書評#4 部活動の社会学 内田良
本書について~目次など~
本書は部活動を計量的データをもとに「見える化」しようとする試みをおさめたものである。8章だてになっており、それぞれ違う視点から部活動を分析している。目次は以下のとおりである。
著者いわく部活動は研究分野からネグレクトされてきた。制度上「非公式」のものであり、アカデミックの対象とはならないとされてきたからだ。その部活動に正面から取り組み、分析してくれた待望の一冊といえるだろう。その分析結果は現場感覚としてそうだよなと思うものが多い。それを言語化してくれているのがうれしい。
部活動はどう変わってきたのか
まず驚いたのは部活動が必修化されていた時代があるということだ。中学校では1972年 高校では1973年に必修化された。学習指導要領でも、週当たり1単位時間時間をクラブ活動に充てることが明示された。これは受験戦争が過熱する中で、教科指導への偏向が問題視されたためだとされている。次の変化は2000年度である。必修クラブが廃止された。これは土曜授業がなくなるため、授業内容を精選した結果である。ではなぜ部活動はいまだに学校に残り続けているのか。著者は2点あげている。1つ目は生徒を評価する指導要録に部活動を書く欄が存在していたため。2つ目は公式戦などの戦績が進路に密接に関係していたため。確かに神戸の高校で働いていた時、(神戸市は中学校の部活動を2026年度に廃止することを決めている。)高校の部活動は進路にかかわるのでなくすことは難しいと言われたことがある。印象としては教育現場は生徒ファーストで動いており、生徒のためになくすことができないという考えが支配しているのだろう。
部活動はどのように語られてきたのか
1970年代から部活動は問題視されてきた、と著者はいう。ではなぜ最近になって部活動の改革が実際に行われるようになってきたのか。本書の一節を引用したい。
一貫しているのは「こどものため」という意識である。「こどものため」に部活動は必要だという言説から体罰事件、勝利至上主義の弊害などを経て、「こどものため」に部活動をなくすべきだという言説に移行してきた。僕がさらに思うのは、教員採用試験の倍率が下がる中で、その一因に部活動があるならば、なおさら部活動を続けることは「こどものため」に良くないだろうということだ。
まとめ
本書はこのほかにも様々なデータを示しながら分析を行っている。「第三章 なぜ部活動指導に熱中するのか」や「第七章 地域によって部活動は変わるのか」なども示唆的で面白い。部活動を考えるうえで、必要なデータを提示してくれている良書である。