教育機会均等の保障は高等教育段階まで確保しないことには,この国の21世紀はお先真っ暗
※-0 最近における日本の労働経済は少子高齢社会になった現状のなかで,たとえばつぎのような労働力不足にすでに悩まされてきた
a) 交通関係。「バス運転手,2030年度に 3.6万人不足 2024年問題も影響」『日本経済新聞』2023年9月18日 2:00,https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC318GH0R30C23A8000000/
その2024年問題とは,自動車運転業務の年間時間外労働時間の上限が,同年から960時間に制限されることが決まっており,この関係で発生する諸問題を意味する。
これまで,長時間労働の慢性化という課題を抱えていたトラックドライバーの労働環境を改善しようとする目的を実現するさいにあたり,関連して不可避に発生が予想される制約を危惧した表現といえる。
関連していえばバスやタクシーの運転手も相当に不足しており,地方の過疎地域だけでなく,大都市近郊でも市民たちが日常的な移動手段をうしないつつある現状がめだつ。
筆者の暮らす地方都市でも,タクシー会社が以前は5社あったものが,先日配偶者がタクシーを利用したとき運転手と会話したなかで,現在はそのうち2社は廃業になっていると教えてくれたという。
b) 鉄道関係でも乗客数の絶対的な減少傾向を反映させて廃線区間が増えている。
ただし最近珍しくも,栃木県宇都宮市と隣の芳賀町を結ぶLRT(次世代型路面電車システム,Light Rail Transit:ライト・レール・トランジット),正式名「宇都宮ライトレール」が建設され,2023年8月26日に開業していた。
この宇都宮ライトレールは,日本では75年ぶりに「路面電車」(厳密にはその種の電車ではないらしいが)の営業路線が,新しく開始するという出来事になっており,世間の注目を惹いた。
ユーチューブ動画サイトでは,この宇都宮市で営業を開始したLRTの話題が新しい動画となって盛んに公開されているが,鉄道好きの立場ではない人たちからも,広く関心を集めている様子がうかがえた。
この宇都宮市のLRTは,乗客の利用数をかなり確保できていて,営業成績はまずまずになりそうだと予測されている。
だが一般論としてだが,大都市部以外の過疎化が進んでいる地域では,どのように住民の生活に必要不可欠である公共的な交通網を確保するのかについて,現在まで政府次元で立案すべきはずの体系的・総体的な「国土計画」としての準備がない。
地方自治体の対応に一任されているかのごとき現状は,政府次元における総合的交通政策に関していえば,その対応に問題がありすぎる。
現在,日本の全国各地で住民の移動手段がどのようなかたちであれ,どんどん衰退・減便しているだけでなく,実際にあちこちでさらに廃止されつつある現状において,国土交通省は,いったいなにを考えているのか?
補注)なおLRTとは,各種交通との連携や低床式車両(LRV: light Rail Vehicle)の活用,軌道・停留場の改良による乗降の容易性などの面で優れた特徴がある「次世代の交通システム」のことである。
さらには,宇都宮市につづいて路面電車の導入計画をもつ都市がないわけではないが--大阪府堺市,京都市,東京都の中央区と豊島区と江東区,静岡県静岡市,石川県金沢市,岐阜県大垣市,兵庫県伊丹市,島根県松江市,香川県高松市なども--その計画を構想している。しかし,いまのところ,宇都宮ライトレールにつづいて実現する都市(地域)は,まだみこめないでいる。
c)「農業における人手不足の解決策とは? 深刻化する問題へ今こそ対策を!」『minorasu 実らす,農業のミライ』2020/11/06,https://minorasu.basf.co.jp/80097
このままいったら日本の農業は,全人口の食料でもほぼ自給できるはずの,たとえば米が不足してしまうおそれがないわけではなく,昔の戦争末期のころではないが,イモ(サツマイモとやジャガイモ)を喰わねばならないのかなどと,冗談まじりに語られてもいる。
だが,実際のところ,日本の食料自給率は38%と非常に低く,カロリーベースでもまだ68%しかない。実際になにか天災や人災などのせいで食料不足の緊急事態になったときは,国民たちは1日2食もおぼつかなくなる。最近は好戦的な自民党関係の国会議員たちがけっこう員数いるが,そこまで考えて勇ましく発言しているか? 「ダイエットにいい」などと呑気なことなどいっていられなくなる。
さらにいえば,農水産業の今後も決定的に労働力不足になることは,以前から自明の事実であったし,また今後に向けて行進するほかない展望である。
【参考記事】-これは,少し長い記事なのであとまわしにして読んでもらうもよし。食料自給率の問題にも触れている-
だから,「農業の人手不足はこうやって解決する! 解決に向けた取り組みをご紹介」『 Re + 人・企業・自治体を応援するメディア「リプラス」』2022.12.7,https://shizenenergy.net/re-plus/column/agriculture/labor_shortage/ といったごとき記述なども,ネット上にはけっこうな数,登場している。
以上,2つの業種・分野での労働力不足に簡単に触れてみたが,日本の労働経済全体ではどのような趨勢・実情になっているか,つぎの画像資料をもって,その概観を理解するための一助としておきたい。
こうした統計からは,高等教育(大学や専門学校まで)の教科内容やその水準ついて,根本的なみなおしが要求されているはずであるが,このあたりの議論はほとんどない。
なかでも,2017年5月24日の学校教育法の改正によって設けられた日本の職業大学(専門職大学・専門職短期大学-修業年限は4年,「学士」の学位)は,実質,屋上屋を架した制度の追加であった。
それどころか,現状における高等教育制度に対していかなる教育制度上の意義がありうるのか,本質的な説明が与えられていないまま,制度面だけはさっさと発足していた。
文部科学省ホームページは,関連してつぎの解説を提供していたが,既存の大学や専門学校,そして高専との相違性,つまりその同一性と差異性は理解不能であった。
※-1 低所得層に対する高等教育機会均等を保障しないことには,この国の力は今後ますます凋落していく,この自明な事情を無視したまま教育制度の抜本改革をサボる自民党政府の無策・無能
本稿の前編に当たる「2023年10月2日」の以上における記述は,「日本における大学生向け奨学金制度が貧困な水準にある実情,なぜ給付型奨学金が日本では普及していないのか?」と,問いつめるための議論を積極的におこなっていた。
本日「2023年10月3日」の記述は 2年前の『朝日新聞』2021年10月26日朝刊が,大学進学問題などついてさらに解説記事を組んでおり,ちょうど昨日(2023年10月2日のこと)の記述に直接連続してつながる話題を提供していたので,これもついでに活かした議論を以下におこなってみたい。
昨日のその記述が「冒頭にかかげた議論」は,以下のごときであったので本日の記述の前提として,要約的にかかげておくことにしたい。
--日本における大学生用の奨学金制度は「給付型奨学金」を基本として規定(=観念)されていない。いいかえると,生活保護政策の一環であるような位置づけしか与えられていない。
結果として,この国における「文教政策のいちじるしい思想の貧困」が目立つばかりになっていた。そしてくわえては,既存の国立大学学生向けの授業料減免制度を覆い隠すごとき「修学支援制度」が新たに設置されたために,そのどちらを選択するか迷う国立大学生も出ていた。
補注)前段の指摘については,つぎの解説を読んでほしい。
高等教育体制における奨学金制度は,それも給付型を最初から重視しておらず,社会保障「思想」としては生活保護的な思想さえ感じさせる「修学支援制度」だとなれば,文字どおりに純粋な奨学金ではありえず,低所得の貧困層にかぎって「大学への進学をいくらかは支援するための制度」に留まっている。これは,高等教育段階において設置し運用するのにふさわしい制度ではない,というほかなかった。
この国には,防衛費を2倍にしたらよいなどと愚かにもみずから唱えた単純極右寄りの政治家がいた。この亡国体制のもと,「教育体制の貧困さ」ばかりが目立つなかで,これを抜本から改善しようとする意欲がまったくうかがえない現政権がある。これでは,21世紀におけるこの国の前途は絶望的にしか映らないわけである。
補注)前段の記述は安倍晋三から菅 義偉を経て岸田文雄の政権になっているなかで,日本における高等教育制度の「骨皮筋子さん」ぶりを指摘している。その防衛費(軍事費)のための予算だけは,すでに2023年度が5年をかけて2倍,つまりGDP比率2%の水準にまで上げ,そのために43兆円をドンブリ勘定で費やしている最中となった。
いまの日本は軍事大国だと指摘する意見もあるが,教育制度に対する予算措置は貧弱であって,国立大学(行政独立法人化したが)の教員たちの安月給ぶりでは,自分たちの学問や教学に誇りをもてない雰囲気を醸しだしてきた。
※-2「〈日本経済の現在値:5〉塾や習い事,重い負担に 2533万円,すべてて私立の教育費」『朝日新聞』2021年10月26日朝刊8面「経済」から
「公立か私立か」「塾はどうしよう」。教育とそれにかかる費用は,子育て世代の悩みのたねだ。私立中学校が多い都市部では,中学受験をする家庭も多く,教育費の負担が昔よりも増えたとも聞く。2児の父である記者(40歳)も,子どもによりよい教育を受けさせたいと思ってはいるものの,いったいいくらぐらいかかるのだろうか。
1)「大学まで公立」の2倍以上
まず,幼児教育から大学卒業まで,総額いくらかかるのかを調べてみた。高校までの教育費をまとめた文部科学省の「子供の学習費調査」(2018年度)と,高等教育の費用を集計した日本政策金融公庫の「教育費負担の実態調査」(2020年度)を使い,塾や習い事の費用も含む平均的な教育費の目安を計算した。
すると,幼稚園から大学まで,すべて国公立の場合はもっとも少なく,子ども1人あたりの教育費は1078万円だった。中学から大学まで私立で,大学が文系学部なら1674万円,すべて私立なら2533万円に上る。
私立が高い要因の一つが授業料だ。公立の小・中学校はかからないが,私立の小・中学校ではともに年40万円以上かかり,この時期の学校教育費の4~5割を占める。私大の授業料は年平均91万円(2019年度)に達し,国立大より7割高い。
塾や習い事などの「学校外活動費」の負担も重い。文科省によれば,公立中学に通う世帯では,教育費の63%が塾代を中心とした校外活動費に充てられ,とくに高校受験がある中3の年には41万円に上る。私立小学に通う世帯は,中学受験がある小6の年の出費が際立ち,塾代などの校外活動費が86万円に達する。
では,こうした教育費は昔より増えているのだろうか。高校までの教育費を比較可能な2006年度のものと比べると,すべて公立の場合は,高校授業料の実質無償化などで30万円減ったが,すべて私立の場合は151万円も増えていた。おもに小学校時代の塾代や授業料が増えている。
大学の授業料も上昇傾向だ。2000年度には国立48万円,私立79万円だったのが,2019年度は国立54万円,私立91万円まで上がっている。ほかの大学との違いを出すため,学部の新設や増改築などにお金がかかるようになっているという。
補注)ここの理解,「ほかの大学との違いを出すため,学部の新設や増改築などにお金がかかるようになっている」というのは,やや違和感を抱かせる。
というのは,多くの私大がまだ大いに儲かっていた時期,トイレまで豪華な設備に新改築したりまでする「時代の流れ」⇒私大が隆盛をきわめていた時期,つまり第2次ベビーブームによる好影響下,臨時定員増枠まで与えられた状況における私立大学は,ホテルとみまごう設備投資までできるほど収益が確保できていた。
けっしてぼろ儲けはできない業種(私大経営「民間の商売」そのもの)であっても,定員を上まわる学生実員を確保しつづけることができた時期においては,定員の4割以上も正式に認められて学生を入学させた大学もあったくらいである。
大昔みたく,定員の3倍もの学生を入学させるというメチャクチャはできなかったものの,1990年代以降の私大はしばらく,国公立大学側がなかなか定員をあまり増員させえない状況のなかで,急激に上昇する大学進学率に応える「私立大学なりの運営・経営」(臨時定員増の特別枠を文部科学省は認めていた)をおこない,それなりに大いに収益を上げえ,経営状態を好転させえていた。
以上のような日本の大学史事情は,日本の若者が大学に進学するさい,大枚をはたいていくのが大学だという一般的な観念を,当たりまえのものにしてきた。
しかし,世界各国における大学進学事情を少しでもしれば,日本のように大学へ進路をとるために一家の経済が非常に大きな負担に耐えねばならかったり,したがって困窮した世帯・家族はもちろん,低所得層の世帯・家族では,
初めから子どもたちが大学への進学を諦めたりするという「教育機会均等の精神」が破壊されたも同然の国だという事実(ここでは先進国の範囲でという意味に限定されるが)は,けっした他国に多くみうける事例ではなかった。
アメリカは私立大学になると格別に授業料が高水準である。しかし,学力のある学生にとっては,給付型の奨学金がアテにできる学資として各種各様に用意されており,その点がまだ貧弱な体制にある日本とは質的に異ならせる背景となっている。
韓国も同様に授業料が高いが,日本に比較すると奨学金の制度はまだマシである。韓国では18歳人口の急激な減少のために,国立大学でもソウルとこの近郊の広域圏以外に立地する諸大学にあっては,すでに定員割れが目立って現象している。
日本の大学も同様な現象がそろそろ本格的に出はじた情勢が生じている。この問題は後段で言及することになる。
〔記事に戻る→〕 これだけのお金をどうやって工面しているのだろうか。教育費に詳しいファイナンシャルプランナーの豊田眞弓さんに聞くと,やはり多くの家庭がかなり無理をして費用を捻出しているようだ。「塾や習い事のかけもちを減らすよう助言しても,教育費は『聖域』だとして触れたがらず,結果的に自分たちの老後資金がほとんどためられていない親も少なくない」という。
補注)この「教育費は『聖域』だ」という教育に関する親たちの家政面の理解=観念が問題であった。そうであるならば,世帯・家庭に対してその負担が非常に大きい事実については,「公教育のあり方」として,根本から考えなおす余地が大ありであった。
だが,そうした問題意識がもっと公共の舞台で,よりまともに具体的に議論される方途に向かうのではなく,現実においては,それぞれの世帯・家庭が個別的な事情に即して独自に,無理を重ねてでもその解決策を求める方途になっている。
一国単位においてこそ「教育は百年の大計」であるという見地をもって吟味がなされていない,あるいは,そうなる方向性が阻害されている実情を,それほど疑問を抱かずに甘受されられている日本的な教育事情は,問題だらけだとみなすほかない。
2)生涯賃金,大卒と高卒 6000万円差
そこまでするのはなぜなのか。調べてみると,学歴社会のきびしい現実がみえてきた。最終学歴によって,一生涯に稼ぐお金がどれぐらい違うかを調べた労働政策研究・研修機構の調査(2018年)をみると,
大学・大学院卒のフルタイム正社員として働く男性が60歳までに稼ぐ生涯賃金は計2億7千万円。それが高卒の場合は6千万円少ない2億1千万円,中卒はさらに少ない2億円だった。女性も同様の傾向だった。
しかし,子どもが多い場合など,どうしても負担できない家庭もあるはずだ。教育社会学が専門の神戸学院大の都村聞人(もんど)准教授が,大学または大学院に通う子どもがいる世帯の手取り収入(可処分所得)に占める教育費の割合(2019年)を試算したところ,子ども1人ならば13.8%,2人なら24.2%,3人以上なら30.9%に達した。
「多子世帯では弟や妹に4年制大学への進学を諦めさせたり,就職させたりする『進学調整』がいまだにおこなわれている」と語る。
補注)この3人の子どもがいる世帯・家庭の場合,もしも3人が年子だとしたら全員が大学に進学した時,この家計は火の車状態になる。たとえば年収800万円の世帯・家庭の場合でも,ただちにそうなるほかない。
〔記事に戻る→〕 政府はなにもしていないのだろうか。調べてみると,政府も近年,幼児教育・保育の無償化や高校授業料の減免,大学進学の負担軽減策などをおこなっていた。しかし,その総額には少なすぎるという批判も多いようだ。経済協力開発機構(OECD)の2021年の統計をみると,日本の教育機関向けの公的支出の国内総生産(GDP)比は4.0%で,OECD平均を下回り,低水準だった。
補注)ただし,大学(高等教育機関)に対する日本の公的支出は,国立大学と私立大学間において大きな格差(上の紹介した資料の表現だと「公的支援における国私間格差」)があり,この点はその「日本の教育機関向けの公的支出の国内総生産(GDP)比」のなかには,ただちに表現されえない点となる。
その点については,https://www.shidairen.or.jp/files/user/%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%BC%E3%83%B3%E8%B3%87%E6%96%99.pdf
⇒ 自由民主党 教育再生実行本部 憲法における教育課題を考えるプロジェクトチー 説明資料『高等教育に対する公財政支援の現状と課題-私立大学を中心に-』平成31〔令和1〕年4月9日(一般社団法人日本私立大学連盟会長 早稲田大学名誉顧問[前総長]鎌田 薫)を,ぜひとも参照してほしい。
本記述の背景事情となる諸統計が資料として的確に説明されている。
〔記事に戻る→〕 どうしてもっと増やせないのか。財務省は「子ども1人当たりでみれば,公的支出はOECDのなかでも遜色ない水準」という。だとすれば,お金の使い方に問題があるのだろうか。
教育経済学が専門の慶応大の中室牧子教授に聞くと,「教育分野では,根拠のない期待や思いこみをもとに政策判断をしている例が目立つ」と手きびしい。
補注)この点は,前段に指示した『高等教育に対する公財政支援の現状と課題-私立大学を中心に-』に,その根拠が指摘されていた。
たとえば,文科省が教員を増やして推進している少人数学級も,学力への影響は限定的だとする科学的な研究が国内外にあり,むしろ,優秀な教員を十分に確保できずに質の低下を招きかねないと指摘。「もっと科学的な根拠(エビデンス)にもとづく政策の優先順位づけをするべきだ」と話す。
人口減少で働き手も減っていくなか,経済成長を支えるうえでも教育への投資は欠かせないと,政府は以前からいっていた。ところが,現実には,親の所得が教育格差へとつながり,それが世代をこえて連鎖するいう悪循環が防げていない。
良質な教育の効果は,本人の将来所得を増やすだけでなく,治安や公衆衛生の向上など社会全体におよぶとされる。こうした前提を共有したうえで,教育費の負担をどう分かち合うべきかを議論し,悪循環を断ち切る実効性のある政策が求められている。(引用終わり)
以上の議論をあらためて,日本社会のなかでも「最底辺に近い経済生活」を強いられている人びとの目線でとらえてみると,こうなる。つぎの※-3に移り,その一例を紹介する。
※-3「『コロナでどん底』1年無収入のシングルマザー 子は食パンと水道水で空腹しのぐ 一斉休校の余波は今も」『東京新聞』2021年8月2日 06時00分,https://www.tokyo-np.co.jp/article/121114
★ 民なくして 2021年夏 ★
日本が新型コロナウイルス禍に見舞われてから,約1年半。東京都内に住むひとり親の40代女性は「コロナでどん底をみた。『ステイホーム』は地獄だった」と語る。いまも生活は苦しい。
女性の家族を直撃したのは昨〔2020〕年2月27日,当時の安倍晋三首相が唐突に要請した小中高校の全国一斉休校だ。中学生の長男,小学校低学年の長女と3人暮らし。
派遣社員として働いていたコールセンターは在宅勤務がむずかしく,子どもを自宅に残して出勤するわけにもいかない。有給休暇の取得で急場をしのいだが,勤務先から「いつ復帰できるのか」と繰り返し聞かれ,居づらくなって5月の大型連休明けに退職した。
◆-1 ひとり親の子育て… 職探し難航
長女の小学校が通常の授業に戻った〔2020年〕10月,職探しを再開したが,子育て中のひとり親という立場が敬遠されて難航。今〔2021〕年1月に新たな職をえたものの,東京都への緊急事態宣言の再発令で働き始めは3月にずれこんだ。月給は前職の半分の約6万円。無収入の期間は1年近くに及び,子どもたちには食パンと水道水で空腹を満たしてもらった。
一斉休校は,首相官邸が主導して猶予期間も短く,全国の学校や家庭に混乱が広がった。関係省庁との事前準備や専門家を交えた本格的な議論もなく,影響が大きい中小・零細事業者や子育て世帯への支援策の検討は後手に回った。安倍氏自身,休校発表後になって「十分な説明がなかったのはそのとおりだ」と認めた。
◆-2 「政治に救おうという積極的な姿勢がみえない」
貧困家庭の学習支援に取り組み,コロナ禍で食料の無償提供も始めたNPO法人「キッズドア」(東京都中央区)の渡辺由美子理事長は「いまも一斉休校の影響はある。食べるものがない子どもたちがいるのに,政治に救おうという積極的な姿勢がみえない」と政府の対応に憤る。
政府が昨〔2020〕年,子育て世帯の支援策を実施したのは,一斉休校に続いて4月に初の緊急事態宣言を発令したあと。児童手当を受給する子ども1人あたり1万円の給付金などを実行した。
キッズドアは保護者が休職・離職せざるをえない状況に追いこまれているとして,安倍政権から菅政権に代わったあとも対策の充実を何度も要請。困窮世帯への臨時特別給付金など複数の支援策につながった。
◆-3 支援先の3分の2が年収200万円未満
ただ,いずれも単発で,低所得世帯には一時しのぎにしかならない。キッズドアが支援先の家庭に調査したところ,約3分の2が年収200万円未満。学校はコロナ下で2度目の夏休みを迎え,給食がなくなるため子どもたちの体重減も懸念される。
「ごはんありがとう」「おいしいものを食べると笑顔になれる」。キッズドアには,食料を届けた家庭から,お礼のメッセージカードが続々と寄せられている。それだけ困窮していることの表われでもあり,渡辺理事長は「東京五輪にかまけて,政府は他のことはなにもやらなくていいと思っているのか。私たちがいわなければ,絶望してしまう家庭がいっぱいある。声を上げ続けないといけない」と訴える。
補注)2020年五輪開催のために使ってきた無駄金も含む総額は3兆円には納まらないと事情にくわしい識者が説明するが,コロナ過の最中にオリンピックを開催するという愚挙,しかもその狂乱にひたれる国家指導者たちがいた。民の窮状を救うことができない国やその為政者は,そもそも不要な人間たちであり,存在価値なし。
以上に引用した記事に登場したシングルマザー(たち)が,いまの日本社会のなかには大勢いる。この母親:単身家庭で暮らす子どもたちの将来にとって「大学まで進学する希望」は,いまの段階では “はかない夢” になっているはずである。だが,このような教育社会の様相は,国家全体の次元にとってみれば非常な不利点であり,たいそう不都合な事情である。
それでなくとも,少子高齢社会になってしまって久しいこの日本のなかであって,これからのこの国をになっていく人材は,いうまでもないが,すべて次世代の子どもたちに求められていく。
以上の因果は,人間生命の再生産過程としては当然の理であり,この理の必然に幅広く備えられる「教育体制の準備とこの展開」が必要不可欠である。
前段に触れたシンブルマザーたちの子どもたちに対しても,教育機関均等がまともに保障されるための生活環境が整備されるべきである点は,国家じたいにとって「教育は百年の大計」である「大局的な視点」から観ても,あまりにも当然に過ぎる要件:前提条件である。
2023年度,高等教育への(大学・短大)進学率が54.5%にまでなっている事実が,どのように評価されるかといった論点の議論はもちろん重要であり,不可避である。けれども,生まれた時点から大学進学への希望がか細いか,あるいはほとんど不可能だと思われてしまう世帯・家庭に誕生した子ども・若者たちの存在は,けっして許していてはいけない。
だが,日本政府(現在の自民党政府と「平和と福祉の党:公明党」の野合政権)は,高等教育機関のありようを,私立大学に8割近く(7割5分以上)もの学生を収容させるかたちでごまかしつづけている。私立大学が不要だというのではなく,国立大学との相互連係した教育政策がこの国では不全であるか,あるいはひどくは欠落していた。公教育の問題であった。
ここまでに似た話題をさらに,次項の※-4にもとりあげて議論したい。
※-4「〈その先に見えたもの 2021衆院選〉政策編:3 家計ぎりぎり,得られぬ助け」『朝日新聞』2021年10月26日朝刊31面「生活」
a) 私たちの暮らしを守ってくれるはずの政府の「セーフティーネット(安全網)」は穴だらけ。コロナ禍でみえてきた現実です。自転車操業のような家計のやり繰りが続く,ひとり親家庭を取材しました。助けが必要でも助けてもらえない。その原因はどこにあるのでしょう。
〔2021年10月〕5日午後,関東地方のある駅に降り立った。その後,レンタカーで1時間近く。山あいにその家があった。50代のシングルマザーが,小学生から高校生までの3人の子どもと暮らしていた。テーブルに座り,取材を始めて30分経ったころ,女性の落ち着かない様子が気になった。
「どうかしましたか」……,「きょう,引き落としがちゃんとされているかなって」
長女の高校の授業料や後期の模擬試験代など計6万円が引き落とされる日だった。授業料は国による支援の仕組があるが,実際は行政での手続が終わるまで,保護者である女性が数カ月分の授業料を一時的に立て替える。
女性はこの前日,口座に4万円を足した。子どものためにためてきた貯金を取り崩した。昨〔2020〕年4月に36万3483円あったのが,1年半後に7万7484円まで減った。
「結婚する時に渡そうと思っていたんですけどね」 電気代や保険料,さまざまな引き落としが毎月計7回ある。「ちゃんと払えたかな」
お金への不安がグルグル頭のなかを回る。生活苦のきっかけは昨〔2020〕年1月,食品関係のパートを辞めたこと。職場の人間関係から体調を崩した。月11万円ほどの失業手当などでしのいできた。雇用保険というセーフティーネットの一つが機能した。ただ,収入は3分の2近くに減った。
時を同じくしてコロナ禍に。ハローワークに欠かさず通うが,求人が少なく,仕事がみつからない日が続いた。
b) きびしい状況に政府はセーフティーネットを幾重にも張りめぐらせ,特別に以前より広げもした,と説明している。代表的なのが生活費を無利子で貸す「特例貸し付け」だ。最大200万円まで借りられる。
政府はコロナ禍で困った人を支援する対策の中心と位置づけてきた。それなのに女性は貸し付けを受けられなかった。昨〔2020〕年11月に申しこんだが対象は「コロナで減収した人」。きっかけが病気だったため対象外とされた。
特例貸し付けは一時的なセーフティーネットに過ぎない。最低限の暮らしを保障するのは生活保護。ところが,女性はこのセーフティーネットにも見放されたと感じた。
理由となったのは,いまを生きる人びとの生活水準にそぐわない資産要件だ。たとえば自家用車。生活保護制度は原則,車の保有をきびしく制限する。女性の住む地域は,日中2~3時間に1本しかバスが走らない。車は電気やガス,水道と同じ生活インフラだ。
女性は以前,生活保護の利用条件について行政に問い合わせた。すると「車は手放して」といわれたという。「困っているのに,なんで助けてくれないの」
現在,セーフティーネットとして頼るのは民間の取り組みだ。都内のひとり親の支援団体が食料を提供している。だが申しこんでも受付枠がすぐ埋まってしまう。困窮する家庭の多さを感じるという。
★ 要件の検証や見直しを ★
自民党の岸田文雄首相は〔2021年10月〕19日,「困っておられる方々,非正規,ひとり親世帯を中心に支援をおこなうべきだ」と発言。0~18歳の子ども1人10万円相当の支給を公約にかかげる公明党と調整する考えだ。
立憲民主や共産,国民民主,社民,れいわ各党も現金給付を公約に盛りこむ。日本維新の会は最低限の所得保障などの導入を提唱する。一般社団法人「ひとり親支援協会」の今井智洋・代表理事は「大事なのは今後の現金給付の時期。年内の支給をお願いしたい」。一時金の配布だけで終わらせず,制度じたいの見直しも検討するようクギも刺す。
立命館大学の桜井啓太准教授は「特例貸し付けがコロナによる減収を前提にしたように,ほかのセーフティーネットでも要件が使い勝手の悪さを招き,支援から漏れる人を生む要因にもなった。検証や見直しが必要」と指摘する。(引用終わり)
要は,以上にとりあげられた「小学生から高校生までの3人の子どもと暮らしていた」「50代のシングルマザー」にとって,この3人の子どもを大学に進学させることは,至難の生活経済状況にある。ちまたで騒がれているこの大学進学の問題など,もしかしたら夢物語に感じているかもしれない。
教育機会均等という理念に即して考える時,いまどきの日本においてはざらであるとくに「母親・単身親家庭」にとって,大学進学の問題は非常に高い障壁となって立ちはだかっている。
教育機会均等の問題以上に,日本の将来にとって意味する「以上に示唆されるごとき論点」は非常に重大であって,人材開発の領域からしてその源泉を枯渇させるような事態をみずから招来させる原因:条件を作ってきた窮状を,よく自覚しなければなるまい。
※-5「私大,経営の抜本改革急げ 今春の入学定員充足率,初の100%割れ」『日本経済新聞』2021年10月26日朝刊29面「教育」
この記事に登場して議論しているのは,渡辺 孝・私学創研代表取締役である。文字を拾って引用すると長くなるので,つぎの画像資料で紹介する。日本における私立大学の問題はとくに〈淘汰に時代に入る〉といわれだしてから,だいぶ長い時間が経っている。
最初の段落は,こう書かれている。
私立大学の経営環境が一段と厳しさを増している。渡辺 孝・私学創研代表取締役(元文教大学学園理事長)は,教育の質向上や人件費の見直しなどの経営の抜本改革を急ぐべきだと指摘する。
しかし,それへの「対症療法」的な措置によって,私立大学は「延命的にその淘汰の襲来」を延期させてきた。そうはいっても,私大をかこむ教育社会の状況は,いよいよドンヅマリの時代が到来したことを教えている。
さて,日本における私立大学は,国立大学に負けないほど伝統や格式,風格,そして高等教育機関として実力そのものも高く有しているところが多くある。それゆえ,学生の立場からすると,それら私大だけを受験して合格した段になって,実際に納入する納付金が非常に高い私大であっても,手続をしないということはまれである。
一流ブランドである有名私大であれば,合格した学生側の応じ方としては,そうなっている。
とくに大手かつ古手の一流私大は21世紀の今後,そう簡単に没落したり消滅するわけがない。問題は,中小から零細のそれも首都圏などの大都市圏から離れた地方に立地する私大は,すでに以前から廃校になったり,著名大学でも学部単位での撤退はけっこうな数で発生していた。
いわば,現在までは〈微調整〉的な私大の廃止・整理・統合がかなりの事例をもって発生してきた。今後はそのような事情がより表面に浮上するかっこうで進行していくと予測される。しかし,この論点はあくまで学校法人として経営される私立大学の問題であった。
2023年度における私立大学における定員割れは,つぎのように報告されていた。
※-6 簡単なまとめ-将来を本気で新しく切り開く(innovate する)覚悟はないのか?-
単純な平均年収4百数十万円である労働生活の現実世界に暮らしている人たちが,大勢いる日本国の現状であるが,なかでも本日のこの記述に取りあげられてきたシングルマザー(シングルファザーも少数派だが,いないわけではない)の世帯・家庭が,大学への進学を子どもに諦めさせねばならない窮状に追いこまれている。
補注)厚生労働省『全国ひとり親世帯等調査』よると,2016年における「ひとり親家庭数 141.9万世帯」のうち,「母子世帯数は 123.2万世帯,父子世帯数は 18.7万世帯」,ひとり親世帯の86.8%が母子世帯であると報告していた。
なお,2020年の一般世帯総数は4885万世帯であるから,ここではひとまず統計に3年の間隔差があるが,単純に割り算して計算すると,全世帯のうち2.52%が「ひとり親家庭」になる。
このままでは,日本の企業社会⇒産業社会⇒政治社会⇒一般社会が,今後に向けて,ますます「〈後進国〉体制と向かうごとき『弱体化しつつある国家体制』」への歩調を早めるほかなくなる。
女性参画・活用の問題もろくに進展していない日本の政治社会であるが,そこに,いまだに困窮する世帯・家庭で暮らす子どもたちの未来に,まったく希望を与ええない教育社会の仕組がこのまま続くとなれば,21世紀の日本国に幸先がみいだせるとは,全然いえないのではないか?
それではどうすればよいのか? 今日の話題,教育問題についていえば,大学まで無償で進学できる教育体制を準備することである。しばらく我慢して待てば,20年以上もさきになった時代には,その効果が社会全体に徐々に波及しだしていき,その後までさらに我慢・辛抱していけば,本格的な効果が現出しだすことが期待できるはずである。
1990年前後にバブル経済がハジケテからというもの,この国は「失われた10年 × 3回」= 30年も(そしてこれは,なんとこの2020年代に移ってもまだつづいている),国家運営に関しては,無為・誤策に過ごすばかりであった。
余談になるが,岸田文雄は「メガネ着用者である」が,最近そのメガネのことを称して「増税メガネ」と擬人化までされてしまい,ひどくご立腹とのことである。
だが,大企業体制や「世襲3代目の政治屋」や高級官僚たちためだけの為政をいつまでも継続しているようでは,この首相の丸出だめ夫「風」の〈風格〉(?)としての風評は,けっして払拭できまい。
話が横道に入りそうになったけれども,ともかくいまとなっては,なかでも高等教育制度のあり方に関しては,いったん起点から(その重点)を設計しなおすかたちで再考したうえ,そこから小学校の教育段階まで逆風を送りこむかたちも工夫し,教育の各課程に対する完全無償化を踏まえたその抜本的な再構築を試みるほうが,長い目で観たらよほど得策ではないか。
その効果が出るまで我慢する覚悟がもてるのであれば,そうした試図を実行してみる価値は大いにある。ともかく現状のごとき教育体制のあり方では,この日本の未来がうまく展望できそうにはない。教育のあり方全体を根底から引っかきまわすほどにまで改革しないことには,今後に向けてなにかが変わるという期待はもてない。
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