後ろ向き日記生存戦略
今日も、「他人に期待しない」を目標に一日過ごしてました。今日だけじゃなく、いつも掲げてる目標ですが、物っっっっ凄く難しい。「期待」って、人との対話に無意識にこびり付いてる。人間の本能に組み込まれてるものでもあり、完全に消し去りたいのは仏陀になると同義語になってしまうので、せめてもっと凡人として生きていく中で培える「期待しない」熟練度を上げたいと思います。
そんな中、昼食の時に見た好きなツイッタラーさんのツイートで、自分が「平和に一日終えることに執着している」ことに気付かされました。
その方曰く「願いでも望みでもなく、執着になってるから、余計叶わなくなる」。
この方の文章を読んでると、いつもすっと心が軽くなる心地がするのですが、今回も例に漏れずでした。いつかに読んだ、ひろさちや先生の著作の中に書かれていた「病になる時は、病になるが良い。死ぬ時は死ぬが良い」を思い出せました。
生きづらい私の生存戦略
本を読んで、その教えを拠り所にするのは、私の生存戦略の1つです。
そして、最近筆を執るようになったこの雑多な日記も、戦略の1つに加わるようになって来ました。名付けて「後ろ向き日記」。
書き方を定めてる訳じゃありません。「後ろ向き」なことだけを書こうとしてる訳でもありません。ただ、ネガティブなことの方が自分の中で印象深く残るし、ネガティブことを文章に起こして考察する方が、筆が乗る(笑)そして、その行動によって、傷が少し癒される。そんな気がしてます。
文章にすることは、人に愚痴を言うことと同等の効果があるのだとか。
そして最近思うこと。大学の研究目標に「究極の癒しとは何か」と探求をしたり、昔から「生き方」を考えたり、勉強したりすることが好きだったのですが(傍から聞くとクソ真面目で面白みのない「好きなこと」と思って、あんまり人には話せていないです)、人生で逃れえない「悲しみ」を考察したり哲学したりする🟰ネガティブを紐解いていくことが、自分の心からやりたいことなのかもしれない、と思い始めています。
これをしながら生きて行けたら、と思うと、ちょっとワクワクする自分を感じています。