安倍晋三の第2次政権以降,今井尚哉首相秘書官・補佐官が安倍晋三を操っていたかのような「この国の為政」は,その後に「現状のごとき惨状・体たらく」を残した(前編)
※-1 2023年11月1日の〈はしがき〉
2012年12月26日に安倍晋三が第2次政権を組んでから2020年9月16日まで,およそ7年と8カ月もの長期間にわたってしまったが,彼は,この「美しい(?)国」を,すっかり汚濁(汚物)と虚偽(妄想)にまみれた「腐敗・堕落」だらけの「私物〔死物化」国家体制に溶融させてきた。
付記)冒頭の画像は,上西充子ほか著。末尾のアマゾン通販の画像から借りた。
残念なことに,頭脳にも才能にもまったく恵まれていなかったけれども,単に「世襲3代目の政治屋」だったから,祖父の世代からの「地盤・看板・カバン」を継承できていたがために,難なく国会に送りこまれる立場・境遇を無条件に付与された,
この「世襲3代目の政治屋」の「ボンボン・甘ちゃん」の,
それも政治家もどき「逸材ならぬ凡才未満の小人物」が,1億2千5百万人の人口を有するこの「日本国」に運営に当たれるわけなど,最初の最初からまったく,もともとなかった。
政治家としての哲学や理念などそのひとかけらも披瀝できなかった安倍晋三であった。いまどきの長寿社会であるが,彼が自分の人生の終末を早めに迎えた始末は,2022年7月8日,参議院選挙に立候補した人物の応援演説のために,奈良市に出むいてその演説をはじめた直後,旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の「信者2世:山上徹也」の狙撃を受けて死亡したために生じていた。
安倍晋三が日本国総理大臣になれた事情に関していうが,この点とは非常に深い関係を保持していたのが統一教会であった。なぜなら,統一教会は実は,信者たちを全国都道府県における自民党員に多数もぐりこませておき,安倍晋三が自民党総裁選においては確実に当選するために画策してきた。
そうした工作によって彼は,第1政権のときも第2次政権のときも自民党の総裁に選ばれていた。すなわち,その種の裏工作があっててこそ,日本の首相になることができた人物であったのである。
その程度の「世襲3代目の政治屋」が日本の最高指導者になっていた事実を,一般論的に理解しようとする場合,国家の運営を彼が上手にできるという「保障がありえたか?」と問われたら,これにはまず,宝くじ(多・空・籤)の特等に当選するよりもはるかに困難であったと推測して,なんら不思議はなかった。
安倍晋三の第2次政権発足からその終期までは7年と8カ月もの長期間継続したがために,その間において,この国の脊柱はスカスカのぼろぼろになりはてた。アベノミクスというアホノミクス・ウソノミクス・ダメノミクスのせいで,この日本は「政治3流」だった事実は以前から変わらなかったにせよ,「経済が1流(Japan as No.1)であった」という褒めことばにひたれた20世紀の一時期は,いまでは「四半世紀以上も以前の思い出話」でしか語れなくなった。
しかし,そんな「世襲3代目の政治屋」の安倍晋三君がこの国の総理大臣を務めていた時期は,ただ,粗暴でガサツでしかなかったこの「裸の〈子どもの王様〉首相」は,より正確にいいかえると「初老の小学生・ペテン総理」(ブログ『くろねこの短語』の形容)の立場から采配(?)した「幼稚と傲慢・暗愚と無知・欺瞞と粗暴」な(本ブログの修辞)為政(内政と外交)以外,政治家として描ける材料がみつからない世襲政治屋であった。
ただし安倍晋三は,自分の「母方の祖父:岸 信介」が自慢であったらしく,このオジイチャンの「政治屋としての路線」にみならうことを強く意識していた。しかし,この不肖の孫はその祖父の「万分の一」でもいい,また猿まねでよかったのだが,自分なりに「政治屋」としての独自路線さえほとんど実践できていなかった。
つまり,安倍晋三は祖父の「肩の上に乗ること」ができていなかっただけでなく,この祖父のズボンの裾に掴まって引きずられる格好であっても,このオジイチャンを「模範」にして追うことさえできていなかった。そんな・こんな「世襲3代目の政治屋」が日本国の運営担当者になっていたとなれば,この国そのものが荒れはてる結末がもたらされたのは,当然かつ必然のなりゆきであった。
しかし,その程度の「世襲3代目の政治屋」であったためか,なんとはなしにであっても,この国の運行にそれらしく関与していたかのように「よそおうこと」すらできていなかった。この点は,つぎに論じるごとき事情・背景に照らして吟味することにしたい。
次項※-2からの記述は,2020年3月12日に一度書いて公表していた文章であるが,その間,未公表の状態にあった。それを今日,あらためて再掲・復活させることになった。もちろん,補正や加筆が必要に応じてなされている。
いずれにせよ,いまとなってみれば「安倍晋三が為政していた時代」は,この国の人びとをかこむ境遇の改善を,今後に向けてほとんど不可能にするくらいにまで,悪政・失政・暴政だけを充満させていた。
「この国をとりかこむいまの時代状況」は,まるで「失楽園」を思わせるが,この園から脱出がはたして可能であるのかというと,これはほとんど期待薄だと悲観的に答えるほかない。
とりわけ,現在の日本の首相は「世襲3代目の政治屋」である岸田文雄,別名「丸出だめ夫」君が担当しているしだいであるだけに,われわれの目前には,前段のごときに険しく苦しい現状だけが坦々とした道路となって,目前に開けててみえるだけである。
※-2 3年と7ヶ月前,2020年3月12日に批評してみた日本政治のデタラメ三昧は「永遠に不滅」か
a) 今井尚哉(たかや)という安倍晋三第2次政権〔以降〕,安倍晋三首相の秘書官・補佐官を務めた国家官僚がいた。この人物が,安倍晋三を操るかのようにして「この国の為政」をささえていたとしたら,つまり,政権中枢の黒子となって活躍していたとしたら,実質的には国家体制の崩壊を意味していたはずである。
この前段の「黒子が暗躍したが,国家は崩壊状態になって」というリクツの運び方が極論だという向きには,ひとまず安倍晋三の実例から離れての話題になるが,現在首相を務めている岸田文雄の場合をもちだして,つぎのごとき説明をくわえておきたい。
安倍晋三が生前,首相のときにいったせりふが,こういうものであった。これは実は,日本が「一国としての指導体制が機能不全」である事実を,側面から説明した事情の一端である。
まず,「今井〔尚哉首相秘書官・補佐官〕ちゃんって,すごく頭がいいんだよ,中をのぞいてみたい」と安倍晋三がいったとか(これは安倍晋三が発言した事実であった)となれば,
つぎに,それでは今井は「安倍ちゃんはすごく頭が▲いんだよ,中はのぞいてみたくない」といったとかいわなかったとか,もちろんこれは,今井尚哉の側に関した〈想定〉話となるが,このような想像も可能であった。
国家最高指導者としての能力などもともと,からっきしもちあわせていなかった『安倍晋三という世襲政治屋の総理大臣』は,2020年早々に日本でも大騒動になっていたが,新型コロナウイルス感染症問題に対処した姿勢において,その能力の限界をより露わにした。
本記述,※-2「以下の要点」はこう整理できる。
要点:1 「こんな人」が日本国の首相をやっているかぎり,全人民(全ピープル)的な次元においては,これからもとても嫌な不幸・辛い不運がつづいていく。(事実,その後もそのとおりに進行してきた)
要点:2 なにをやるにしても,今井尚哉首相秘書官・補佐官に頼った安倍晋三総理大臣は,すでに「国難の相」である事実などは通りすぎていて,いまや,この国家にとっては「極悪・死難の子ども宰相」になりはてていた。(事実,その最悪の顛末はさらに継続させられてきた)
※-3 『週刊文春』2020年3月19日号の「〈大特集〉コロナ恐慌」にみてとれる「当時の安倍晋三政権風てんやわんや」
この『週刊文春』2020年3月19日号については,冒頭に配置されていた「〈大特集〉コロナ事変」の主な目次を紹介するが,その前に「つるし広告版」の現物をさきにかかげておく。
ところで,本ブログ筆者は2020年3月当時までにはすでに,つぎの記述を関連の深い話題として,とりあげ公表していた。日付は順に2月29日,3月3日であった。ただし,現在,その原文は削除されていてネット上には存在していないので,ひとまず題名のみかかげておくことにした。
◆-1「安倍晋三首相は今井尚哉補佐官に補佐されておらず,逆に補佐しているのか,この2人の判然としない関係」
◆-2「新型肺炎コロナウイルスの感染拡大問題よりも,2020東京オリンピックの開催のほうが大事である日本国総理大臣安倍晋三」
いまから思いだすのは,2020年3月の寸前,2月28日(閏年だったので29日まであったが)に,安倍晋三が当時蔓延しだしたコロナ禍に備えたつもりの判断としてだったが,NHKのニュース見出しを借りると,「臨時休校要請 安倍首相『実情踏まえ柔軟に対応を』」と報道された「彼の政治判断」をきっかけに,全国一律で一斉に教育機関が休学措置を採った事実である。
その休学措置ははたして適切であったかどうかについては,その「実情踏まえ柔軟に対応を」という配慮事項が,実際には,全国一律の押しつけになっていた。この事実を思いおこせば,その意図が実質的には「半強制以上に強制になってもいた」からには,問題があり過ぎた。
当時,安倍晋三がそのように発言して要望したコロナ禍対応策は,あまりにも融通性のないものになっていた。本当のところ,その対策が融通性,柔軟性をもって適用される余地など,まったく準備されていなかった。
ということは,その対応策についても多分,安倍晋三が「のぞいてみたくとものぞくことができなかった」今井尚哉補佐官の頭中から繰り出された助言どおりに提供された方針だった,と推察しておけばいいのかもしれない。
※-4 黄口の「世襲3代目の政治屋」がもたらしたこの国の不幸・不運・不埒
本ブログはこの記述より以前に,「もしかすると今井(尚哉)補佐官は,安倍政権にとって『ミニ版でのラスプーチン的な存在』なのかもしれない」と形容して,こう形容していた。
安倍晋三という「世襲3代目の大▼カ政治屋」であっても,世襲による「地盤・看板・カバン」を継承してきたからこそ国会議員でかつ首相を務めることができていたものの,本当のところでいえば「ただの黄口の政治家」にしか過ぎなかった。
そのような当然かつ当たりまえの「世襲3代目の政治屋」に対する基本認識を踏まえて,以下の記述に進みたい。
2020年3月12日の『朝日新聞』朝刊コラム「経済気象台」が至当の安倍晋三批判を書いていた。この「経済気象台」(『朝日新聞』朝刊12面の「金融情報」面に連載)は,『忖度官僚の末路』という論題をかかげて,以下に印象するごときに記述していた。
--世の中新型肺炎で大騒ぎだが,問題発覚以降ずいぶん日が経っているのに「桜を見る会」の話も一向に収束しない。
数え切れないほどの疑惑にいっさい答えず「資料は破棄」「わからない」「事務方に聞いてくれ」と繰り返してきた政権だが,つぎつぎ矛盾した事実が明らかになり,事務方の弁明も二転三転,いまや破綻寸前だ。
にもかかわらず安倍首相は国会で子供じみたヤジを飛ばし,答弁姿勢は横柄でけんか腰,与党内からも苦言が出るほどだ。しかもあろうことか,政権におもねって不祥事の後始末をした官僚たちに責任転嫁までしている。
補注)それでいて,この首相,いまだにこうもいっていたとか。本日〔2020年3月12日〕『日本経済新聞』朝刊3面に出ていた記事の「見出し」が振るっていた。
もうともかく,支離滅裂,ハチャメチャ,しっちゃかめちゃかの為政ぶりでは「天下一品(逸品)のアベちゃま首相」に関しての話題であった。
2011年の「3・11」に発生した東日本大震災・東電福島第1原発事故から9年目の昨日(2020年のこの3月11日)のことについてとなれば,アベ「首相〔が〕『切れ目なく支援』 〔する〕震災〔後〕9年〔目となったが〕,官邸で〔は〕献花式 追悼式〔が執りおこなわれたが〕,〔その代わりに〕各地で〔の関連行事は〕中止・縮小」になった,という記事が出ていた。
例の「いまだけ,カネだけ,自分だけ」の調子でもって為政をしてきたこの首相が,誰に対して,いったいなにを「切れ目なく支援」するというのか。ほとんど意味不明に近かった。
東日本大震災・東電福島第1原発事故でふるさとに帰還できない〔できなくされたというべき〕人たちについて思いだすと,「東京電力福島第1原発事故の影響で〔当時〕まだ4万人以上の県民がいまも避難生活を続けている」状況のなかで,アベ君は,いったいなにを「切れ目なく支援」しているつもりだというのか?
政府の原発事故・避難民に対する本当の基本姿勢は「調べず・教えず・助けず」であった。いわば,2020東京オリンピックを開催したいという欲望を秘めたまま,東日本大震災・東電福島第1原発事故については,できるかぎり収束しているとみなすための演技(仮面劇)をしていたいのである。
補注)2020東京オリンピックは翌年に,1年延期されて開催されたが,基本は無観客試合となり,本来のこのスポーツ大会の盛り上がりはえられていなかった。
東日本大震災が発生したとき,大津波による被害だけであったならば,その避難民のおそらく大部分は,なんとかしてでもふるさとに戻れていたはずである。だから,こういう報道もあった。本日,『東京新聞』の記事である。
安倍晋三は第1次政権のときだったが,2006年12月に国会の質疑で,日本 共産党の吉井英勝衆議院議員に対して,つぎのように答えていた。すでにほかの記述中で紹介したことがあるが,このあまりにもフザケタ安倍晋三の返答には呆れる。
それでいて安倍晋三は,2013年9月7日にアルゼンチンのブエノスアイレスで開催された「第125回国際オリンピック委員会(IOC)総会」において,2020年に東京で開催する予定の五輪大会に関しては,東電福島第1原発事故現場の状況が “アンダーコントロール” だから,なんら問題はないと大ウソをついていた。
だがいまだに,その溶融した原子炉3基からはデブリの1㎏も取り出しができていない段階にあるけれども,10年も前の時点でも,よくぞそこまでデタラメの極致となる大ウソを吐いたものである。
安倍晋三の虚言癖は定評があったが,以下の国会における質疑応答は2006年12月という時点でなされていたゆえ,アベの大ウソつきぶりは堂に入っていたというか,ほぼ犯罪レベルにまで到達していた。
一国の最高指導者がそのように(叙上のごときに),そして,以下のように,デタラメもいいところの,ズサンもズサンである発言を重ねていた。
あげくが,前段でも触れたごとく,2020東京オリンピックを招致するためのIOC総会(2013年9月,ブエノスアイレス)で,安倍晋三はとくに,東電福島第1原発事故現場の汚染水問題について「アンダーコントロール」などとのたもうていた。
安倍晋三の日本国首相としてのこうした発言内容は,原発事故の被災民たちにとってみれば,「ただの狂気だ」というよりは,もう完全に「人間凶器の部類だ」といったほうが適当であった。
※-5 2020東京オリンピックは開催できたけれども……
さて,オリンピックのための聖火が2020年3月12日(この記述を書いていたちょうど当時であったが)に,ギリシャで採火される予定だというニュースが出ていた。この聖火を日本では,福島県の東電福島第1原発事故の被災地域から発走させる予定が組まれていた。
聖火が走るところだけは特別念入りに除染を集中的にしている様子であった。だが,いまだに「避難地域」に指定されている被災地全体の立場からすれば,聖火リレーが一瞬だけ近所を通ったからといって,なんの御利益がありうるのか?
補注)そして,こういう話題もあった。営利主義のオリンピックの面相が非常に悪相である事実を証する1件である。
2020年3月26日にスタートする東京五輪の聖火リレーのトーチについて,大会組織委員会が走り終わったランナーに7万円程度で売る方針を固めた。複数の大会関係者への取材で分かった。購入希望者が少ないと組織委の出費増につながるため,聖火リレーが通過する自治体などに購入を働きかけ,すべてのトーチを売り切る考えだ。
トーチは国際オリンピック委員会(IOC)との契約で売り上げ利益を出せないため,販売額は制作実費とほぼ同額とした。近年の五輪でも走者限定で販売しており,2018年の平昌冬季大会は5万円程度だった。ユニホームは走者に無償でプレゼントする。
註記)「聖火リレートーチ,走者に7万円で 組織委『売り切る』」『朝日新聞』2019年12月28日 21時00分,https://www.asahi.com/articles/photo/AS20191228001189.html
だから当然,こういう感想も出てきた。「オリパラの聖火リレーのトーチって,走者はもらえるのかと思ったら,欲しければ7万円で買うのか」
本ブログ筆者は,このトーチについては単純に考えていた。聖火リレー全経路に必要な数だけを最低限準備しておき,それを出発点から最終点までかけて適宜に分けて使いまわしていくのか,などと思っていた。
ところが,そうではなく,IOCもJOCも「トーチをたくさん用意していて,走者に売りつける算段をしていた」というのだから,五輪というのは「おマル(マネー)のことばかり計算している国際大運動会」である本性(根性:商業主義)を,なにも遠慮することなく剥き出しにしていた点を,再認識させられた。
〔ここでようやく『朝日新聞』コラム記事「経済気象台」に戻る ↓ 〕
「狡兎(こうと)死して走狗(そうく)烹(に)らる」(獲物の兎〈うさぎ〉が死ねば優秀な猟犬も不要になり食べられる)という中国の格言もある。
横紙破りの定年延長だの女性職員との同伴出張だの勝手放題の側用人=官邸官僚がいる一方で,森友学園問題で国会審議の矢面に立った財務省の佐川〔宣寿(さがわ・のぶひさ)〕元局長はその後,減給20%の懲戒処分を受けて退職,全部で20人の財務官僚が処分された。彼らだけではない。
政権の不祥事が明るみに出るたび,いったいどれだけの忖度官僚たちが責任をかぶって処分・左遷されたことか。新型肺炎対策の混乱も結局,最後に責任をとらされるのは官僚たちだろう。
補注)ここで指定されている官邸官僚のうち1人が,安倍晋三に一番近い立ち位置で,それも密着する関係をもって仕事をしていたのが,ほかならぬ今井尚哉首相秘書官・補佐官であった。
安倍自身が政治家としての能力・実力に問題がある分(政治家としては欠陥商品であった事実は衆目も重々に認定済み)を,この今井が相当程度に補佐してきたわけである。
ところが,首相のためのその補佐のお仕事が「補佐ではなくなっており,実質的に代理・代行を担当する」今井尚哉になっていた。こうした実態があるとしたら,これは大問題である。アベの政治の私物化がさんざんとりざたされてきたが,本当のその姿は「当の本人が死物(フランケンシュタイン)化していた」官邸私物化政治を招来させていた。
結局,アベの為政は,今井補佐官を頭(かしら)にした,それもごく一部の官邸官僚ならぬ「宮廷官僚」のための「踊り場」(盛り場)を,永田町に作ってしまった。
補注)ここでは事後談となる。近畿財務局に勤務していた赤木俊夫という人物に触れておく必要が出てきた。
赤木は,安倍晋三が実質的な被疑者の1人としてからんだ事件であったが,森友学園への国有地売却をめぐり,決裁文書改竄の経緯を記した全518ページの文書を省内に残したことでしられる。
赤木は,その文書の書きかえ=改竄を現場の人間として強要された結果,うつ病を発症し,2018年3月7日に自殺した。赤木ファイルはそれから3年後の2021年に開示された。
なお,赤木俊雄に関するウィキペディアの説明が要領をえた解説になっており,参照に値する。国鉄職員から国家官僚に転じた赤木が自死においこまれた過程においては,誠実で正直であった現場の人間にその改竄行為の全責任を押しつけた財務省の高官たちの嫌らしさ,エゲツナサが満開になっていた。
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【断わり】
「本稿(前編)」につづく「後編」は明日以降に掲載する予定であり,できしだいここにその住所(アドレス)を掲示する。
⇒ https://note.com/brainy_turntable/n/n12dabdb75cba
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