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日本のへそからぶらりたび 知夫村皆一踊り編

知夫村には旧暦8月15日に神社で踊りがあるらしい。
その名前は皆一踊り
そんなことを何処かで聞いた。

海士町に来て隣の島にも行きやすいのでこのチャンスを逃すまいと
今年は9月17日に皆一踊りが行われる。

実に5ヶ月ぶりの知夫村への旅だった。

皆一踊りを実際に見て感じたことなどこの記事ではお伝えできればと思う。


皆一踊りとは

知夫村無形民俗文化財に指定されている踊り。
数人で円陣を作り中央に鼕(胴)打ちがおり、鼕の音に合わせて歌いながら扇子一本を持って踊る素朴な踊り。
鎌倉時代の正治2年(1200)年ごろに雨乞いや豊作祈願の行事として始まったといわれている。

鼕の打ち方に緩急があり、また鼕の中央と縁を交互に打ったり、
枹と枹とを打ち合わせたりと複雑な打ち方となっている。

太平洋戦争中、若者が出征しすくなく、壮年のてによって続けられ、戦後また青年によって続けられたが、若者の出稼ぎが多くなりいつの間にか途絶えてしまった。

ところが昭和40年代に復活した。
現在は中学生が鼕打ちとして活躍している。

皆一踊りは知夫村郡地区の一宮神社で開催されている。


皆一踊りの風景写真。


皆一踊りを見てみて感じたこと。

知夫村の皆一踊りを見て印象に残ったのは
地元のおじいさんや祭りの運営の人がおっしゃっていた言葉だ。

まず地元のおじいさんは「昔は知夫の赤ハゲ山で練習したんよ」とおっしゃっていた。山の上で輪っかを作って踊っていたのかと結束力があったのかと思うと胸が熱くなった。

運営の人が日本で一番簡単な踊りですとおっしゃっていたのを聞いて、拍子抜けした。実際に見よう見まねで試してみたがあんまし難しくはなかった。実際にできたんかは知らんけど。踊りの動きが僕には稲作で耕す動作に見えた。

中学生の太鼓が本当に上手だったという声を知夫村の方からたくさん聞けた。これを気に中学生が今住んでいる土地に愛着を持ってもらえたらなと思った。そんなことを思いながら知夫村・来居港へ向かい、内航船いそかぜで海士町・菱浦港に戻ったのだった。

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