故安倍晋三極右政権の「偽国粋主義・似非保守思想の基本的反動性」に関する思い出「話」,この国を壊した「世襲3代目の政治屋」の愚昧三昧ぶり(1)
※-1 岸 信介の外孫だという〈売り〉しかなった安倍晋三という「世襲3代目の政治屋」が壊してきた「初めから美しくなかったこの国」の「21世紀の今日的な惨状」
まず「2023年12月17日」としての前論を口上しておきたい。
この記述は実は,いまから10年前の夏に書いて,一度公表してあった。備忘のある日付は2014年8月24日(♠)となっていた。安倍晋三の第2次政権が成立,発足したのは2012年12月26日であったが,そのころ(の ♠ )からは,この「世襲3代目の政治屋」のボンボン・ドラ息子(岸 信介の外孫)がすでに,この国を大々的に壊しはじめる時期になっていた。
「▼カとはさみは使いよう」というが,そのはさみが自分のバ▼さ加減を全然自覚できないまま,しかもそのはさみをいい気になって振りまわしたとなれば,下手をすれば周囲からは死者が出かねなかった。実際,その死者という〈ことば〉に相当するあれこれの大損害が,日本の社会経済のなかには記録されてきた。
もっとも,安倍晋三君の場合は2022年7月8日,統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の「宗教2世」に狙撃され,死亡したので,当人の不幸とともに,「日本の政治社会」に対して垂れかかっていたままであった〈ある種の暗雲〉そのものだけは,自然にどこかへ流れてゆき,まさしく雲散霧消していた。
しかし,2023年の12月にもなってから大々的に,現代日本における政治社会の深刻な問題がより露わになった。それは,例の「パー券裏金問題」であるが,もちろん自民党に主に関係した「政治資金の不当・不法な調達と使途」に直結した「資金集めの方法」をめぐる問題であった。
この問題は,森 喜朗が首相を務めた時期(2000年3月5日~2001年4月24日)に発生したと説明されるが,これをさらに満開にまでさせたのが,安倍晋三の第2次政権(以降,2012年12月~2020年9月)であった。その間の一時期(2009年8月~2012年12月),民主党が政権を奪還し,しばらく存続していたが,その後(2012年12月),野党になっていた自民党が「悪徳政治の基本体質」を習い性的に潜伏させたままの状態で,失地回復をなし,再び政権党に復活した。
現行の実質ザル法である政治資金規正法が,自民党政権内にはびこっている「不明朗・不健全な政治精神の〈実態としての金銭感覚〉」を,いったいどこまで本格的に追及できるのかについては,東京地検が他県から応援の検事を駆り出してまで捜査を開始したものの,この「パー券裏金問題」をどこまで解明し,違法として訴追できるかについては疑問の余地もあった。
以上のごときに,最近の事件として発覚し,いま日本の社会を大騒ぎさせている「パー券裏金問題」が,はたして「リクルート事件」並みに政界を震撼させる大事件になるのかどうかについては,若干だが確かな疑問を提示する識者がいないわけではない。
補注)リクルート事件とは,1988年6月18日に発覚した日本の汚職事件である。 リクルートの関連会社であり,未上場の不動産会社「リクルートコスモス」の未公開株が賄賂として,多くの人びとに譲渡されていた。その結果,贈賄側のリクルート関係者と,収賄側の政治家や官僚らが逮捕され,政界・官界・マスコミを揺るがすような大不祥事の発生となった。
以上の話題そのものはひとまずおいても,安倍晋三という「世襲3代目の政治屋」がこの国の最高指導者として登場して以来,この国の惨状と形容すべき醜悪な展開ぶりは,まさしく「衰退途上国」という〈珍妙な修辞〉を充てて説明されてもいる。
安倍晋三につづいて首相になった菅 義偉(2020年9月~2021年10月),そして現在の首相である岸田文雄(2021年10月~ )もひっくるめていうに,こられの者たちは,ろくでもない「ただの非一流で平凡以下の国家指導者たち」であった。
安倍晋三はいうまでもなくひどく品質管理のゆきとどいていなかった「世襲3代目の政治屋」であったが,岸田も同じか同等以上に程度の悪い,なっていない同じく「世襲3代目の政治屋」であった。政治家と呼ぶにはあまりのも「政治そのもの」すら分かっていない,だから「バカ殿」以下か,あるいはそれ未満の縮小にも映る「彼ら」であった。
安倍晋三が第2次政権を担当しだしてから,「失われた10年」の3周回目をしっかり,ていねいに走破してきたと思ったら,そのあとにつづいた菅と岸田は,すでにその「4周目目を地ならし」すること以外,まともな仕事はできていなかった。菅 義偉は世襲ではななかったのに,世襲政治屋以下の粗暴な為政しか試せない「ウカツというか粗忽一点ばりの政治屋そのもの」であった。
この国は21世紀中においてもはや,自国の経済力を20世紀後半におけるごとき「力強い水準」にまで揺りもどすことは,とうていできない相談になってしまった。
ここでいま,「安倍晋三,死んで,なにを,残したか」と問われたら,この日本国を崩壊にまで至らしめした,現状として目前にあるその「結果=残骸」をみればよい,その事実があますところなく表わされている。
『衰退・途上・国』だと経済学者たちが,ごく自然に,しごく当たりまえにいいはなつ国になっている。
まず「アベノミクス」は,当初からアホノミクスだとヤユされるかたちで,まともな理論分析や評定を下しうる経済学者たちからは,猛烈な批判が飛んできていた。結局,その指摘どおりにこの日本の経済は,完全に凋落してきた。
森嶋道夫が1999年の著作『なぜ日本は没落するか』岩波書店は,たとえばリベルアーツの必要を説いていた(133頁参照)。
ところで,最近の国会は2023年12月13日であったが参議院で,日本の大学でもまず大規模な国立大学法人(北大と九大をのぞく旧帝大系の各国立大学法人)を行政の統制下に直接組み入れ,中期計画や予算などを決定する「運営方針会議」の設置を義務づけることなどを盛りこんだ「改正国立大学法人法」を成立させていた。
その方途は,日本の大学における研究の自由(思想・言論・発表の自由)を窒息させ,大学運営を実利的にしか考えることができない「実業界の物欲的な志向」のみを追求し,簡単にいってみれば,日本の大学から今後ノーベル賞受賞者が輩出される可能性を,みずから断ち切ったも同然の文教政策関連の決定をおこなった。
つぎに「アベノポリティックス」となるや,日本の政治にまだ残っていた民主主義の根本精神を瓦解させた。その結果「いまだけ,カネだけ,自分だけ」の政治家ならぬ政治屋連中を,大勢輩出(排出?)させるばかりとなっていた。
安倍晋三が日本の「現代政治」を溶融させた「罪と罰」は,とてつもなく重かった。学問も理論も思想もなにもかも,これぽっちも分かっていなかったあの「世襲3代目の政治屋」が,この日本という国を「先進国」の範疇からみずから追い出す愚行を犯した。
このところ日本社会を大騒ぎさせている「パー券裏金(という政治資金)問題」は,われわれの血税を私物化している不当・不法な日本の政治の患部を意味するだけでなく,なんといっても,
21世紀における日本という「この国家の生き残り戦略の問題」とはまるで別世界に生きているかのようなエセ選良たちが,完全に私利我欲にしか興味も関心もないまま,いわば「自民党じこみのアベノリスク」となるほかない「悪徳の栄え」として,換言すれば「アベノの不倫理の世界観」を,しかも「バベルの塔」よろしく築き上げていた。
※-2 安倍晋三の「極右政権,その国粋・保守の基本的反動性」が『民主主義⇔天皇・天皇制⇔自民党ファッショ政治」の枠組のなかで,あたかもポリープのごときに簇生してきた事情など
★ 日本国の政治的な現状認識 ★
舟越耿一(ふなこえ・こういち)「『日本的民主主義』批判序説」と題した学術論文を,たまたまインターネット上で読むことになった。これは,いまから33年ほど以前の研究成果であった。
だが,21世紀の現段階になっても「日本の天皇制:蜜蜂的な政治構造」に,なにも変質がないどころか,まさしく天皇制民主主義の短所・欠点ばかりが露骨に表層に浮上しつつある秋(とき)である。舟越耿一のこのような論稿にあらためて学習することが有意義である。
補注)12月9日は皇后雅子の誕生日であった。本ブログ筆者にはもうひとつピンとこなかったのだが,ともかく先験的かつ無条件に「天皇夫婦」は,ともに清く・正しく・美しくある人たちだと,国民たち側に向けて,それもただ一方的に押しつけがましく報道しようとした「マスコミ・メディアの拡声」が鳴り響いていた。
どうして,徳仁氏が天皇だから偉いのか,どうして,その妻の雅子さんがそれほど優雅であるのか,また,一人娘の愛子ちゃんがすごく頭がいいだとか,あれこれと盛んに喧伝される様式を採ってだが,たとえば新聞紙面には無条件に,一方的な押し売り報道がなされている。
そのせいなのか,その驥尾に着いて「日本は神の国なるぞ」などとのたもうたごとき,それも「サメの脳みその持主」だと酷評された森 喜朗も登場していた。だが,やはり「世襲3代目の政治屋」である政治屋は,天皇や天皇制の実在を本当に心底から畏敬の念を抱いているか,なお不詳であり,怪しい面がないとはいえない。
安倍晋三の場合だと,平成天皇明仁に対しては徹底して「イジメの構造」を自身の脳細胞のなかに定着させていた。だから安倍は,国家・政府が国民向けに天皇一族を「一家の好ましいかたち」で売りこまんとしている事実とはほとんど無関係に,天皇家のことをないがしろにする「当時,首相の立場」を保持していた。
大昔ならば,この男(前段の男)は不敬罪で極刑に処される可能性があったかもしれない。もっとも,当人はいまはこの地上にはおらず,天上もしくは地下の某所に控えているが……。
ともかくも,敗戦時にGHQが天皇制度を残存させてくれたという事情をかかえていた日本国である。いまだにまともな民主主義の国家政体になりえないでいる事情には,天皇家の存在になんらかの関連があると考える者がいないわけではない。
2012年12月26日に発足した安倍晋三自民党政権の特質は,その「現在的な日本の政治の実体」を,剥きだしにしてきた。
すなわち,「民主主義の根本理念」とは無縁のところで,「日本の国家全体主義政治体制」が構築されつつある。この現状を指していえば,日本国の民主主義は危機に瀕しているといわざるをえない。
分かりやすくいえば,現状における日本国は,明治帝政時代に創られた半封建的かつ前近代的な国家運営のあり方(=しっぽ)を,天皇・天皇制を足場に振りまわしつつ,いまなお「民主主義の本旨」〔というものがひとまず「一義的に理解できる」としておくが〕からは,はるかに遠くの地平にさまよっていた。
天皇という神輿を担いだ日本国は,民主主義に対してならば絶対的に対立・矛盾するはずの「天皇・天皇制」から,いまだに『父離れ(乳離れ)』できない幼児のごとき国家である。
幼児性がその根柢にある国家の上にさらに,安倍晋三政権の「首相」がその精神面では脆弱性(幼稚と傲慢)さを有する者として鎮座していた。しかも,彼の資質において「粗雑さと粗暴さ」が顕著であればあるほど,この〈迷惑政権〉が大手を振ってのさばればのさばるほど,「日本国家体制」の全体にとって大迷惑が発生していた。
本ブログは他所(ほかの記述)でもなんどか指摘したが,この安倍晋三政権は有権者総数の2割5分の支持率しかないのに,小選挙区制度のおかげで圧倒的な過半数を国会両院で占めている。おまけにそこに,もともとファッショ政党の基本性格を基本的に有している公明党が合体している。敗戦後においていまの日本国は,民主主義にとって〈最大の危機〉に直面させられつづけた。
※-3 船越耿一の天皇・天皇制に対する「批判」の姿勢
a)「講演:自民党改憲案と安倍政権に異議あり!」
2013年6月14日,長崎市筑後町の教文会館で,民主団体の主催による「憲法改革 NO! 長崎集会」が開かれていた。集会のメインとして,長崎大学名誉教授舟越耿一(ふなこえ・こういち)の講演があった。
自民党の憲法改正草案を提示し,「現行憲法の三大原則-国民主権,基本的人権の尊重,平和主義-を否定している。改憲ではなく,憲法を壊す『壊憲』だ」と批判した。
「自民党草案は,憲法9条を変えて戦争をする,基本的人権に制限しようとする。気がついた時はあとの祭り。太平洋戦争もそうだった。権力者を制限し,縛る憲法を緩めようとする国会議員が,ろくな議論もせずに改憲しようしている。正々堂々と国会で議論をすべき」である。
「公益優先で人権を制限できるという自民党草案は,公益のために死ねと強制できるということ。たとえ公に反しようが,イヤなものはイヤだという,少数の立場を認めるのが基本的人権を尊重すること。基本的人権より,公の秩序が,いや政府が優先することになる。こんなものは絶対に許せない。君のいのちを差し出しなさいといっていることだ」
「戦争の反省が共有されていた年輩の方の継承や,知的中間層が少なくなり,民衆レベルで憲法蔑視,嘲笑が生まれている。護憲をあざ笑う空気。孫の代まで憲法9条を伝えていかないといけません」と締めくくった。
註記)『WE LOVE 憲法』2013/7/4,第7号,長崎高教組・文責 小田,info@nagasaki-kokyoso.org,http://nagasaki-kokyoso.org/04study/2013study/20130704we_love_kenpo_07.pdf
舟越耿一は左翼思想の持ち主であり,この観点・価値観から語り,議論し,論文を書いている。しかし,問題は,その人の立場が左であろうと右であろうと,そしてそれ以外のなんであろうと,民主主義の根本理念が危機に瀕しているいま,この状況を黙過するわけにはいかないということが肝心な争点になる。
政治思想や立場に関する左・右の問題ではなく,民主主義の政治体制そのものがいま,安倍晋三政権によって破壊され溶融(メルトダウン)しつつある。この事実そのものを,非常なる危機意識をもって受けとめねばならない,ということである。
一水会顧問・鈴木邦男氏(70歳)は,『中日新聞』2014年6月17日「『われら』の憲法:集団的自衛権を考える」という論題のもと,こう語っていた。
b)「戦争させない佐賀県1000人委員会が結成準備集会」2014年6月14日
安倍政権が憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認を今国会中に閣議決定しようとするなか,「戦争をさせない佐賀県1000人委員会」の結成準備集会が2014年6月14日,佐賀市で開かれた。市民約400人が集まり,「国民に判断の機会がないまま,憲法9条が空文化されようとしている」と危機感をあらわにした。
佐賀県平和運動センターなどが賛同者を募る目的で開き,舟越耿一長崎大学名誉教授が「安倍政権の暴走を検証する」と題し,講演した。
舟越教授は「公明党が寄り切られ(集団的自衛権の行使を容認し)ようとしているが,自公2党だけで決めていい話ではない。安倍政権は国民をトリックにかけ,憲法をハイジャックしようとしている」と指摘。
「戦後70年,ノーモア広島,ノーモア長崎といって平和憲法を守ってきた私たちが,いま声を上げなくてどうするのか」と呼び掛けた。
委員会は,集団的自衛権の行使に反対する作家や学者らでつくる「1000人委員会」の佐賀県版で,8月16日に佐賀市で結成集会を開く。
c)「ノーモア広島,ノーモア長崎」
「ノーモア広島,ノーモア長崎といって平和憲法を守ってきた」基本姿勢じたいが,実は,安倍晋三のような〈自民党極右の政権登場〉を阻止できなかったといえる。日本国憲法が平和憲法だというのは,敗戦後に確立された日米安保条約体制の「表面(外枠)の流れしかみない視点」である。
日本が平和でいられたその間,つまり,1945年8月以降も世界中で戦争・戦乱が絶えなかった経過は,わざわざ指摘しなくとも,誰もがよくしる地球規模での「諸事件の歴史」であった。
日本経済は,朝鮮戦争やベトナム戦争で多大に儲けた。湾岸戦争やイラク戦争では当然のように,アメリカ軍の前進基地(兵站)の役目を軍事面から果たし,とても重要な貢献をしてきた。
日本国の平和は,そのような「多くの他国の戦争の犠牲」の上に成立しえていたものである。こうした日本国における〈現象面の平和概念〉の意味は,もう一度あらためて再考しなければなるまい。
そのさいまた,天皇の存在・天皇制というものが,その「平和と戦争」という〈対概念〉の一角をオブラートで包みこむ役目を果たしてもきた。
舟越耿一は,いまから33年前に公表した論稿「『日本的民主主義』批判序説」(長崎大学教育学部『社会科学研究報告』第40号,1990年2月,21~50頁)をもってすでに,日本国の基本的な歴史体質である天皇制(製!)民主主義の根本問題を分析・批判していた。
この論文はインターネットから簡単に入手できる。ただし,学術論文風の筆致なので,研究者・知識人でない人たちにはややとっつきにくい叙述かもしれない。とはいえ,一読の価値がある論稿である。ここに紹介しておくことにした。
註記)以上については,http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10069/33546/1/kyoikuSyK40_021.pdf 参照。
以下に,舟越耿一「『日本的民主主義』批判序説」の目次を書き出しておく。
d) 「幼稚で傲慢な首相」が抑圧する日本国の言論状況
舟越耿一の同上論稿は,先代の天皇からいまの天皇が代替わりしたときを契機に執筆されていた。ところが,21世紀の現段階になってもなお,一方では,この程度の「日本的天皇制政治」の基礎的な理解が十分に浸透していないまま,他方ではあいもかわらず,「ネトウヨ」水準の「安倍晋三政権に対する理解」がまかり通っている。
「ネトウヨ」的な社会認識の特徴は,悪い意味での「一事が万事」的の歴史解釈しかできない。なんでも単純化して済まそうとする,いわば「硬直の脳細胞」作用にこそ,その特徴がある。つまり,1点強調・拡大解釈主義の考え方が目立つ。
その解釈や認識はもっぱら,全体的眺望とは無関係に,問題の特定の1点のみに偏狭・歪曲に注目する。そのうえで,しかもこの観方をもってすれば,すべての論点に妥当する,たったひとつの「絶対的な真実」(?)が入手できたかのように思いこむ。つまり,大きな勘違いを犯しながらも,その固定観念で,ものごとを頑迷に決めつける話法が盛んなのである。
従軍慰安婦問題で『朝日新聞』が何十年も以前の誤報をみずからとりあげ,これを反省的に再検討したところ,早速『読売新聞』や『産経新聞』は,「慰安婦問題」は歴史になかったとばかりの極論を大々的に喧伝する「噴飯物の報道」を,必死になっておこなっていた。
『朝日新聞』側の誤報があればただちに,慰安婦問題そのものが「全体として存在しなかった」ことになるという歴史認識(誤認)は,「虚偽」に満ちたデマゴキーにあと押しされた独断でしかない。このことは自明に過ぎる点である。にもかかわらず,自国の歴史にとって「不名誉なこと」は絶対に認知したくない,という妄想的な固執がめだっていた。
他国の軍隊にも慰安婦制度に相当するものがあるから,日本軍のそれはたいした問題にはならないとする反発・反論に至っては,「歴史の事実」があるとないとか議論の以前に,ともかくこの歴史問題は認めるわけにはいかないというふうに,ニセ愛国主義とでもいったらよい「排外的な国粋主義の自負心」のみを糧にして,強引に展開されている。
そこには歴史の認識も論理の筋道もなにもない。「自分の排泄した汚物が汚物であること」を認められないような,まやかしのヘリクツしかみあたらない。意固地=「貧困の感性」が奇妙にも突出していた
e)「2発の原爆」
そのような歴史に対面する政治姿勢では,日本帝国が広島や長崎に投下された原爆や本土空襲といった「戦争の記録」に関係させていうに,アメリカ側に対するまともな批判は返せない。
アメリカ側が敗戦後,たとえば原爆被害の記録を日本側に徹底して残させないようにしていた事実が,なにを物語るかはいうまでもない。逆も真なりである。日本帝国がかつて,アジア侵略戦争や植民地・支配地において記録してきた歴史は,現在の安倍晋三政権にとっては思いだしくも・みたくもない「過去の事実」なのである。
日本本土空襲のまえに,1937〔昭和12〕年4月26日にドイツ軍がおこなった「スペインの都市:ゲルニカ爆撃」,これにつづいては,日本軍による1938〔昭和13〕年12月4日から1943〔昭和17〕年8月23日にかけて,重慶に対する都市爆撃が218回にわたっておこなわれていた。
安倍晋三であれば,このような事実に触れたくないはずである。だが,そのように考えるのであれば,日本本土に対して1944〔昭和19〕年11月から本格的に始まった空襲=都市無差別絨毯爆撃を,アメリカに対して非難することはいっさいできない(ルメイはなぜか,敗戦させた日本国から勲章を授与されていた)。
本日のこの記述では,長崎大学船越耿一の主張に言及していたので,ここでは,長崎に投下された原爆の被害を,つぎに記しておくことにしたい。
しかし,以上に記述した歴史の事実のうち,なかでも日本本土が被った戦争の惨禍については,ポツダム宣言の内容そのものとは別個に,問題にされておかねばならない。ましてや,広島・長崎の原爆2発に至っては「許しがたい市民無差別・虐殺行為」以外のなにものでもない。
f) 佐世保の米海軍基地
しかし,長崎県の佐世保市には半永久的に米海軍の基地が置かれている。『西日本新聞』2014年6月26日の記事を紹介する。
日本国からの「思いやり予算」など,最近では6400億円もの軍事予算をあてがってもらっている米軍基地である。この行事が昨年中止になっていたというのは,解せないものがある。
この在日米軍基地(米海軍佐世保基地 )は,いまもなお「租借地」同様に利用されている。「佐世保基地の中核的存在である佐世保海軍施設は市内の平坦な一等地を占め,司令部地区,ジュリエット・ベイスン(平瀬係船池),居住区,ニミッツ・パークに分けることができる」註記)。
註記「佐世保海軍施設」『長崎平和委員会』http://www7b.biglobe.ne.jp/~chi-tan/fasasebo.html
佐世保米海軍基地は「長崎の出島」というわけではなく,完全にアメリカ軍が独占的に専有する,日本国土のなかに存在する他国の海軍基地である。しかも,この米海軍基地の維持・管理には日本国の「思いやり予算」がふんだんに充当されている。
この基地の敷地全部が昔は,日本国側のものであったことはいうまでもない。敗戦後,この種の米軍基地は長崎県や沖縄県だけでなく,日本全国「北から南まで」のあちこちに散在する。この風景はまさしく〈占領する米国軍の実質的な存在〉を,いまだに正直に表現している。
これが「ふつう」に「美しい国:ニッポン」の現況である。安倍晋三君はこの現状が「美しく」思えるところの,そしてこれが「ふつう」にもみえる〈国家感覚〉をもっているらしい。
まさしく噴飯物の国家観である。米軍基地のひとつやふたつくらい,完全に撤去させてから,大口をたたくのがよろしい。もっとも現在は故人となった安倍晋三君には詮ないことであるが……。
彼は先般,集団的自衛権行使容認を閣議決定の方法で決めていた。これは,アメリカのためである「戦後レジーム」に猛反対する自身の立場・思想とは,完全に「正反対の政治的意思決定の行為」であった。
いったい,自分が一国の最高指導者として下した決定が,自身の従前の発言とは完全に矛盾する為政(=外交にもなる決定)であることを,はたしてまともに理解できていたのか?
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