がノートを見せてと言ってきた時の反応は全然違うはずだ。
人は、日々の行動や言葉で自然と相手を評価している。友達同士でも同じ。先輩後輩でも同じ。後輩が先輩を評価することもある。実際、あの先輩は…あの先生は…ってあると思う。自分と相手の立場は関係なく、出会った人や関わる人すべてを自然に自分の中で評価して対応しているものだと思う。
日々の行動や言葉で自然と相手に評価をされているからこそ、その相手にどんな印象を与えているかで、その後の自分の「説得力」に跳ね返ってくることになる。
「結果」と「説得力」が整っている人は、
「あの人がいうなら」って相手を思わせる「説得力」があるということ。
「あの子のためなら」と周囲の人を動かすことになる。それは狙ってやっているわけではなく、表情や態度、言葉、雰囲気などあらゆるものが自然と「結果」として相手にいい影響を与えて自然と「説得力」を作っている。
これは、本当に大事な力で、年齢は関係ありません。誰にでも備わっているものです。
いろんなことをして、多くの経験をして、世の中で活躍するために、今から何事にも「結果」という“出来栄え”を意識し、何事にも「説得力」を持とうと意識し、自分の行動や態度、表情、言葉を大切にしながら、周囲を味方にしてもらいたい。
それと同時に周りの誰かの味方にもなってほしい。そうするだけで、翻って何かの機会に自分を助けてくれるでしょう。
私たちの日頃の様子は「結果」として相手にいろんな印象を与える。その「結果」をもとに、相手はさまざまな印象を抱き、私たちを評価する。
そしてその評価は私たちの「説得力」として、ふとしたときに返ってくる。私たちの日々の「結果」と「説得力」が自分を助けるのか、足を引っ張るのか、、、そして、それは私たちにどのような形で返ってくるか…。
それは明日かもしれないし、2年後かもしれない。
今日から改められる部分を改めよう。何度も言うが、人は自然にどんな瞬間にも評価をしながら対応を変えるものだ。誰に対しても「結果」を示して、「説得力」を獲得するのは本当に大変なことである。強い意志を持って、自分の「結果」と「説得力」を磨いていこう。
整理をしておこう。
(1)「結果」
=あなたの日々の言動(言葉・行動)
あなたの努力・成果・能力を示す唯一のものさし・指標は「結果」です。「自分はこれだけ頑張ったんだ!!」ってどんなに訴えても、「結果」が伴っていなければ、それは努力不足であり、能力不足だ。さらにあなたが成長するしかない。
(2)「説得力」
=あなたの日々の言動に対する周囲の評価
あなたの行動や頑張りは周りが勝手に評価する。
「あの人は頑張っているよな・・・。」「あの人に頼まれたことなら断れない」これが「説得力」。
「結果」が出せなかった、伴わなかった時に周りがフォローしてくれるのか、フォローしてくれないで怒られるのか、これはあなたの「説得力」次第。