アジア地域の国々でノーベル文学賞と平和賞が授賞された
※-1 韓国の作家「韓 江」がノーベル文学賞を授賞された
アジア地域でそれも,日本でノーベル文学賞を受賞された作家は,川端康成(1899-1972年),大江健三郎(1935-2023年)がいた。いずれも男性であった。
※-2 日本被団協がノーベル平和賞を授賞された
※-3 安倍晋三の叔父,佐藤栄作もノーベル平和賞を授賞されていたが,これがトンデモ(ない)結果をその後に,つまり時系列的に惹起させていた
佐藤栄作は首相としての在任していた期間,1964年11月9日-1972年7月7日における仕事・業績を踏まえてだったが,ノーベル平和賞を授賞されていた。だが,この事実を単純に歓迎し,喜んでだけいた日本人たちばかりだとしたら,国際政治史が現実に進行してきたその「深淵の存在」の薄暗さに関して,なんら関心を抱かないでいられたからであった。
まず,つぎの『沖縄タイムス』の記事は,その付近の事情に関する背景に言及していた。
イ) ところで,いささか脱線気味になるかもしれないが,アンサイクロペディアが「佐藤榮作」を解説していた。その内容を聞いてみると,こう書いてあった。なお〔 〕内は引用者の補足であり,細かい表現は原意を崩さない留意をしたうえで,補正している。また,このアンサイクロペディアの表現は,茶化した記述にいいかえてはいるものの,事実史から基本を外すことなく,叙述をおこなっている。
--〔佐藤栄作首相は〕在任中〔在任期間:1964年11月9日-1972年7月7日〕には「非核三原則」なるものをいって,ノーベル平和賞を受賞するも実は嘘であることが2010年に発覚した。
表では「核を食べない,食べさせない,持ち帰らせない」といってはいたものの裏では「核を食べないし,食べさせない,けど米国のいってはることだからお持ち帰りはいっかなぁ」となってしまった。ばれたら,即辞任だろうけど〔当時においてはまだ〕ばれずに済んだ。
ロ) 佐藤栄作は,1972年の第68回通常国会が閉幕した翌日の6月17日の退陣表明記者会見をおこなったさい,新聞記者たちを「所払い」して,テレビ各局のカメラに向かい独演した出来事は,有名である。
ハ) 佐藤栄作が1974年,ノーベル平和賞を授賞された件をめぐっては,非核三原則の制定などが評価されての〈成果〉であったとはいえ,しかし,平和賞を選考するノルウェーのノーベル平和賞委員会は,2001年に刊行した記念誌『ノーベル賞 平和への100年』のなかで,
「佐藤氏はベトナム戦争で,米政策を全面的に支持し,日本は米軍の補給基地として重要な役割を果たした。のちに公開された米公文書によると,佐藤氏は日本の非核政策をナンセンスだといっていた」と記し,受賞理由と実際の政治姿勢とのギャップを指摘することを忘れていなかったとはいえ,いまさらなにをかいわんやであった。
この記念誌はノルウェーの歴史家3名による共同執筆で,同年8月の出版記念会見の際にその1人のオイビン・ステネルセンは「佐藤氏を選んだことはノーベル賞委員会が犯した最大の誤り」と見解を述べて当時の選考を強く批判し,「佐藤氏は原則的に核武装に反対でなかった」と語ったという。
2009年(平成21年),沖縄への核持ちこみに関する密約の合意文書が佐藤家に保管されていたことが明らかになった。さらに,2010年(平成22年)10月に『NHKスペシャル 核を求めた日本』において,佐藤内閣下で,極秘に核保有は可能か検討がおこなわれていたことが明るみに出た。
補注)1971年,この「密約問題」を暴露する外交資料を入手した西山太吉(1931-2023年)は,その間における一連の騒動を経てからとなったが,その後,つぎの諸書物を執筆しつづけ,『佐藤栄作の虚偽(徹底した国民裏切り行為)』,つまり,国民を完全に騙してきた悪士ぶりを徹底的に追及していた。
以下に,関係の参考文献の紹介をアマゾン通販を借りておこなっておく。
ニ) 西尾幹二の発言によれば,こう理解されていた。佐藤栄作は核武装論から〔でもって〕変節し,「アメリカに日本国を売って」,ノーベル平和賞をえたことが日本の保守政権を堕落させた,と批判されていた。
ちなみに西尾幹二は,アメリカ側の日本に対する宗主国ぶりに関していうに,当時「キッシンジャーは佐藤栄作の前に立ち塞がるアメリカの『意志』そのものであり,ノーベル平和賞とはアメリカの政治意志の一道具である」とも論じた。
すなわち,佐藤栄作はアメリカ側に向かい,「日本を核大国の仲間に入れないのならお前たちだけ勝手なことはさせたくない,と一発かましたい思いからだったのかもしれない」と評し,核武装論者であった佐藤の,せめてもの抵抗だったのではないか,と論じてもいた。
以上の記述は特別な知識ではなく,ウィキペディアに出ている解説から適宜に引照してみたものであった。いうなれば,当該の問題に関心のある人たちにとっては,「現在になってみれば常識論の次元における説明内容」である。
要するに,ノーベル平和賞というものに関していえば,「この授賞を誰に与えるかどうか」が問題となる場合,きわめて政治的に生臭い駆け引きの道具ともなっている。しかも,それはそうであっても,いちおう表面的には優雅に,つまり,あくまでキレイゴトとして利用されてきた。だからこそわれわれは,その本質面の奥底に隠されている意図や狙いを,このさい,注意深く観察しておく余地がある。
以前,21世紀にはいって最初 2000年であったが,韓国の金 大中大統領がノーベル平和賞を授賞されていた。北朝鮮との対立融和に関する努力を認められて,彼の受賞になっていた。ノーベル平和賞じたいは,世界政治(国際政治)の動向に関してうまく使いまわされることよって,「この地球上の国々のあり方全体」に対して,間接的にであっても影響力を発揮させたいという「役目」が機能させられている。
補注)前段で【参考文献の紹介:アマゾン通販】として紹介してみた『西山太吉』集英社新書,2022年は,政府の機密資料「沖縄返還密約文書」を,日本でただ1人,取材の形でスクープしたジャーナリストの立場から,こう追及した本だと「宣伝・広告」されている。
※-4 ノーベル賞とはなにか?
a) ノーベル賞(Nobelpriset, 英語: Nobel Prize)とは,ダイナマイトの発明者としてしられるアルフレッド・ノーベルの遺言に従って創設され,物理学,化学,生理学・医学,文学,平和および経済学の「5分野+1分野」で人類に対して大きな恩恵をもたらした人物に贈られる賞である。最初の授与はノーベル財団によって1901年におこなわわれた。
前項※-3を受けた記述となるが,本年(2024年)に,日本被団協がノーベル平和賞を受賞した事実は,日本の置かれてきた第2次世界大戦中の諸体験に照らして再考するに,佐藤栄作のノーベル平和賞と,意識して抱き合わせて考えねばならない「日本の核問題」が浮上してくる。
b) 日本はだいぶ以前から実質「準・核保有国」である。40トンを超えるプルトニウムを保有するのは,けっして伊達や酔狂ではなく,特定の軍事目標が背景に控えさせた「意向の反映」である。
日本の大型ロケット打ち上げ技術ではすでに,必要かつ十分な技倆を備えている。また,実際に核兵器を製造するとなれば,短期間でいつでも実戦用に使える大陸間弾道弾ミサイルの製造技術能力がないのではない。
〔記事に戻る→〕 政府は「利用目的のないプルトニウムはもたない」ことを原則としており,6年前に「プルトニウム保有量を減少させる」という方針を決定したが,利用の見通しはたっていない。
c) 岸 信介。この信介の実弟が佐藤栄作であるが,この兄のほうの外孫に当たる安倍晋三たちだけではなく,日本の政治家や外務省関係者は,以前から「日本も核兵器を保有することは絶対に必要だ」と決めていた。いまさらの言辞ではなく,半世紀以上も前からの意志であった。
その他方で,今回ノーベル平和賞を受賞した日本被団協は,「人類は私たちの犠牲と苦難を再び繰り返してはならない」と訴えてきた。だが同時に,核保有「欲望」をけっして捨てるはずもない日本政府の意向を踏まえもしないで,
つぎのように報道された記事を「ああそうですね」といって,すなおに賛同することは,自国の核兵器「観」,自国の軍事思想に完全に無知だと指摘されるほかない。
以上のようにきびしい目線を投じて観察すべき「ノーベル平和賞受賞」の記事・報道であった。だから,新聞紙によってはつぎのように冷厳に,今回の出来事を報道するものもあった。
※-5「原発=原爆」であるというごく初歩的な原子力核工学の見地
日本の原発体制は「トイレのないマンション状態」を,いまだになにも解決できていない。使用済み核燃料の後始末を国内で実施しうる条件は,現在までなにも整備できていない。
東電福島第1原発事故現場では,再度のデブリ取り出し作業を試みているが,またもや不如意な経緯をむだに加増するだけの顛末になっていた。デブリ取り出し作業(廃炉工程とはいえないその前段階の仕事)は,おそらく本格的にという技術的理解でいえば,永遠に取りかかれない作業でありつづける。
プルトニウムを核兵器の材料に利用できない日本国の現状では,せいぜいその一部だけはMOX燃料として従来型の核燃料に混ぜこんで使用しているが,これにはまた別の問題があって,そちらの課題が追加される始末であった。
「原発と原爆」は双生児であって,これが一卵性であれ二卵性であれ,原爆の不完全利用版が原発であった。それゆえ,東電福島第1原発事故やチェルノブイリ原発事故のような深刻な重大事故を起こしたとなると,「原発=原爆」である素性・出自がもろに発現させられるほかなくなる。
ここで観方を逆というか左右を入れ替えて指摘するとしたら,「原爆が原発」となってから,その後かつまた「原発が原爆」となってきたのだから,日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)のように「原水爆(核兵器)被害」の問題にのみ視点を向けていないとしたら,これは問題を残したままの運動体の「理念なり目標なり」だったという結末になりかねない。
そこでここでは,「福島いわき市のすさまじい土壌汚染,ストロンチウム90も検出 (いわき放射能市民測定室 たらちね)」『阿修羅 掲示版』2024年10月10日 07:57:3,http://www.asyura2.com/22/genpatu54/msg/397.html に紹介されていた
「2024年8月の放射能測定結果 102件」(いわき放射能市民測定室 たらちね)https://tarachineiwaki.org/wpcms/wp-content/uploads/sokutei_kekka_202408.pdf をのぞいてみたい。
このリンク先住所をクリックしてその一覧表をみると,すごいことになっている場所(のその測定結果)が記録されている。
「いわき放射能市民測定室 たらちね」の紹介者は,こう言及していた。
チェルノブイリ原発事故現場(および周辺地域)におけるその後と比較してみると,東電福島第1原発事故(同上)のその後も,平気で平然と人びとを,それもとくに子どもたちを,有害な放射性物質に晒しつづける「日本政府の深刻なその後の態勢」がみてとれる。
現在も解除されていない「原子力緊急事態宣言」であるが,いまでは,1月7日(つまり松7日)を過ぎた気分にでもなったまま,いまもなお発令中ということにしているのか?
要するに,日本被団協の活動対象は原爆関連であって,原発関連は関心外であったとしか受けとりようがない。
だが,被爆者も被曝者も同じである。原因は異なれ結果は同じ現象,同じ被害を受ける。「原爆も原発も基本は同じ原理である」から,この一方を除外したままの「日本被団協の活動対象」は,21世紀のいまになってみれば,どうみても不可解であり,理解に苦しむ。
つぎの報道は「日本被団協の活動対象」に包摂されているものと受けとっておくが,今日また,人殺しのために核兵器・武器が使用されている。
※-6 日本被団協の立場・関心になにか欠落はないのか
この※-6の文句で表現すべき問題がまだ,被団協の視点・立場・関心からは欠け落ちていた。この論点は別稿で言及したい内容となる。ここでは,つぎのような〈関連の諸資料〉をかかげ,示唆するに留めておきたい。
また『一月万冊』で佐藤 章が,今回におけるこのノーベル平和賞受賞をとりあげ解説していたが,こちらにもまた関連して「特定の視点・欠落」があった。その付近に関する議論は紙幅を要するので,次回の記述にゆずりたい。
以上,※-6のこの記述は,本記述全体を公表した翌日(2024年10月13日)に書き足した段落である。まだ,本格的にさらにくわしく説明をするための記述・議論が必要であるが,その説明・討究は明日以降に残すことになった。出来しだい,この付近にリンク先住所を指示する。
『一月万冊』佐藤 章,2024年10月12日のユーチューブ動画サイトの紹介。
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