リーダーとは何かを、従業員に考えさせる。
上司(経営者)がやりたい事業をやること、夢をかなえることはかまわない。
でも、従業員にそれは関係ないし、知ったこっちゃない。
というのも、
私たち雇われ従業員は、働く環境を提供してもらい、働きに応じたお給料をいただき、日々の頑張りを評価してもらい、モチベーションを高め、もっとこの会社や社会に貢献したい、この経営者についていきたい、と願う。
経営者がやりたいことに突っ走って、従業員をほったらかしにしているのでは、下の者はついてこない。
上司にはそんなつもりはないかもしれないが、そう感じさせているのは事実。置いてけぼりと感じさせているのは事実。
個人が大事にされている実感はない。
私は、ただ何となく時間を過ごすことでは満たされない。
何のためにここにいるのか。
どんな意味があるのか。
自分はこの場所を利用する人に、何を求められ期待されているのか。
限られた時間の中で、何ができるのか。
この時間を意味のあるものにしたい。
そんなことを大事にしたいと思っている。
私は、教育の現場で働いている。
教育とは答えのないものであるがゆえ、準備が欠かせない。
ノンストップで子供たちは成長していく。
だから毎回見通しが持てるようにできるだけ予習や準備をしてから療育に向かうようにしている。
そうするように上司に言われたわけではない。
だだ何となく・・・が嫌だから。
これは事業所を利用する方たちのためでもあるし、自分自身のためでもあると思っている。
そして、
今日はこんなことをやったよ!
こんな発見があったよ!
子どもたちのこんな面が見られたよ!
そこからこんなことをアセスメントしたよ!
とてもいい療育ができたよ!!
というのを、だれかに評価してほしいとも思っている。
人間だから。
手ごたえを感じる仕事は次回にもつながるし、自己肯定感も高まるし、自分の人生における満足感にも大きくかかわる。
手ごたえを感じる日もある。
他人の評価などなくても、自分自身で感じることもある。
しかし、子どもの教育にかかわることに正解はない。
これでよかったのかな・・・そんなふわふわした時は、その道のプロの評価があるかないかでかなり安心感や満足感が異なる。
評価・・・これでよかったのか?方向性はあっているんだね。じゃあ改善点は?
私はこのままでいいんだね、ここにいていいんだね。この考え方でいいんだね。ここにいる意味があったんだ。と、心理的安全性が高まる。
上司たちはいつも忙しそうにしている。
ホウレンソウ!!上司に確認を!!と言っているにもかかわらず、
「ごめんね、あとお願いしまーす。」
何か聞きたいことがあっても、とても聞ける雰囲気ではない。
私たちはここに留まったまま、療育を。
上司たちはもともとの仕事を私たちに任せ、新事業へ突っ走る。
どこに向かっているのか、私たちには見えない。不透明。解像度が低い。
その場所へ、私たちに「ついておいで!」とは言わない。
「一週間後の始発のバスで出発するからね!」と伝えて、
自分たちはそれより3日早く船で出港する感じ。
向かう先は何となく同じようにも見えるが、全然違う場所。
「大体この辺りね!!」って人づてに聞いた話を頼りに、手探りで進んで、ようやく近くまで来たと思ったら、そこに彼らはもういない・・・。
いったいどこへ向かっているんですか!?
みんな困っています。と声をあげてくれた人たちは、みな上司ともめて辞めていった。
彼らがやりたいことは突き進んでいくのはかまわない。
私たちのことを見てくれているのなら。
でも彼らは、私たちとの間に、大きな溝ができ始めていることには
まだ気が付いていない。
「今年は自分のやりたかったことがすべて達成できそう!夢がかないそう!」とSNSでつぶやいていた上司。
もう一度言うが、そんなことは置いてけぼりを食らっている従業員には、まったく関係ない。どうでもいいことだ。
今度、上司との面談がある。
「春からどんな風に働きますか。」
「こんな風に働きたいです!」
その声はどこまで届くのだろう・・・。