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社会科学方法論-高島善哉の学問(2)

 ※-1 前 言-高島善哉「社会科学方法論序説」の試み 

 本日のこの「本稿(2)」は,日本の著名な社会科学者であり,戦時中から経済社会学の視座から学問を展開してきた「高島善哉の学問」,とくに社会科学論を紹介し,吟味するための続編である。

 なお,本稿の初出は2014年11月16日であり,改訂された2020年2月17日を経て,本日2023年6月8日,3訂版としてあらためて公表することになった。
 付記)冒頭の画像は高島善哉『社会科学への道』弘文堂・アテネ文庫,1951年。

 「本稿(2)」の要点はひとまず,つぎの2点に整理してかかげておきたい。

  要点:1 高島善哉の学問・方法論

  要点:2 現代の社会科学方法論は,高島善哉を超えられるか?

 「本稿(1)」との関連で若干その復習をすると,そちらでは,高島善哉の著作のうちでもその「社会科学論」を論じた『実践としての学問-日本的知性批判のために-』 第三出版,1973年をとりあげ検討していた。

 そして,「 社会科学の原点は人間である」し,そのさい,従来の問題構成の大枠として指摘されていた「体制・階級・民族」という問題基盤にくわえて「風土」概念を登場させる必要が唱えられていた。

 つづく,本日のこの「本稿(2)」は,とくに社会科学の思想と立場 の問題に注目しつつ, 高島善哉『現代日本の考察』竹内書店,1966年が提示した「日本における新視点」から社会科学「方法論」を検討してみる。
 
 高島善哉の同書は,『高島善哉著作集〈第4巻〉現代日本の考察』こぶし書房,1998年に所収されている。

 要は,社会科学の立場はどのような思想から発想し,これを理論の枠組を構成し,その具体的な体系を編成していくのか,日本の学者として独自の見地から高島善哉が「問題提起」をしていた。
 

 ※-2 社会科学の思想と立場

 「本稿(1)」の記述は,高島善哉『実践としての学問-日本的知性批判のために-』1973年に,くわしく聴いてみた。

 最近における,とりわけそれも本ブログ筆者の専門領域「経営学の研究分野」では,「社会科学としての経営学」という問題意識,換言すると,より大きな観方でとらえていうに,「社会科学の本質論・方法論」に真正面からとりくむような〈本格的な考究〉は,ほとんど登壇しなくなっている。昨今は,学問や理論のあり方(方法問題)がそれほど重視されなくなった。

 1) 「作業仮説→修正計画→調査実行」という実証的な研究方法に跼蹐

 というよりは,社会科学の分析視点がどのように構築されればよいのかという「基礎理論(グランド・セオリー)」に関する関心が失われている。目先のこまかい作業「仮説設定→検証→評価」という過程・手順じたいへの注目が,学問の方法としてより尊重されている。

 いうなれば「問い→作業仮説→計画→調査実行」→「修正した作業仮説→修正計画→調査実行」というような「研究手順上のフィードバック」の「積み重ね」が,それもその場かぎりでの,ずいぶんチマチマした起承転結に終始する「論文執筆」が主勢なのである。その意味では活気に欠けた研究が多い。

回し車またはハムスターホイール(hamster wheel)という器具

 社会科学のどの分野であれ,この世の中=社会・人文・自然など出来事:現象を,それぞれの科学が置かれた特定の見地から分析・考察し,さらにそこから独自の創見を用意し,最終的にはそれを道具に使用しつつ整理・説明しようとする。けれども,前段に触れたごとき「学問手続論」をもってしては,自己完結的に内向き終始する議論に留まるばあいが多い。

 2) 「デ・フロートによる実証サイクル」という方法

 この方法はつぎの内容からなる。

  a) 経験的事実を集めてまとめ,仮説を形成する「観察(Observation)」
           
  b) 個々の事例から一般的な結論を見出すし,仮説を策定する「帰納(Induction)」
           
  c) 仮説の原理から個々の事例を推論し,試験可能な予測として仮説の結論を試す「演繹(Deduction)」
           
  d) 新しい経験的素材で仮説を検証する「検証(Testing)」
           
  e) 検証の結果を評価する「評価(Evaluation)」

 こうした方法過程が社会科学分野における諸問題の研究に適用されるばあい,ここに示された思考過程における諸手順が,思いどおりにかつ総体的に順序よく形成されればよい。しかし,実際にはこの過程の相当部分が十全に析出されて概念化できない事態がしばしば発生する。

 このときにおいてこそ,克服しておきたい方法上の問題点が実感させられる。社会科学者の「思想や立場」からの考究が,その問題点をどのように意識させ,また具体的に〈方法化〉させるか,これが最重要の〈研究課題〉ともなる。

 高島善哉が「風土の概念」を提示・訴求したのは,社会科学の基礎論においてこの「風土」を「体制と階級と民族」という諸概念に付けくわえて利用せよ,ということであった。

 ここでは,以下 ※-3 に列記されような「研究論文」〔これは実証研究の方途だといっていわれていたが〕の基本作法が,必要かつ十分な要件をととのえた議論を用意し,提供できるものなのか。いうなれば,その「論理構成」が必要かつ十分に確実に確保しえており,実際に展開するための基本要件を従属しえているかという点に関心が向けられる。
 

 ※-3 研究論文の構成方法

 研究論文(実証研究の場合)を読みやすくするために「研究論文の構成とそのポイントを意識する」と説明したある文章は,その技術的な考慮点をこう整理している。なお「理論研究・純粋研究」のばあいは,以下における ハ)「結果(results)」は「実験・調査・分析結果」のところを「思考・論証・考察析果」などと書きなおしておけばよい。

 イ)「序論(introduction, review)」は「本研究の重要性を読者に訴え,本論へ導く」

  導入部分 --読者が研究全体を見通せるように概観をわかりやすく紹介する。
  研究目的 --いったいなにを研究目的としているのか具体的に提示し定義づける。
  研究動機 --なぜそれをいま研究する必要があるのか説得力のある理由を提示する。
  先行研究 --これまでの先行研究・調査・仮説を整理し自分の研究に結びつける。
  仮説提示 --先行研究の結果にもとづき,仮説・調査・分析内容を具体的に提示する。

 ロ)「方法(study,method)」は「客観的かつ具体的に研究方法を示す」

 仮説検証のために誰を対象に,どのようなデータ〔論拠・根拠〕をどのように収集し,どう分析するか,その方法が妥当かどうかを検討しながら具体的に提示する。

 ハ)「結果(results)」は「実験・調査・分析結果をわかりやすく示す」

 実験・調査・分析からえられたデータ〔論拠・根拠〕を統計処理や言語処理などにもとづき,客観的かつ理解しやすいかたちで提示する。

 ニ)「考察(discussion)」は「結果の原因を探り研究の課題を示す」

 実験・調査結果がなぜそうなったのか,先行研究の結果・調査方法などを踏まえて考察する。また本研究の課題や限界を提示する。

 ホ)「結論(conclusion)」は「結果から明らかになったことを明確にする」

 本研究からえられた結果を明確にし,その結果が理論および実践にどのような示唆があるのかを述べる。

 註記)http://www.edu.yamanashi.ac.jp/~taketak/chubu2005.pdf. この住所(リンク先)には,以上に引用した中身はただちに表記されないので,念のため断あっておく。引用元が以前,そのような表記をしていた。

 ※-4 高島善哉『現代日本の考察』1966年

 1)「風土に関する八つのノート」1965年~1966年

 高島善哉の「社会科学論」は,『実践としての学問-日本的知性批判のために-』(第三出版,1973年)のなかに,「風土の概念」を登場させ議論していた。

 だが,この風土の概念を高島が本格的に論及しだしたのは,「風土に関する八つのノート」を『一橋新聞』(1965年 784号から1966年 798号)に連載した論稿においてあった。この「ノート」と名づけられた論稿はひとまとめし,高島善哉『現代日本の考察』(竹内書店,1966年)の「9,風土に関する八つのノート」として転載・収録されていた。

 高島『現代日本の考察』は「風土概念の再検討が要請され,新しい風土理論の再建が必要だと考えられるようになったのはなぜであるか。私はこのことをいささか本書において解明したつもりである」(『現代日本の考察』302頁)と断わったうえで,さらにこうも解説していた。

 私の考えかたをごく簡潔表現するなら,階級と民族のあいだに風土というカテゴリーを挿入して,現代社会科学の基礎理論をいくらかでも深めてみたいということにつきる。これに対しては多くの批判や非難があろう。また少数ながら賛成意見もあろう。

 実のところ,私自身がまだ問題を提起しただけであって,解決の目途はもちろん,展開の糸口され充分に立っていないというありさまで,すべてはこれからの勉強と努力にかけられている。

 いうまでもなく,このように基本的な大問題が1人の学究者の手によって解決されうるはずはない。学界の共同の作業として推進されねばならない性質の問題なのである。もし幸いにして私の問題提起の意義が認められえたとすれば,ささやかな本書の存在理由があったということになろう。大分の御批判を期待するしだいである(303-304頁)。

高島『現代日本の考察』から

 高島『現代日本の考察』「9,風土に関する八つのノート」は,これを参照・紹介するとなれば分量的に判断して,今日の記述には収まりそうもないので,機会をあらためて紹介・議論することにしたい。ここでは,別の識者の著作から「風土問題」に発する「問題意識のありかた:その一例」を聴いておくに留める。

 2) 社会科学にとっての風土概念

 人類は風土に対して変容をくわえつつ順応し,また風土に順応しつつそれを変容する。変容ならびに順応という風土に対する,能動的ならびに受動的な生きかたの全体が,根本的に風土のありかたに規定されている。

 しかし,その風土は人類が天性の資質によって工作をほどこした「人為的風土」なのであるから,風土は抽象的概念としての自然環境ではなく,人類が一定の自然環境のなかにみいだした自己自身の存在の様式=生きかたであり,逆にみれば,自然環境が一定の人間存在を媒介として自己を表現したものである。

 つまり,風土とは,自然科学の対象としての抽象的な気象や気候そのものではなく,また人間を抜きにした生態学的環境でもない。もちろん「風土」に相当する Klima や climate が「気候」という意味を第1義的なものとして含んでいることからも明らかなように,風土現象の基底に気象もしくは気候が,さらにそれらと有機的に連関する生態学的環境が存在することはたしかである。

 補注) Klima はドイツ語。英語,独語としての語源は同じ。

 しかし,それが人間存在にとって意味をもつものとして現象してくるのは,すでに社会的・歴史的に形成された人為的風土としてのみなのである。この意味において人間存在は,端的にいって,はじめから主体的に社会と歴史をと形成してゆくべき力を秘めた風土的存在として,この世界に出現してきたのである。

  註記)以上,山田英世編『風土論序説』図書刊行会,昭和53〔1978〕年,224-225頁。

 前段の議論は山田英世のものであるが,山田はこうも主張している。

 「風土はもっとも広義においては,地球ないし太陽系を基盤とする人間の存在様式であって,人間はかかる意味での風土をけっして超越することはできない。人間の超越への志向そのものが,地球的ないし太陽系のカテゴリーの支配下にしかありえないからである」(山田編,前掲書,235頁)。

【参考画像】-太陽系を一線上に並べた模式図-

太陽系の模式図-ただし一線上に並べてみたもの-
たとえばこう焦点を合わせていく
太陽⇒地球⇒日本⇒北海道⇒札幌⇒狸小路⇒ナントカ商店

 

 ※-5 風土論の含意

 前段最後で論じたように「人間の超越への志向そのものが,地球的ないし太陽系のカテゴリーの支配下にしかありえない」という定言に注意が必要である。

 2011年3月11日に発生した東日本大震災によって惹起された東京電力福島第1原子力発電所の深刻な事故は,地球:太陽系の支配下にあるべき人間存在が,原子力という《悪魔の火:エネルギーの怪物》を,自身の支配下に置くことができると慢心したすえに,とうとう起こしたものであった。

 その前に,1986年4月26日にチェルノブイリ原発事故が起きていたし,さらに1979年3月28日は,原発事故としてアメリカを震撼させたスリーマイル島原発事故が起きていた。

 日本と旧ソ連の原発事故は上の「国際原子力事象評価基準」(事故を事象と呼ぶ点が悲しいが)によれば,ともに「7 深刻な事故」であった。放射性物質を放出させた分量は,東電福島第1原発事故のほうがチェルノブイリ原発事故よりもかなり少ないとささやかれてきた。

東電福島第1原発事故・直後の汚染状況
東電福島第1原発事故とチェルノブイリ原発事故

 だが,本当はそれほど差はないかもしれず,東電福島第1原発事故の場合,風向きが太平洋側に吹く時間帯が多かった関係で,必ずしも「事実をより厳密,より正確に測定できていた結果」という保証はなかった。

 本ブログが別個に記述してきたところであるが,原子炉は,人間が《ミニ太陽系》を物理化学的に再構成し,利用している人工物である。

 だから,太陽系の支配下にある地球のなかに,このミニ太陽系を模した原子炉を電力獲得のために利用するという発想じたいからして,そもそも人間存在のもっとも基本的なありかたに,わざわざ逆らっている

 一言で済ませれば,「地球と人間とのどだい無理な関係」からエネルギーをえているのが原発の利用である。しかも,この無理な関係は原発の事故によって明確に実証されつつある。それでも「愚かな人類・人間」原発の利用を止めようとはしないどころか,まだまだこれからも原発を増やしていくつもりである

 いまから8年半ほどまでになるが,2014年11月13日の『日本経済新聞』はこういう記事を掲載していた。冒頭部分のみ引用する。

  ★ 世界の原発,2040年には6割増 IEA予測
    -インドなど新興国拡大,先行国には廃炉コスト11兆円- ★

 国際エネルギー機関(IEA)は〔2014〕11月12日,2014年の世界エネルギー展望を公表した。世界の原子力発電の容量は中国やインドなど新興国で導入が拡大し,2013年の392ギガ(ギガは10億)ワットから2040年には60%増の624ギガワットになると予測した。  

 先進国を中心に200基以上の原子炉の老朽化が進み,廃炉費用は1000億ドル(約11兆5千億円)以上に膨らむと試算した。 

世界で増える原発

 「スリーマイル(1979年3月28日)」→「チェルノブイリ(1986年4月26日)」→「フクシマ(2011年3月11日)」という原発の事故が発生してきた順序=具合にしたがい,人類自身が手痛い報復を,その原子炉=ミニ太陽系から受けてきた。にもかかわらず,いまなお原発からの電力入手に頼ろうとする,いわゆる「原子力村(マフィア)」を構成する利害関係者が,世界的な規模で各国に実在する。

 それに所属する人間関係・社会集団・経済利害の考えは,人類の存在様式・人間の実在形態に対して「根幹からの打撃」「決定的な損害」を現実に与えていながらも,なおまだ,「原子力の恐怖」に懲りていないでいられる「精神の無感覚」「感性の鈍さ」を維持している。

 ここで,「宇宙の構造 【図解でわかりやすく解説!】 太陽系とは? どこまでを太陽系と呼ぶ?」『ちーがくんと地学の未来を考える』2022年8月26日,https://spreading-earth-science.com/what-is-the-solar-system/ から,つぎの図解を紹介してから,さらに関連させて原発の現状に関して興味深い統計を,次段において紹介しておきたい。

 どういうことかといえば,世界原子力協会『世界の原子力発電所運転実績レポート 2022』(WNA “World Nuclear Performance Report 2022”(2022年7月発表),図表紹介(仮訳),日本原子力産業協会情報・コミュニケーション部,2022年8月は,

 「送電開始・閉鎖の推移 2021年は6基(531.0万kW)が送電開始,10基(866.8万kW)が閉鎖」(21頁)

と指摘していたのである。

 原発を盛んに新設しているのは,2021年中だけをみた話となるが,中国が6基,インドが2基,ロシアとトルコが1基ずつである。もともと原発を多く所有していたフランスやアメリカ,日本,韓国などは,1基も新設しなかった。同年の話にかぎるが,原発の新設・導入に関しては,一定の特徴が出ている。

 フランスは原発大国の大々代表のごとき国であるが,いまさら新増設というのはなんだ,もう要らないという印象さえある。アメリカはなにしろスリーマイル島原発事故がその深刻度は「7段階のうち5段階」であったものの,いまもなお原発にいささか懲りている事情があり,まだまだ尾を引いている。

 それは,半世紀近くも前の事故であった。そして,このスリーマイル島原発の廃炉工程はまだ始まったばかりである。何十年もの歳月をその廃炉作業のために費やしていく予定が組まれている。つまり「2079年まで延べ60年間に渡って廃炉作業がおこなわれる予定」だと説明されていたが,その時になってみなければ分からない事情もある。多分もっと長くなるかもしれない可能性が大である。

 それでも,中国やインドなど原発を勢いよく新設しているが,こられの国々などで原発の重大事故が起きたりしたら,自国の風土どころか世界中を破滅しかねない深刻な原発事故をなる。この指摘はけっしておおげさでもなんでもない。きわめて現実な心配ごとである。

 以前利用してみた中国の原発事情を図解したつぎの画像を,ここでもち出しておきたい。

中国は原発を増やしている

 日本が稼働可能な原発を50基台保有していた時期もあったが,日本に比べ国土が広い中国とはいえ,このように多くの原発を新設していく様相は,絶対に大事故など許されるはずのない原発という電力生産方式の存在として観るとき,原発という装置・機械の技術特性や非経済性をまともに理解している人間であれば,いまから恐怖を抱いて当然であった。

 なぜかといえば,原発はとくに大事故の発生など絶対にあってはならないといっても,事故が絶対に起きないとは誰にも断言できない。とにかく,もう一度,原発の大事故が起きた分にはこの地球は,悲惨な態に落ちこむ。

 人類史における現在の時点に立脚して話そう。

 「人類」は,自分たちと「その生活環境としての自然」との結びつきを,以前までは〈神の摂理〉を借りて納得することができていた。それが,環境の主体としての立場にあることを,みずから認めうるようになるためには,それこそ〈コペルニクス的転回〉にも比すべき「ひとつの精神革命」を必要とした。

 だが,人類にとって植えつけられてきた先入観念へのとらわれかたが,現実をありのままにみる眼とのあいだをさえぎる霧の深さのために,すなわち,人間自身がわれとわが眼をおおうヴェールの厚さに,まだきちんと気づいていないがために,まさしく「思案の外に放置されたままだ」という感じを抱くほかない。

 註記)この2段落のみ,飯塚浩二『地理学と歴史』古今書院,1966年,30頁参照。

 東電の福島第1原発事故は,なにを物語っていたか?

 人類史における自然環境に対する観方は,《風土の概念》に対する認識として進化してきた。その理解においては〈コペルニクス的転回〉も成就させていた。単に自然科学の立場からだけでなく,社会科学の意識からも「風土の概念」が議論されだしていたのである。

 ところが,人間たちは20世紀も後半になったころ,自分たちの置かれてきた自然環境のなかに『ミニ太陽系である原子炉』をもちこんでしまい,そのことの「決定的に重大な危険性」〔原爆でも原発でも同じこと!〕を,あえて意図してハナから無視してきた。

 すでにきわめて甚大なる地球損壊の行為が,チェルノブイリ原発事故や東電福島第1原発事故によってなされた。原発の深刻かつ重大な大事故は,ヒューマン・エラーの要因がみなかかわっているし(旧ソ連の原発事故),あるいは企業組織的な要因もかかわっている(日本の原発事故)。

 チェルノブイリ原発事故にしても東電福島第1原発事故にしても,まともに人間たちが本当に反省しているかといえば,そうではない。それ以上の愚かさで観察したら最悪の国家的決定をした日本国首相の岸田文雄がいた。この愚相は,これから原発の再稼働と増設をすると決めていた。

 この日本の現首相は,罵倒してもしきれないほど自国をダメにした(結論がすでに出ているとしか予想するほかないから,とくにそう指弾されて当然なのである)。

 安倍晋三もそれはたいそうひどい首相であった。それなりに幼稚でしかない割には,原発問題に対して確信犯であった「負の実績」(アンダーコントロール発言を思いだしたい)をさらけ出したりもした。かといって岸田文雄のほうは,原子力ムラ側の提示した「原発事項」に関しては,ほとんど夢遊病のように「唯々諾々の意思決定」を下してきた。

 日本の国家には「世襲3代目の政治屋」がウジャウジャ生息していて,この国の未来に暗い影を落としてきた。その1人である岸田文雄のような総理大臣がうごめきだした結果,その暗い影の範囲は広がるばかりになった。
 

 ※-6「本稿(2)」なりにする「むすびの議論」

 結果ははっきり出ていた。日本がいま電力問題としてまさしく直面しているエネルギーの実際的な課題は,原発の再稼働や夏の電力不足(これは一時的な時間帯でしかないが)といった目先の問題よりも,国民・住民の節電努力とものにいかにして原発全廃の道筋につなげていくのか,にあった。

 電力自由化や電力のスマートグリッド統合化運営の方式と組みあわせながら,積極的に再生可能エネルギーをどう伸長させていくか,併せてエネルギー消費をいかに削減(節電)していくのか。こうした中長期的な課題の解決をめざさねばならない。

 註記)以上の段落は,脇阪紀行『欧州のエネルギーシフト』岩波書店,2012年,230頁を参照。この意見は2012年時点のものであったが,現在はそれから11年も時間が経過した。

 その間,日本政府・経済産業省は原発増設路線をけっして諦めておらず,岸田文雄が首相になったところを好機ととらえ,このボンクラの「世襲3代目の政治屋」を利用した方途で,その企みを一挙に公表させていた。

 なかんずく人類・人間どもは,この地球になかにわざわざ「ミニ太陽系の原子炉」を無数もちこんでしまった。これは,人類が犯した重大な過誤,大失敗であった。

 太陽系のなかに存在する地球であるからには,ミニ版であっても「原子炉という太陽系」を,わざわざその表面に置くような愚を犯してはいけなかった。太陽はおおもとのひとつで十分過ぎるくらいに足りている。

 その意味でも「原発は,20世紀に生まれた過渡的エネルギーとして考え」ておく(脇阪,前掲書,227頁)位置づけに限定しておくべきであった。

 太陽系の一惑星である地球のことであるから,この星の地表においてわざわざ自家中毒(死!)を頻発させる原因にしかなりえない「エネルギー獲得の方法:原子炉利用」を採ってはいけなかった。

 現に,捨てる場所を探すのに苦労している「使用済み核燃料」などを,それでもどんどん増やしつづけている原発体制は,ミニ太陽系=原子炉がこの地球とは相容れないエネルギー生産体制であることを,明白に証明しているではないか。それでも,愚かな原子力ムラの住民たちは「原発の骨まで愛したいのか」? 原発と心中でもするつもりらしい。

城卓矢『骨まで愛して』1966年


 『朝日新聞』2012年7月4日朝刊は,作家藤原新也の「私たちは国土と民を失った 水俣病,そして原発事故」という寄稿を掲載していた。

 藤原は,明治以来の日本における「産業化がもたらした〈環境破壊・公害問題〉」と,21世紀になって「惹起させられた福島第1《原発事故》」とのあいだに厳然する「根源的な相違点」を強調する。

 それは,太陽系の一惑星に過ぎない地球のなかに「ミニ太陽系」である原子炉をもちこみ,エネルギー源として利用してきた人類の愚かさである。原発の利用は,地球の表面を少しずつじわじわと破壊していく作業になっている。

 もうひとつ私たちが十分に銘記していない決定的な違いがある。それは水俣では土地や家,家族は残ったが,福島ではわれわれは「国土を失った」ということだ。

 そしてその国土に住む国民から土地や家を奪い,流浪の民に追いやったということだ。この “原発難民” ともいえる方々は人しれず私たちの傍らにいる。

 福島では多くの悲惨をみてきた。しかし私が一番ショックを受けたのは,千葉・房総の自宅付近のドライブインで昼食をとっているとき,目のまえのテーブルに一週間飲まず食わず(比喩でなく事実として)で逃げまわり,憔悴しきった福島県浪江町からの避難民家族がおられたことだ。

 私はその家族の悲劇を目の当たりにしたとき,この国は有史以来初めて,みずから “国土を失い” “民を失った” のだなと痛感した。

藤原新也「私たちは国土と民を失った 水俣病,そして原発事故」

 2012年の「7/6 官邸前デモより-坂本龍一さん・田中康夫さん-」というあるブログ記述の1項は,田中康夫の出会ったこういう風景を報告していた。

 先週につづいて国民の1人として参加をしている田中康夫です。

 警察の方が〔関西電力大飯原発〕「再稼働反対」と小声で呟きながらデモの後片付けをしていました。前回,この集会が終わったあと,私が帰るときに1人の警察官の方がセフティーコーンを片付けながら小さな声で「再稼働反対」と・・・。

 私と目が合ったら,彼ははにかんでいました。

 註記)「29日の官邸前 再稼働反対デモ」『 misaのブログ』2012-06-30 00:30:25,http://ameblo.jp/aries-misa/entry-11290174307.html

 そして私の事務所のスタッフも,おそらく別の警察官の方が,同じように小さな声で再稼働反対と話して〔いたと〕い〔ってい〕ました。党派性を越えてイデオロギーを超えて家族を愛し隣人を愛し,そして郷土を愛し日本を愛する1人の人間として,私たちは再稼働反対,その一点に於いてこれからもたゆまず,諦めず,ひるまず屈せず逃げず一緒に歩んでまいりましょう。  
 註記)「7/6官邸前デモより~坂本龍一さん・田中康夫さん~(書き出し)」『みんな楽しくHappy ♡ がいい♪ 2011年3月11日。その後私は変わりました。』http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-2088.html

 その郷土となにか? 風土という概念に深くつながり,まさに重なることばである。いまも東電福島第1原発事故のせいで,周辺地域の住民は自宅に帰れない人びとが大勢いる。郷土の風土が壊わされたのである。台風や単なる地震の被害であれば,長くかかっても半年や1年後には原状復帰がなる。たいがいの場合であればそれが不可能ではない。
 
 だが,原発の事故はそうではなくなり,地球の表面を徹底的に壊し,ダメにしてきた。当然である。本物の太陽を真似て地球の環境のなかに,そのミニ太陽をもちこんだあげく,この装置・機械が大事故を起こしたとなれば,

 旧ソ連の場合,チェルノブイリ原発事故によって汚染された広域の地域(傷痕)を残した。現在のウクライナ国内となったその地域である。日本においては,福島浜通り地区に東電福島第1原発事故現場が,癒やしがたい大やけどの痕となって残された。双方ともに,地球全体の地図からはこれからも消せない場所となっている。

 立地した場所を更地に戻せない原発など作るなと批判するのが,風土(郷土!)ということばに即して,もっとも適切に出てくる「原発批判」の発声である。事故を起こさなくとも原発の周辺地域にあっては,放射性物質による人体や自然への悪影響が,いまも発生しつづけている。この厳然たる事実は,専門家であれば周知のことがらであった。

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