安倍晋三第2次政権以降,その最終年あたりの「思い出」,風と共に去りぬ「世襲3代目の政治屋」の,完全にダメでバツだった為政,それから早5年が経ってこんどの石破茂自民党新政権は船出からして早,難破船も同然(その1)
※-1 本日2024年10月5日『毎日新聞』朝刊1面の記事構成
つまり,この紙面構成の各記事・見出しにかかげられた文句にはビックリさせられた,というか一瞬にしてどっと,ズッコケタ。
まず 右上「冒頭記事」の見出しがこれ,
▼「自民裹金議員原則公認へ 比例重複も容認方針」であり,
そのとなり左上の関連記事の見出しがこれ,
★「首相『信頼取り戻す』所信表明地位協定触れず」であった。
すなわち,★の「信頼取り戻す」ために,▼の「自民裹金議員原則公認へ 比例重複も容認方針」だといったのだから,理解に苦しむというか,理解しようとする以前に「この理解」そのものが,どうしようもなくくらい,できかねた発言。
2024年10月1日に発足した石破 茂新政権であるが,前途多難であるなどという以前にすでに,難破船状態での船出となっている。安倍晋三政権時代によく育まれてきた「パー券裏金問題」のしがらみや,「統一教会(世界平和統一家庭連合)」との深い関係を有していた自民党議員たちは,ほぼ全員が無罪放免という状態で,10月27日に実施が決まった衆議院の解散総選挙に,石破の新政権は挑むことになった。
つまり,いまや完熟的に腐敗しきった自民党の基本体質にはなんら手を着けることもなく,現状の態勢,いわば溶融しきったこの政党の堕落した本性をそのまま保存したかっこうで,石破新政権は出発進行の合図を出した。
つぎの※-2以下の記述は2019年9月12日にいったん公表されていたが,現状は未公開の状態になっていたが,先月(2014年9月)からの自民党総裁の交代劇にともなう日本国首相の交代劇の様相になかに,すでに5年前からもしこまれていた「その欠陥商品ぶり」を,あらためて確認しなおすことができたと同時に,また,10月27日に決まった衆議院解散総選挙に対する国民たちの「なんらかの意識覚醒」を期待したく,この5年前の文章を復活,再掲することに意味をみいだした。
それにしてもこの5年前に記述した中身が,いまだに日本の政治の現状に当てはまるような議論をしていたということは,その間,安倍晋三の第2次政権以降を受けて首相になった菅 義偉や岸田文雄が,いかに無能・無価値であった為政にしかとりくんでいなかったが,あらためて,本当に嫌というほどしらしめられたことになる。
なんとも呆れに呆れたこの国における政治過程史の5年間であった。
※-2 2019年9月12日に日本の政治をこう語ってみたが,その後,なにも変化・改善・進歩がないだけでなく,むろんなにも未来への期待・展望がもてないこの国のままである
1) 安倍政権第4次再改造内閣は私物化徹底のお友達内閣,欠陥議員在庫一掃内閣,本質目くらまし内閣,スネ傷隠し内閣,手垢の着いた極右・反動内閣であった。
補注)第4次安倍第2次改造内閣とは,衆議院議員・自由民主党総裁の安倍晋三が第98代内閣総理大臣に任命され,2019年9月11日から2020年9月16日まで続いた日本の内閣であった。安倍晋三が最終的に首相の座が逃亡した後者の日付のときは,またもや「お腹が痛い」といって,しかも診断書の提出もなく勝手に首相を辞めるというきわめて勝手な行為を犯していた。
この2019年9月12日に書かれた文章は,以下につづく内容を読んでもらえればすぐに気づくように,まさに既視感(デジャブ)であった。当時に関したこのブログの記述は,要点としてつぎの諸項目を挙げていた。
◆-1 千葉県の停電復旧(台風の襲来で生じた被害のひとつだが)は9月13日までかかるというのに,この安倍晋三の私物政権は,内閣改造ごっこばかりを楽しむ極楽トンボぶり。
◆-2 「日本の落葉」としての構図を端的に表わした安倍政権の第4次再改造内閣の不出来栄えさ
◆-3 記者会見で安倍首相は,小泉進次郎を環境相に起用した理由について「手あかのついた従来の議論ではなく,若手ならではの斬新な発想での取り組みを期待している」と語った。
だが本ブログ筆者は,手あかが何重層にもこびりついた安倍晋三じたいを,まずさきにゴミ箱に放りこむ必要があると,いつも観じていた。
◆-4 安倍晋三の「国難」性ばかりが延命されていく「この国政権のはしたなさ」(となればその後も菅 義偉や岸田文雄がみごとなまで継承・発展させてきた……)
内閣改造ごっこにいそしんでいた「体たらく」の安倍晋三的な「子どもの政府」-この「初老の小学生・ペテン総理」(『くろねこの短語』命名)の面目躍如が,トコトン日本をダメにしてきた
ネット紙の『リテラ』は2019年9月11日,https://lite-ra.com/2019/09/post-4964.html という記事で,「台風15号の甚大被害,復旧遅れ深刻化も,安倍政権は内閣改造に夢中でほったらかし! 関係閣僚会議も総理指示もなし,関係閣僚会議も総理指示もなし」と書いていた
註記)その『リテラ』のリンク先住所はこれ。
この台風被害は,2024年元旦に能登半島地震によって甚大なる被害を受けた能登半島各地域が,9月の下旬に発生した大雨災害によって再び,被災地の人たちが本当に心が折れてしまうようなひどい二重の災害を受けてきたような,現地では「今年になって2度目となる自然災害:豪雨水害の実例」が起きていただけに,なんとまあ,5年前の安倍晋三政権のときも「この人たち」は,そんなことのごときに,つまりよその国の出来事みたいに,他人事で接していた。
そういえば以前にも,こちらの件は2018年7月上旬に広島県など西日本全体にその被害が拡大していた豪雨水害が発生したとき,首相の安倍晋三を中心に岸田文雄たちもくわわってだったが,「赤坂自民亭」を開店させここで飲み会を楽しんでいたが,
その時刻からすでに,この2018年のときの自然災害がすでに深刻であった時間帯になっていたにもかかわらず,初動体制に関して完全に遅れをとっていたというか,それよりも実質,サボータージュしてこのように,「仲間ウチでの飲み会」で酔いしれることを優先していたという体たらくの,無限大の無責任。
以下は,2019年9月11日の千葉県における「台風15号の甚大被害,復旧遅れ深刻化も……」という自然災害発生時に関した『リテラ』https://lite-ra.com/2019/09/post-4964.html の記事に戻る。
「信じられないのは,安倍政権が台風災害の対策,被害をほったらかしにしていることだ」(つまりこの前年の7月「赤坂自民亭」という話題・記録につづいてだったから,前段でデジャブと評言した)。
補注)ところでデジャブとは,「初めて経験することなのに親しみや懐かしさを感じること」をいい,フランス語の「deja-vu」が語源というかそのものであった。直訳すると「既視感」という意味。 経験したことがないにもかかわらず,過去に同じような経験をしたことがあるかのような感覚に包まれる現象を意味することばである。
〔記事に戻る→〕 「菅官房長官は〔2019年9月〕9日午前の会見で『政府一丸となって被害状況の把握に努めるとともに,災害応急対策等に全力で取り組んでいるところ』などと語ったが,口先だけだ」。
「なにしろ,今回の台風について非常災害対策本部はおろか,関係閣僚会議すら開いた形跡がないのだ」。
くわえて「去〔2018〕年の西日本直撃台風でも安倍首相は新潟で総裁選の票固め」〔に専念していた〕。
まったく信じられないが,これはもちろん,安倍首相じたいが韓国への圧力と内閣改造の人事に夢中だからだ。実際,安倍首相はこれまでも,自分の関心があるイベントが別にあるときは,それがどんなにくだらないものでも,災害対策を無視してそっちを優先してきた。
イ) たとえば,2014年2月に起こった山梨県の豪雪では,その最中に支援者らと赤坂で天ぷら料理に舌鼓を打っていたし,同年の広島土砂災害では「災害応急対策に全力で取り組む」と宣言したあと,富士桜カントリー倶楽部で日枝 久・フジテレビ会長(当時)や笹川陽平・日本財団会長らとゴルフを楽しみつづけた。
ロ) さらに2015年の関東・東北豪雨では,孤立して救助を待つ人びとや不明者も多数いたというのに,インターネットテレビ「言論テレビ」に生出演して櫻井よしこや田久保忠衛・日本会議会長とともに安保法制の必要性をアピール。
ハ) 2017年も,G20首脳会談出席のための外遊中に九州北部豪雨が発生したが,この閉会後も外遊を続行。緊急性もない外遊から帰国しなかったのは,加計問題追及の閉会中審査に出席したくないからなのは,みえみえだった。
ニ) そして,2018年7月西日本豪雨災害のときの「赤坂自民亭」。このとき5日午後には気象庁が「厳重な警戒が必要」と異例の緊急会見を開き,同日数十万人に避難勧告が出されていたにもかかわらず,5日夜,総裁選の票集めのために,「赤坂自民亭」なる内輪の宴会に参加。
ホ) 6日夜にも公邸で,総裁選のために無派閥議員取りこみのための会合をおこなっている。甚大な被害がすでに広がっていた6日土曜日午後~7日日曜日の時点でさえ非常災害対策本部の設置をスルーして,7日朝に15分だけの関係閣僚会議をやっただけでさっさと私邸に帰るなど,66時間も災害を放置していた。
ヘ) さらに赤坂自民亭への批判もさめやらぬ2018年9月,関空など西日本を直撃した台風。台風直撃の翌日,平成最大規模の約50万軒で停電が続き,関空にも多くの人が取り残されているなか,安倍首相はなんと総裁選の票固めのため,新潟県に。ホテルの宴会場で開催された「安倍総裁の3選を実現する新潟県民の集い」に出席したのだ。
もうなんども指摘したことだが,要するに安倍首相が大事にしているのは,自分の権力維持と極右思想実現,そしてお友だちとの付きあいだけであって,国民の生命のことなんて微塵も考えていないのである。
だから,ほかになにもないときは, “俺はやってるぜ” アピールとして災害対策を大仰に指示するが,自分の関心事が別にあるときは,途端に災害をないがしろにしてしまうのだ。
今回の内閣改造で小泉進次郎が入閣することで,またぞろ,安倍内閣の支持率が上がるだろうが,こんな首相のもとでは自分の生命がどんどん危険にさらされるということに,いい加減気づくべきではないか。
註記)以上は,『リテラ』https://lite-ra.com/2019/09/post-4964_2.html
2) 前述されていたように,首相としての立場でなすべき仕事,その大事な任務を平気で無視するアベの態度に関しては,『togetter』https://togetter.com/li/1402758 (このリンク先住所は現在削除)が,こう語っていた。
補注)だが,この枠内に紹介した文章はややおかしい。「安倍さんは見捨てない」という点と「千葉は見捨てられている」という点を相乗させてみると,こうなる。実際の判断としていわれるべきことである。
「マイナス × プラス」で「マイナス」,つまり「安倍は森田の千葉を見捨てていた」になる。今日は(当時の2019年)9月12日であったが,千葉県の現状は報道などですでにしられたように,ずいぶんひどい目に遭わされていた。
補注)この森田健作千葉県知事の当時における災害への対応ぶりは,今年(2024年1月以降の)石川県知事馳 浩を思いださせる。両名の共通項は政治家の仕事っぷりとしては,間違いなく完全に無能・無策であったという事実にみいだせた。
本日〔ここでは2019年9月12日〕の朝刊が伝えた情報では,千葉県は台風の影響(被害)のためにいまだに停電しているのが40万軒。この原因のひとつとして,「3・11」以後,福島第1原発事故のために経営体質が変質・劣化してきた東電は,送電線施設関連の設備管理が不首尾になっていた事実が指摘されている。
内閣改造ごっこにいそしむのもいいが,少しは千葉県のことも思いやるのが安倍晋三の,首相の立場であったならば,ただちに支援に全力を挙げていたはずである。ところが,この子ども首相は,当面した「オトモダチ重視の内閣改造業務」に熱心なあまり,千葉県の窮状をまともに配慮する意向をみせていなかった。
というしだいで,安倍晋三政権御用達の『ゴミウリ新聞』のニュースであっても,さすがに「停電3日 住民限界…『復旧 なぜこんなに遅い』」(YOMIURI ONLINE,2019/09/12 05:00)と報じたくらいであった。
つづいて当時の似た記事を,『朝日新聞』 2019年9月11日19時18分digital.asahi.com/https://articles/ASM9C5QL4M9CUTIL06G.html から引用する。
ともかくも当時,国民(千葉県民)の日常生活の安心「確保」・安全「保障」など,完全にほったらかしにしていても平気な神経でいられればこそ,その代わりとして,もっぱら内閣改造ごっこに専念できている。これが,なんといってもアベ君の行動指針であった。
ところが,テレビ局は例の「忖度」……。
前段に引用した『リテラ』の記事が安倍晋三を批難しているとおり,この「初老の小学生・ペテン総理」の精神構造は,国民の生活など二の次以下にしか考えていない。この点は,今回の台風襲来によって否応なしにしかと再確認されていた。
補注)前段で画像資料をもって紹介した「赤坂自民亭」のなかには,安倍晋三の右肩どなりに岸田文雄が座っていた。この人が2024年1月1日に発生した能登半島地震被害の甚大さ・深刻さに「首相として対面した」さい記録したのは,
基本からの「無神経的に鈍重なその冷たさ」であった。しかも,世襲政治屋に独特であった「自覚症状なしでの人間としての冷酷さ」,すなわち,その人間として最低限必要と思われる政治社会的な触覚そのものが,そもそも欠損していた事実までも露わにさせた。
3) 先日(2019年8月のことであったが)首相官邸において安倍晋三(と菅 義偉)は,小泉進次郎に対して,できちゃった婚の相手(滝クリ)といっしょに記者会見もどきの演技をやらせていた。しかし,それにしても,やること・なすことのいちいちが幼稚であっただけでなく,それ以上に粗雑・野卑でもあった。
もっとも,国民たちのほうが,以上のごとき安倍晋三の下手な演出にまともに怒らないで,喜んで観ている。そうだとしたら,こちらの現象もかつまたとても不思議なのであるが,安倍晋三のデタラメ三昧でしかない為政そのものを,あえて許す素地をわざわざ提供してきた。
ところで昔,国鉄総裁を務めたことがある石田禮助(1886-1978年)が信念として唱えていたのは,「粗にして野だが卑ではない」,つまり「言動が雑で粗暴であっても,けっしして卑しいおこないや態度をとらない」という「人間としての基本姿勢」であった。
石田が国鉄総裁に就任する挨拶ために初めて国会へ出たときは,背をまっすぐ伸ばし,代議士たちを見下ろすようにして「諸君」と話しかけたという。この豪快であった禮助は,国会議員たちを「先生方」とは呼ばなかった。
いま,石田禮助が生きていたら現状のごとき自民党政権の者たち(代議士たちのこと)をなんと呼ぶことになるか,などと想像・推理してみるだけでたらよいか。いまどきの国会議員たちは,この禮助に「諸君」と話しかけてもらえそうか?
※-3「入閣報告フライング相次ぐ 街頭で『経産相仰せつかる』」『朝日新聞』2019年9月11日11時24分,https://digital.asahi.com/articles/ASM9C3H4SM9CUTFK008.html
安倍晋三首相が〔2019年9月〕11日におこなった内閣改造・自民党役員人事を前にしてであったが,閣僚や党幹部への起用が内定した政治家が,首相から内示されたことを相次いで事前に公表した。
党役員は11日午前の臨時総務会,閣僚は午後にある皇居での認証式を経て,正式に就任する。ややフライング気味に「所信表明」した格好で,安倍政権のこれまでの人事でも珍しい現象だ。
補注)「在庫一掃セール」ないしは「滞貨(悪銭?)の解消(鋳塊作業→くず鉄化的な再利用)」のつもりかもしらぬが,そのときの内閣改造にさいしては,19人の閣僚枠のうち「13人の新人」が大臣なっていた。
もっとも,彼らがこのさきどのくらいの期間もつかどうか分からないけれども,ともかく当人たちにとってみれば,たいそううれしい大臣への就任である。それゆえか,その正式発表がある前に,当人たちがその事実を周囲に向けて,だらしなくもべらべらと公表していた。
補注の補注)話は飛ぶが,2024年10月1日発足した石破 茂内閣でも偶然であったが,大臣に就任した者たちのうち13人が新人(初めての大臣職就任)だったというから,うれしさもひとしおであったはずのそれら自民党国会議員とはいえ,はたしてこの政権そのものがいつまでもつかに,関心がすでに移っているかもしれない。ともかく,そう長くは務められないという予想もありうる。
〔記事に戻る ↓ 〕
イ) 新たに選対委員長に就任した下村博文は〔9月〕10日午後,自身のフェイスブックを更新。「先程安倍総理から電話をいただき,党の選対委員長に付く(原文ママ)ことになりました」と「速報」した。異例の「事前公表」といえ,別の党幹部は驚きを隠せなかった。
ロ) その約2時間後,河野太郎外相は外務省内で「防衛大臣の内示が出ました。お世話になりました」と一足先にあいさつまわりをした。外務省関係者は「こんなのみたことない」。
ハ) 経済産業相に内定した自民党の菅原一秀衆院議員は10日午後11時にブログを更新。「安倍総理から直々にお電話をいただいた。『経済産業大臣をお願いする』。57年間の人生で,経験したことのない感動の瞬間だった」と初入閣の喜びを記した。首相のほか,菅 義偉官房長官,森山裕国対委員長らの名前を挙げて感謝の気持をつづった。
この菅原氏は11日朝には地元・東京都練馬区で街頭演説に立ち,「経済産業省の責任者を務めることになった」と初入閣を報告。「私のような,ややもすれば脱原発依存を訴えてきた人間が経産相を仰せつかる。きわめて責任が重い。国民の命を守る,生活を守るエネルギー政策を進めていかないといけない」とも強調した。
補注)そういえば河野太郎は,自民党の議員でありながら,以前は反原発の立場で一環して強力に言動してきた。ところが,以下のような大臣職に就任するとなるや早々と宗旨替えに徹しており,つまり「転んでいた」。ダルマさんがやすやすと転ぶように……。
♥-1 2015年10月,第3次安倍第1次改造内閣に「内閣府特命担当大臣」(消費者及び食品安全,規制改革,防災)と国家公安委員会委員長に就き,
♥-2 2017年8月,第4次安倍改造内閣で第150代・151代の外務大臣に就いていた。
♥-1からの話となっていたが,河野太郎はその原発廃絶の立場はみずからの手で,同時に雲散霧消させていた。関連しては自分の「反原発」ブログも閉鎖(削除)し,撤回(隠蔽)した。
補注)河野太郎のその後にまでの経歴はつぎを参照されたし。
それゆえ,「看板だけだった『脱原発』 河野太郎行革相の “二枚舌” と “姑息” 」(『日刊ゲンダイ』2015年10月16日 07:00,更新日:10/17 04:37,https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/166340 だと批判されたのは,当然も当然であった。
その『日刊ゲンダイ』の記事いわく,「就任が決まった瞬間,原発再稼働批判をしてきたブログを閉鎖,それも『リニューアルのため』とかうそぶき,その姑息さがまた呆れられているが,実は河野大臣の二枚舌は過去にもあった」と。
そうであったがゆえに,大臣になれた河野太郎は「反原発も▼ソもなくなっていた」。事後これが,彼の本来の立場であったのかと,周囲は解釈するほかなくなった。
ただし,つぎにかかげるごとき過去にかかげられていた画像は,それまでの「政治活動に関した河野太郎の実績」が,ネット空間から消えてなくなることはない。
だから,このような写真もあった(よネ)。
また,河野太郎は外務大臣のとき「外務大臣用の政府専用機がほしい」とおねだりしたことがあった。よその国で,外務大臣(もしくはこれに相当する仕事・職務担当者)に「政府専用機」を用意している国があるのかどうか,本ブログ筆者はしらない。ただ,つぎのように批判をしている人物がいた点のみ紹介しておく。
「河野太郎氏が意欲を示した外相専用機の導入 元空将が冷静な検討」(『livedoor' NEWS』2017年12月25日 6時14分,https://news.livedoor.com/article/detail/14074947/) は,河野一郎のそうした要望を政府に対して出した事実を,次段のように整理し,批判していた。要点のみあげておく。
◆-1 河野太郎外相は〔2017年12月〕18日の自民党外交部会で,外相専用機の導入に意欲を示した。
◆-2 河野氏は「中古でも構わない」と述べたが,実は非効率だと元空将は指摘。
◆-3 保有機種と違う飛行機では,訓練や整備体系などがまったく異なるという。
〔ここで『日刊ゲンダイ』の記事に戻る→〕 菅原は演説に先立ち,記者団には「身の引き締まる思いでいっぱい。虚心坦懐,初心を忘れずにやっていきたい」と語った。
菅原一秀は,政権守る「防波堤」(?)
この菅原は,衆院予算委員会の与党筆頭理事を務めた時には,森友・加計学園問題で野党の要求を拒みつづけた。政権を守る「防波堤」となったことが,首相官邸の評価を高めた。また「脱原発」を訴えてきたが,エネルギー政策を担う閣僚に就任し,今後どんな立ち位置を取るのか,注目される。
学生時代には音楽グループ「TRF」のSAM(サム)さんとダンスユニットを結成。ユニットを解消するさい,「俺は日本をリードする国会議員をめざす。お前は日本一のダンサーになれ」などの言葉を便箋14枚に書いて贈ったという。
----------------------------------
【断わり】 「本稿(その1)」はひとまずここで終わりとし,続編の(その2)は,つぎのリンク先住所である。
---------【参考文献の紹介:アマゾン通販】---------