八重山病院 與那覇副医院長と再度面会
R5/6/19に安全対策室マネージャーさんより
前回話した内容に関する中間報告をしたいので
6/22に来院は可能ですかとお電話をいただき
その日に副医院長に再度お会いしました。
副医院長は
〇〇さん(私)の今までの診療記録を読みましたと言って
色違いの付箋を無数に張った私の診療記録を収めたぶ厚いファイルを持っていました。
そしてNO医師は最後の診察のカルテを書いてなかったですね
と言いました。
医事課からもらった診療記録に白紙が数枚あって
これは何で白紙?と思っていたのですが
そういう事だったんですね。
そしてカルテの改ざんについては
調べたけど形跡がなかったとの事でした。
(ほんと?)
これは副医院長には失礼ですが、信じられません。
副医院長はON医師のあと引き継いでくれたY先生と今回の事を話したそうです。
NO医師がいなくなって初めての検査の日引き継ぎを誰にもしていなかったので
私が待合室で待っている間Y先生や他の外科医の先生たちとで誰が引き継ぐか押し付けあい?みたいな事があったそうです。
それでNO医師から一番目をかけてもらっていたY医師が引き継いでよ、というような事が他の先生たちからあり、Y先生が仕方なく引き継いだのでした。
私はY先生からNO医師は乳腺の医者ではないと聞かされるまでそうだとは知りませんでした。
八重山病院の医師のリストがネットにあるのですがNO医師の所には乳腺と記載されてます。
この時の副医院長からの話から
Y医師はNO医師が退職したあとY医師の尻ぬぐいをして回っていたのではないか、という気がしました。
ここからは私の憶測ですが
そうすると、私の診療記録の改ざんは
もしかしてY医師の指示だったりして..…。
NO医師の電子カルテを見たことのない患者さんは
診療記録が改ざんされているなんて思わないからその事に気づかない。
きっとこの病院はこうしてきたんだろうなぁと思います。
うまく言えないのですが、NO医師のような医者がいても
検査した検査技師に話を聞けばがんかどうかわかるはずなので
そのあたりを巻き込んだシステムを構築して
医者の怠慢、NO医師のような医者の顔して診察室にいるだけの人を淘汰できる気もするのですが。
ここでは大体の事しか書いていませんが
他に私の要望も伝えました。
簡潔に書くと
私)変な医者は辞めさせてほしい。
副)誰がそうなのかはわからないから難しい。
私)患者さんやその家族の苦情とかでわかるのでは??
医者が足りないからとその隙間を埋めるだけの第二のNO医師は
害にしかならない。時には人命にかかわること。
結局これは前回書いた副医院長の言った
検査結果を患者さんに見せて話をする事を義務付ける
それが出来ているかを他の医者がチェックしてわかるようにする
というのが解決策になるのでしょう。
與那覇副医院長は八重山病院に就任される前に南部医療センター、だったと思うのですが、そこでの問題点を改善したという実績がある方だそうです。
八重山病院というと地元民は、あそこの病院は怖いという人多いです。
なにが怖いのか。
人それぞれの分話は色々あります。
八重山の住人だけでなく観光客の人たちもケガや病気になれば
結局八重山病院に行く事になります。
安心できる病院にしてほしいです。
その為に私の体験を書く事にしました。
私ができるせめてもの事です。
因みに抗がん剤の影響で急に脚の力が抜け階段から落ち
こめかみを切り血がドーッと出た事があって
一度救急で八重山病院に行った事があります。
NO医師の件があった後なので嫌な気分で行きました。
ところが、さすが救急だけあって仕事が早い!
当たり前ですが。
安心して頼れる男性の先生でした。
さて、
今これを書いているのはR6年7月です。
中間報告があったので最終報告があるのかなぁと待っていましたが
以来何も連絡はきてません。
直ぐに結果が出るようなことではないので
あるのか、ないのか、一応待っています。
八重山病院で私に起きた事は
私にこんな事が起きるずっと前から誰かに繰り返し起きてきた事なのです。
このままだとまたいつか誰かに起きると思います。
改善するといってもなかなか難しいと思いますが。
やるしかないです。
私はこれからも八重山病院で私に何があったのかを
色々な方法で発信していきたいと思っています。
昨年は市議さん、マスコミ関係の方、地域連携センターの方、
病院事業総務課の方、那覇裁判所の方、医療安全相談センターの方、
八重山病院の部長さん、私の友人達にNO医師の件で相談させていただき
本当に感謝しています。
誰に話したらいいのかわからない時に
私の話に耳を傾けてくれて、どこどこに電話してみたらと教えてくれたり
とても助かりました。
こうして最終的に與那覇副医院長に繋がる道ができました。
ありがとうございました。
そして私を心配して電話を何度もかけてきてくれた
遠く離れた所に住む私の家族。
ありがとう。